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森のきのこを食卓へ―はじめに

(前略)

効率的ではないきのこや生産技術の存在意義
物づくりにおいて、いかに、同一商品を大量かつ安定的に低コストで生産するか、つまりいかに効率的に生産するかは最も重要な課題の一つである。しかし、もともと森林内に存在するきのこは多様なものである。常に環境が変化する自然界では、一つのきのこでも、さまざまな個性があった方が、種として生き残るのに有利なのだ。効率というたった一つの基準できのこを評価するのはもったいない。「効率的生産条件に適さないきのこや技術は存在してはいけないのか」が、私にとって大きな問いとなった。

自然界は多様性に溢れている。たとえば、たくさんの種類の生き物がいる。これは「種の多様性」と呼ばれ、自然界はそのバランスで成り立っている。一つの種だけ一人勝ちしようとするとバランスが崩れて成功しない。すべての生物が競い合って生きているはずなのに、バランスをとりながら結果的に?がり合って、共存しているのが自然界のすごいところだ。きのこ産業においても、全体としてバランスをとりながら大規模な生産者と小規模な生産者が共存していく道はないのか。

「効率生産のナンバーワンを目指す者は、どうぞその方向で行ってくれ。私は多様なオンリーワンをつくり出す方法を探していこう」と考えるようになった。十分な答えはまだ出せていないが、問題を提起し、いくばくかの対応策を示し、多くの人に考え行動していただくきっかけをつくれればと思い、仕事をしている。本書を執筆する動機もここにある。きのこ産業の現状を考察し、私なりに取り組んできたことを紹介したい。本書が、多様なきのこ生産の可能性を探る一つの契機となれば、これに優る幸いはない。

先に述べたように、私は、はじめからきのこが大好きでこの世界に入ったわけではない。たまたま与えられた仕事が、きのこだったのだ。しかし、長い間続けてこられたのは、ただそれが仕事だからというだけでもない。

きのこの研究手法の手ほどきを国立林業試験場で受けた際、研修の最初の頃に教わったのが、きのこの菌の分離・培養方法である。その方法を用いて、ブナ林で採集したナメコを分離・培養し、得られた菌株で栽培試験を行った。すると、奥山でひっそりと生育していたナメコを栽培によって蘇らせたことになる。自然界に人知れず生えている資源を自分の手で再生させた時、なんとも言えない喜びがあった。

これが私にとって、最大の「きのこの魅力」となった。

森のきのこを栽培で再生する喜び
きのこは、栄養のとり方の違いにより、大まかに二つに分けられる。「腐生性きのこ」と「菌根性きのこ」である。腐生性きのこは動植物の遺体を分解・吸収することで、菌根性きのこは植物から根を通じて光合成産物を得ることで、それぞれ生きている。森林生態系において、腐生性きのこは生物遺体を水と二酸化炭素に分解する役割を果たし、菌根性きのこは樹木の生長を助ける働きをしている。

いずれにしても、普段は菌糸の状態で暮らしているが、条件が整えば子実体をつくってそこから胞子を飛ばし、子孫を増やしていく。普段、人の目に触れるのが、「きのこ」と呼ばれるこの子実体である。

栽培をすると、栄養繁殖する「菌糸の世代」と子孫を増やす「きのこの世代」の両方を知ることができ、自然界に対する視野が一歩広がる。私は、こんな体験が楽しくなった。

細かすぎるマラソン解説で知られる増田明美さんの著書『調べて、伝えて、近づいて─思いを届けるレッスン』にこんな言葉があった。「私の好きな言葉は『知好楽』。『之を知る者は、之を好む者に如しかず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず』という論語の教えが、大切な座右の銘になっています」

さらに続けて、「ひとつのことに打ち込むとき、そのことをよく知っているのは素晴らしいけれど、それを好きでやっている人のほうが勝っている。さらに好きでやっている人よりも、楽しんでいる人のほうが良い結果につながるということです。今、メジャーリーグで活躍している大谷翔平さんも、まさに『知好楽』ですね」とある。

「毎日きのこをつくっていると、きのこを見るのもイヤになる」というきのこ生産者に出会うことがある。もっともで素直な感想だと思う。一方、近年各地で開催されるようになった「きのこ大祭」を最初に始めた一人、川村倫子さんは九州でシイタケ農家を営みながら、きのこの楽しさを全国に伝える無類のきのこ好きである。きのこ好きがきのこ好きを呼び、大きな輪になっている。きのこ好きが集まって、里山を活用してきのこ栽培をすれば、荒れた里山を再生するための大きな力になるに違いない。

きのこ好きの輪は、きのこ生産だけではない。きのこ柄の布や服、きのこ形状の革製小物のデザイン、きのこ入りのパン、動画制作など、その興味の方向はさまざまである。なかには、きのこ好きな人と会うのが楽しいという人もいる。人生100年時代と言われるが、長い人生を楽しむ手段として、きのこの世界に関心をもってもらえればとも思う。また、きのこを楽しむ人の輪が、きのこ産業の課題解決の大きな力となると信じる。

本書では、現在の画一的なきのこ生産に疑問をもち、森林の多様性をきのこ生産に取り入れようと、もがいた結果を紹介した。しかし、本書を手にしてくださった方の中には、そんなことには関係なく、きのこに興味があっただけの人もいると思う。きのこ生産の専門用語には、できるだけ説明を加えてあるので、お付き合いいただきたい。また、本文を補足する写真や図表も多数入れたので、そちらも参考にしてほしい。なお、2章と4章では章のはじめにカラー図表をまとめた。栽培試験で生まれたさまざまなきのこをご覧いただければと思う。

第1章では、現在のきのこ生産の現状を述べた上で、目指すべき方向性について記述する。
第2章では、森林から収集したきのこの遺伝資源とそれらを活用した多様なきのこ栽培技術を紹介したい。
第3章では、きのこの消費拡大のため、おいしいきのこ生産を目指した取組から「ナメコの味の見える化」を中心に研究例を示す。
第4章では、里山を「宝の山」にするために、きのこを活用した里山再生技術について提案したい。
第5章では、山のきのこを地域で流通させるため、里山を活用したきのこ栽培の経営収支計算例を示したい。

第1章から第5章に、本書で書きたいと思った中心部分を詰め込んだ。逆に言うと、きのこ産業にあまり関心のない方にとっては、硬い話に思えるかもしれない。記載順に関係なく、少しでも興味のあるところを読んでいただければ嬉しい。たとえば、とっつきやすい3章から読めば、きのこづくりの楽しさを感じていただけると思う。

第6章と第7章は、きのこ生産に関与していない人にも興味をもってもらえる内容にしようと思って書き始めた。奥深いきのこの世界の多様な楽しみ方を知っていただければ幸いである。

本書を手にしてくれた読者に感謝するとともに、その読者の優しさと知恵に頼った書になったが、読み進めてもらえるものと願ってやまない。

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