生きるとは、時間性と音楽℃幼ビ10ツ

私たちはどちらかと言うと死に属してる。
この瞬間細胞は呼吸をし、心臓は脈打ち、神経細胞は発火し、人は常に自身を張り巡る血管の音を聴いている。さまざまな不確定と偶然のなかで私たちは現在を感じられている。私たちの身体は時間と共に少しずつ変化し、その時間の流れはとても速く私たちの思考が追いつくものではない。
もし今、今を考えたとしても既にその構造は別物になっている。人間が通時的要素をもつ生命である限り今は過去の中にある。
つまり私が今生きているという証明はどうやっても得られない。死んでいる証明がないから生きていられるのだ。
にも関わらず私たちは生きることを軽はずみに繰り返しと呼び、飽き飽きし変化を求めて苛立つ。

私たちがすべき事は音を音として聴く事だ。
心臓が震え、血液が流れ、瞬きする、それらそべてを音が保証している。その限りなく小さな空気の震えは無音と呼ばれるような物でもある。雑音と呼ばれることもある。ただそれこそが本来の音のはずだ。

音楽とそうでない音の境界線はなんだろうか、


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