#08 INTERVIEW イラストレーター/ヒラノトシユキ
繋がりが作品をつくる、貪欲さが仕事をつくる。
こんにちは。今回はイラストレーターのヒラノトシユキさん。
知人の紹介で知り合い、1度しかお会いしていなかったにも関わらず、快くインタビューに応じてくれた、ヒラノトシユキさん。
プライベートでは、旅行好きで、LAや沖縄が大好きだという。旅行中に食べたものや見たものを絵に描いたりすることもあるそうだ。また昨年、お子さんさんが生まれたばかりで、今回はその息子さんを片手に抱きながら、インタビューに答えてくれた。ときたま、愛おしそうに息子さんの頬にキスをするその彼の姿は、どこにでもいる普通のパパだ。
繊細だけど、強く心に残る絵を描く、ヒラノトシユキさんの今までとこれからについて。
──こんにちは!この度はお忙しい中、お時間いただきありがとうございます。よろしくお願いします。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
剣道に明け暮れた10代。理系の大学に入った後で、自分が本当にやりたいことを考えた。
-2004年(-19歳)
──さっそくですが、子供時代の頃のことから教えてもらえますか?
「そうですね・・剣道ばっかりしてた記憶です。父が剣道の先生で。小中高、ずーっとやってました。3人兄弟なんですが、全員やってました。」
──えっ剣道ですか??意外です。
「はい。ちなみに兄弟では一番僕がうまかったかも。
もちろん絵も好きでした。コンクールに応募して賞を何回かとった覚えがあります。それ以外でも、時間があれば好きな少年漫画のイラストを真似て描いたりとかしてました。」
──なるほど。子供の頃から、今の職業に就く兆しがあったんですね。
猛反対された、絵への道。
──そういえば、ご出身は広島でしたよね。
「はい、高校までは広島で、大学は香川へ行きました。香川大学の工学部です」
──美大じゃなく、工学部ですか。
「はい。高校が理系だったので、その流れで工学部に進んだんです。僕は絵が好きだったから美大はもちろん考えはしたんですけど、その時は全く美術の知識や技術もなかった状態で。デッサンもできないし。きっと難しいだろうなって思い、その時点で美大はあきらめたんです。」
──でもやっぱりあきらめられなかった・・ということですね。
「そうなんです。大学に在学中、周りでやりたいことをやってる同級生を見ていて羨ましく“僕も本当にやりたいことを頑張ってみたい”と思いました。進学の時に一度諦めたのでもう諦めたくなかったんです。」
──そのときに、美術をやりたいと本気で目指すことを決意したってことですね。ご両親は、応援してくれましたか?
「母は賛成してくれると思ったんですが猛反対。泣いて怒られましたね。・・けれど意外なことに怒られると思った父は応援してくれて。そのおかげもあってイラストレーターを目指すことができました。そして今では2人とも、僕の一番のファンなんです。」
──よかった!(泣)
コンペティションに応募しまくった、専門学校時代。
2005年-2008年(20-23歳)
──大学を2年で中退して、大阪の専門学校へ入ったんですね。学校はどうでしたか?
「入学したイラストレーションコースには色んな人がいて、びっくりしましたね。みんな服に絵の具がついてたり(そしてそれをそんなに気にしていない)、壁に描いちゃう人や、床にはいつくばって描いちゃう人もいて。目立ってた人だと、男性で髪がめちゃくちゃ長い人がいたんですが、その髪で絵を描いてたり、口に絵の具を含んで吹いて絵を描いたりしてました。今まで周りにはいない異色な人達ばかりでしたね。ちなみに、影響されて僕も髪を伸ばしました(笑)」
──(笑)!
絵が描けないなら、色を塗って、線をひくだけでもいい。それはライブペイントへにもつながった。
「あと、実は入学してすぐにスランプになってしまったことがありました。授業が始まって先生から“何を描いてもいいよ” と言われたときに、逆に何を描けばいいのかわからなくなってしまって。絵を描きたくて入ったのに僕はなにを描きたいんだろう、と。それでしばらく、何も描かないまま授業が終わっていく日々が続きました。そんなときに先生から、“それなら、絵を描かなくてもいいよ”と言われて。」
──描かなくていい、とは?
「何かを描こうとするんじゃなく、色を塗って、線をひくだけでもいい、と。そのとおりに、まずとりあえず色を塗って、線をひいてみたんです。するとそれがとても楽しかった。鉄くずや爪楊枝などで線を引いたりしていました。そこから見える形で絵を描いたりして。その流れで当時はライブペイントばかりしていました。
──へ〜!ライブペイントの楽しさはどんなところにあるんですか?
「ライブペイントって、エネルギーをぶつけるって感じなんです。イチかバチかってところがある。もちろん失敗もたくさんしました。でもそこに楽しさがあるんです。なにが見えるんだろう。って。途中で全部消したりしますし。」
コンペティションにはまっていた学生時代。そこから広がって、仕事ができてきた。
「専門学校時代は、たくさんコンペに出していました。とにかく描いては出して描いては出しての繰り返しです。
22歳のとき、『アートストリーム・アワード(2007)』というコンペでビジョントラック賞をもらったことでそのエージェントに所属することになりました。7、8年くらい所属してたかな。ちなみにそのエージェント経由でいただいた初めての仕事は『オフィスシロウズ』さんのWEB用のイラストレーションでした。
映画製作/配給会社 「オフィス・シロウズ」
※画像をクリックするとHPを見れます
今見ると、すこし照れくさいです(笑)
──ロゴかわいいですね。
「学生時代から、“イラストレーターになる”という強い想いで、必死に勉強しました。たくさんコンペに応募したり、フリーランスで仕事するために、夜行バスに乗って東京の出版社やデザイン事務所へ何度も営業へ行きました。」
──コンペにたくさん応募してたようですが、、ちなみにどれくらい応募したか覚えてますか?
「正確な数は覚えてないけど、50〜60くらいかな。応募しまくってたのは、どこか必死だったのもありますね。
今の自分の居場所がどれほどのものなのか知りたかったというのもあるし、反対をおしきった両親への申し訳ない気持ちと、“絶対売れたい、成功したい”という強い気持ちが、僕を動かしていたんだと思います。」
『山登り』 WEST&EAST vol.6(2008)最優秀賞
転用:http://www.nag-koyukai.gr.jp/katudo/0811_west_east.html
「学校卒業前後かな、今でも心に残ってる仕事があります。初めてした書籍用のイラストレーション。この本が、めちゃめちゃ売れて嬉しかったのを覚えてます。本屋でも平積みされてて何度も見に行きました。またこれを機にこのようなファンタジーテイストの絵の依頼が増えました。ただ色々ありこの本は販売中止になってしまいました。詳しくはお調べください。」
『最後のパレード』(2009年)
デザイン事務所で働きつつ、フリーでも仕事をしていた時期。
2008年-2009年(23-24歳)
──卒業後はどうされたんですか?
「広告系のデザイン事務所に入りました。もちろん本当はイラストレーターとしていきたかったけど・・でも現実的にそれでは食べていけなかったので。昼はデザイナー、夜はイラストレーターというスタイルで絵を続けていました。」
──デザイナーされてたんですね! 新入社員でデザイナーとして働くだけでも大変だと思うのですが・・すごい。徹夜もあったんじゃないですか?
「はい、その時期は結構しんどかったです。広告制作を主な業務としていた、個人事務所にはいりました。けど半年でクビになりました。社長とケンカして。
──!
「次は印刷会社兼デザイン業務を行ってる会社に就職しました。その会社は、DTP的な仕事が中心でしたね。実を言うと、そこも1年くらいでケンカしてクビになっちゃいました。そのクビになったことがきっかけで、それからはフリーランスになりました。」
──喧嘩の理由って覚えてます?
「うーん色々あったとは思うのですが・・1つは定時で帰って、早く絵を描きたいですと言って喧嘩になったこともありました。迷惑な社員だったと思います。」
──なるほどです。このときもコンペに応募はしていたんですか?
「もちろん応募してましたね。ウエスト・アンド・イースト展コンペ、ペーターズギャラリーコンペ・・
ペーターズギャラリーコンペ(2009) 下谷二助賞次点
転用:http://www.paters.co.jp/compe/Competition2009_2.html
『装画を描くコンペティション Vol.9 』(2010) 準グランプリ
ブックデザイン:黒田貴さん
転用:https://www.gallery-h-maya.com/00208.html
HBファイルコンペ 仲條正義賞受賞。副賞として個展ができることに。東京へ。
2010年(25歳)
──コンペでとれた賞で、一番嬉しかったものはどれですか?
「HB GALLERY FILE COMPETITION 仲條正義賞です。」
──すごい。大賞ですか。
「実は学生のときから出してたんです。一回目は最終選考。二回目は三次通過・・そして今回はどうなるのかな〜と思ってたんです。そしたらなんと大賞で、めちゃめちゃ嬉しかったですね。多分、今までの賞の中で一番嬉しかったと思います。
HB GALLERY FILE COMPETITION 仲條正義賞
2010年
〈仲條正義氏 コメント〉構図が大きく独特だが破綻がない。実力だろう。
色も好きだしディテールも素晴らしい。
引用:http://www.hbgallery.com/vol/20.html
「賞をいただいて、副賞として個展ができることになりました。タイミングかなと思い、それを機に東京へ拠点を移すことにしたんです。もともと、頂いていた仕事はほぼ東京の仕事だったんで。でもなんと上京した途端に仕事がどんどんなくなっていきました。」
──フリーならではのことですね・・。
「はい(泣)。なので、東京に出てきて早々にアルバイトをすることに。。新宿の沖縄料理屋でしたね。昼は絵の仕事で夜はアルバイトという感じで2年半。それを30歳くらいのころまで続けてましたね。」
絵と、活動の転機。
レストラン「LIFE」シェフのMOOK本 イラストレーション
2015年(30歳)
「そんな中、2015年にレストラン「LIFE」オーナーシェフである相場正一郎さんに関わるMOOKのイラストレーションを描かせてもらったことが、絵の幅が広がった転機の1つでした。
LIFE OF THE MIND(2015年)
僕の絵と仕事がピタッとはまった気がしました。もともとかわいらしい感じの絵の依頼が多かったんですが僕のライフスタイルとはすこし違っていて、でもこのお仕事からは少し男性的なタッチのトーンの仕事が増えるようになったのは嬉しかったですね。またこれがきっかけで、グッズ系の制作が増えたように思います。相場さんのご紹介で繋がってそこから更に繋がる。という流れで、どんどん活動の場が広がりました。本当言うと、はじめはカフェでの展示はあまりやりたくないと思っていたんです。」
──何故ですか?
「カフェだと絵をしっかり見れないので展示はギャラリーでやらないと。って思っていたんです。でもそれだと来る人が限られてしまう。それってどうなんだろうって思い始めていた頃でした。絵に関係のない方がギャラリーへ行くってほとんどないんです。なのでそんな方にも見てもらいたいと思いギャラリー以外でも展示をするようになりました。そしたらそこから広がったご縁がたくさんありました。なのでその後はどんどんカフェで展示をしていきました(笑)」
2017年 アートブック「Journey Around HEARTLAND」 イラストレーション
「あと、とてもいい経験になれたなと思えたのは、2017年のこのキリンのお仕事です。」
アートブック「Journey Around HEARTLAND」
HEARTLAND のアートプロジェクト2017として、「旅」をテーマとして企画された画集。 参加イラストレーター: そで山かほ子 ENTRANCE、村田篤司 PEOPLE、西舘朋央 CHAIR、領家明子 SIGHT、長場 雄 LIGHT、柿崎サラ TABLE WARE、ヒラノ トシユキ FOOD
※ 上の画像をクリックすると本を見ることができます
「本の出版に伴って、イベントと記者会見とかも行われて、それに僕も参加させてもらいました。そのときに、ああ〜僕、イラストレーターになったんだなあって思いました(笑)。」
──まさにヒラノさんの名前が、世に知れ渡った瞬間ですね。
国内外で開催した展示。 機会があれば、どこででもやりたい。
2015年 『Somewhere,Something』/東京、広島。2017年 『Neighborhood』/東京、鹿児島、広島 3会場。2017年 『Always Open』/東京、熊本 2会場。
──本当にたくさんの展示をされてますよね。なかでも2018年の台北での展示は海外ですね。台湾にはよく行かれてたんですか?
「いいえ。実はこの展示が決まって初めて行きました。この展示も鹿児島のAraheamの方が紹介してくださったご縁。台湾で有名なコーディネーターの青木由香さんのお店で展示をさせてもらいました。初めて訪れた台湾。日本とは少し違う台湾文化の思い出をドローイングやペインティングなど様々なタッチで表現しました。
窓ガラスへのライブペイントや、うちわにイラストを描くイベントもしました。たくさんの方がきてくれて、とても楽しかったです。」
2018年 『はじめまして 台湾』/台北『你好我好」
2019年 二人個展『OLDIES BUT GOODIES』展/沖縄 ESTINATE HOTEL (ヒラノトシユキ×中村 桜士氏)
「ここの展示は、沖縄のホテルのロビーで行ったものです。おじさんにフォーカスし、展示作品はおじさんのみ、というコンセプトの展示でした。人物を描くのは得意じゃなかったけど、新たな一面を引き出してくれたと思っています。この展示のおかげで人物を描く仕事が増えました。あとこういう絵もかけるんだという発見もあり嬉しかったです。」
2019年 二人個展「OLDIES BUT GOODIES」展
陶芸家の中村桜士さん 沖縄 ESTINATE HOTELにて
作品について。
今は“線”を追い求めています。
──作品について、教えていただけますか?絵のトーンは、昔に比べて変化しましたか?
「絵を描きはじめた最初の頃は荒井良二さんにすごい影響を受けていました。でも描いているうちに真似して描いてるだけじゃダメだと思い、自分の絵について考えていろいろ追い求めました。最初の頃は、塗って塗って削って厚塗りするスタイルをしてました。パワーをぶつけてるようで面白かった。だけど今は “線”です。筆の流れと、線を追い求めています。
線って難しくて、とても奥が深いんです。何枚も何枚も描いて、やっとこれだ!って感じで。昔と違うところは、“手数をどれだけ減らせるか”、を追い求めてるところですね。描かないようにめちゃくちゃ描いてます。
絵の追求と、課題。“まだまだ、うまくなりたい”。
「あと、最近は、描くものと仕事で描く絵の垣根がなくなってきたと感じています。自分が描きたくて描いたものが、仕事につながってきてることが多くなってきてると思ってます。」
──絵のスタイルは確立できたと思いますか?また、確率できるヒントもあれば教えてください。
「いいえ、まだまだ全然。それって永遠のテーマなのかも。ヒントですか・・色んなものに興味を持って活動できる人はそれでいいし、1つのものに興味がありそれを突き進めるのが得意な人はそれでいいし。多分自分のしていることにネガティブな気持ちにならず、自分を受け入れて描き続けるのが大事なのかもしれません。また僕も色んな展示やオープニングパーティーに行ってたくさんの人と名刺交換もしたけどそれも疲れたし(笑)、今はたくさんの出会いより周りの好きなものや人たちと繋がっていたいという気持ちが大きくなりました。それでも出会えるときは出会えると思うので無理しなくてもいいのかなって」
──絵についての自分への課題はなんだと思いますか?
「絵がうまいタイプじゃないから、単純に絵がもっとうまくなりたいと思ってます。あといい絵を描きたい。描けないものがだんだんかけていったりするのは嬉しいし楽しいです。」
──ヒラノさんくらいになっても、まだまだ、と考えているんですね。
「常に悩みながら描いてます。売れたい。という気持ちがつよいので(笑)」
ヒラノさんにとって、“絵”とは?
──大きい話になっちゃいますけど、ヒラノさんにとって、絵とはなんですか?
「絵は自分の生き様で、今の自分を移す鏡のような。絵はどんどんかわっていくし、自分のすきなものがどんどん反映されていく。年齢とともに好きなものって変わっていくように、描きたい絵もかわってくるから、やっぱり自分自身なのかなって思う。」
尊敬してる人からの刺激。
──いい絵を描くなって思う作家さんはいますか?
「いい絵を描く方はいっぱいいますよね。個人的に好きな方は・・牧野伊三夫さん線がのびのびとしていてかっこいいです。
牧野伊三夫
画家。福岡県北九州市生まれ。多摩美術大学卒。
株式会社サン・アド退社後、画家として本格的に活動を開始。 書籍・雑誌・広告の挿絵や装丁を多く手がける。
あとnakabanさんの色使いや線も好き。小池アミイゴさんの下手なような上手いような絶妙な感じも素敵です。あとは友人であり、ライバル?(笑)である、柳智之くん。ceroというバンドの(元)ドラムもやってました。同じ時期に『HBファイルコンペ』で賞をとったことがきっかけで東京に引っ越してきたときに初めて友達になった人なんです。
同い年だし、当時同じ調布に住んでたこともあって、家で一緒に御飯食べたり、彼のアトリエに遊びに行ったりしてました。今はあまり会うことはないけど、お互い絵を描いてたらまたどこかでに会えると思うし。
まだまだたくさんいますがそんな方に刺激をもらい描いています。」
今後は、子供にまつわるような仕事をしてみたい。
──今後の展望について、なにかプランはありますか?
「昨年八月に息子が生まれたんです。その影響もあり、現在は絵本、子供服とかに興味がありますね。つくりたいし、関わる仕事をしたいです。あとは、作品集もいつか出せたらと思っています。やっぱり自分の絵が好きなのでそれを一冊にまとめたいです。」
これからイラストレーターを目指す人へ。
──これからイラストレーターにを目指す人に向けて、なにか伝えたいことはありますか?
「今の人うまいからな(笑)。伝えることはそんなにないですが・・やっぱりもう、描いていくしかないってことだと思います。
描いて発表していたら、好きな人たちって集まっていくし、絵を描くひとだけじゃなく、デザイナー、飲食店、アパレル、音楽関係など同じ好きを持った人たちが集まってくる。そこからひろがってくるものがたくさんあるので自分のできることはとにかく描き続けることだと思います。」
──ありがとうございました!
まとめ。
“僕はまだまだ”。
まったく未経験の状態から、20歳から絵を学んで、イラストレーターになったヒラノさん。描いて描いて、コンペに出して、営業して、仕事を勝ち取り、いまの地位を得た。けれどヒラノさんは、『まだまだ描きたいし、売れたいし、作品集も出したい。』と話す。一見、ゆったりしているように見えるヒラノさんだが、彼の中にあるエネルギーは凄まじい。
絵を描かないことも、真似することも、考えることも。まるで無駄のように見える時期が、全部糧になって彼の絵になっていった。
ちなみに「イラストレーション」(Illustration)の語源は、「照らす」(Illumination)という言葉にあるといわれ、暗闇を照らす、つまり「わかりにくいものをわかりやすくする」という意味があると言われている。
そして日々、彼のイラストレーションのスタイルはこれからも変わりつづける。今に満足しないこと、“まだまだ”という気持ちで貪欲に生きる。その姿勢が、まわりを照らすような光になっていくんだろう。それに惹かれて、自然と周りに人が集まってくる。協力する人や応援する人が出てくるのだ。
今に満足することなく、貪欲に生きていこう。それが目標への近道なのかもしれないから。
そう思えたインタビューでした。
ありがとうございました。
ヒラノ トシユキ PROFILE
http://www.hiranotoshiyuki.jp/
INSTAGRAM :
https://www.instagram.com/hiranotoshiyuki/?hl=ja
1984年広島生まれ/東京在住
大阪デザイナー専門学校研究科イラストレーションコース卒業
個展歴
2015 『Somewhere,Something』/東京、広島
2015 『My Book展 vol.4』/gallery DAZZLE
2017 『Neighborhood』/東京、鹿児島、広島 3会場
2017 『Always Open』/東京、熊本 2会場
2018 『はじめまして 台湾』/台北『你好我好」
賞歴
2007 TOKYO illustration 2007 入選
第3回ノート展 編集部賞
AMUSE ART JAM in KYOTO 準グランプリ
2008 WEST&EAST vol.6 最優秀賞
TIS公募 #7 BEST ONE(審査員特別賞) 審査員/下谷二助
2009 Pater's Gallery Competition 2009 下谷二助賞次点
装画を描くコンペティション vol.9 準グランプリ
2010 HB FILE コンペvol.20 大賞 仲條正義賞
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