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2023年6月の記事一覧
対価
同じものを表から捉えるか裏から捉えるかで答えも道筋も異なってくる。何を対価として望みを叶えるかは各々の余らせているものによって決まるからだ。資産、時間、体力、情熱他、何を注ぐかに正解があるのかは知らないし、どうでも良く思う。けれど、望みを叶えると同時に終止符をつけるのは意味の薄い浪費であるように感じる。
ISO800
f4.5
1/50s
天災
急激な変化は膨大なエネルギーによって引き起こされる。大地は歳月をかけて地殻変動を起こしているが、そうして溜め込んだエネルギーはいつか放散されるのだ。風景に溶解して見えづらくなっているだけで、天災がその時限りの事件程度で済んでいるはずがない。
ISO100
f4.5
1/500s
逆光
逆光に焼かれながらも、細めた目でコントラストを捉える。光が強い程その差は広がり、右手にカメラを持たざるを得ない。センサーの焦げを誤魔化すために絞りを広げ、さらに焼き焦がしている。取り繕うことが効かなくなるまで続けるのは、醍醐味を逃す方が嫌だからだ。
ISO100
f8
1/2500s
承認欲
自分も人並みの承認欲を持ち合わせている。けれど、他人から承認を得たとして価値観が変わる気は微塵もない。好きなことをするのも、そうあり続けることも結局自分次第だ。変化の底にある不動の自我を承認できてこその人生か。
ISO100
f4.5
1/1250s
無知
人はなぜ山に登り始めたのだろうか。天上の神に近づくためだろうか。それとも身投げに等しい修練の名残か。今世では理解し難い起源だろうが、登り納めることはないと断言できる。人にとって知ることは生きることだからだ。一つを知ると幾多の無知を自覚するもので、我々は何度も振り出しに戻るような新鮮さに興じているのだ。
ISO100
f5
1/640s
身軽さ
重く感じる身体も一息つけば元通りになった気がするが、再び動き始めるとじわじわと鈍さが増していく。世界的には珍しくない環境ですら影響を受けてしまうのだ。極地へ鈍重な装備を持ち込む理由が分かる。身軽さとリスクの間にあるトレードオフの関係からはどう足掻いても逃れられないのかもしれない。
ISO100
f5
1/500s
辻褄
名所として大層な名を冠したが故に、辻褄を合わせるためにコストを費やす姿は情け無い。観光地として人間都合が盛り込められているから自然遺産に認められなかったのだろう。
ISO100
f5.6
1/400s
高度
やはり高度が上がると思うように身体が動かない。循環器が脆弱なのか、それとも無駄に酸素を消費しているのか。構造上の欠陥がある限り、重い荷物にも過酷な行程にも挑む勇気が生まれない。
ISO100
f5.6
1/320s
夏
雲を越えたところで街を下界と呼ぶ理由がなんとなく理解できた。天候も季節も麓でのそれらとはかけ離れている。夏。海でない地平線が異様だが、ここでは当たり前な光景なのだろう。
ISO100
f5.6
1/1000s
小屋
街では人波の裂け目を狙いがちだ。混み合いの中で疎な空間が生まれると異な像が手に入る。一方で、自然の中では常に獲物を探している。だから視界の端の動き、音や臭いに敏感になる。この整然とした小屋から感じる異は街で求めるそれに近い。
ISO100
f5
1/500s
紫陽花
遠くから見ても輪郭や色の違いしか判別できない。近くで見ても比べなければ相違点は分からない。そうやって時間を消費する間にも空は鈍色になり、紫陽花の鮮やかさが映えていく。
ISO800
f4.5
1/80s
補助輪
補助輪が外れた時、行きたい場所が次々に思い浮かび、出かける理由としたものだ。依存しているものを棄てることは自由への足掛かりであり、言い訳をできなくするための鞭でもある。
ISO400
f5
1/100s
浸透
水源が枯れていないことを奇跡と思うべきだ。雨が少ない時、ダムの水位が下がったり、小さな河川が干上がったりすることは今や珍しくない。主流や井戸から直接汲み取ることは退廃的で、だからこそ蛇口の水の正体が一般に浸透していないのだろう。
ISO800
f4
1/8s