文章の書き方を通して、読み手を意識しよう。
小説を書いていると、ついつい書きすぎる。
書くだけならある程度、誰だって書けるものだが、書きながら「書かないようにする」というのが、プロの腕の見せどころだろう。
文章を書くにも、色々な技術がある。
最も初歩的なものが、この「書きすぎないこと」だろう。
書きすぎない、というのは、1日に書きすぎるな、休め、という意味ではない。
文字数を少なくしろ、という意味でもない。
これは、人生にも言えることで、人はリアルタイムで常に自分自身を観察できているわけではない。
しゃべっている時は、喋る内容や感情に突き動かされていて、気づけばもう口から言葉が出ている。
何かに背を押されるように、僕たちの行動は連続して回り続けるのだ。
例えば、あなたが文章を書いているとする。いや、一度書いてみてほしい。
紙でもデジタルでも良いが、今住んでいる街について、思うように書く。
そこでまず、街の形、つまり地理などといった人工物について書くのか、その街の人々の生活について書くのか、に二分されるだろう。
また、それらを「情緒的」に書くのか、「事実」をただ記すように書くのか。
では、ここに僕も少し書いてみよう。
その小さな街の中央には、公園がある。
この街で最も高い場所が、その公園の丘だ。その丘に登ると、まだ私が行ったことのない遠くの場所まで、見渡すことができた。
登ったこともない山々や、住宅の屋根、その街を象徴するランドマークなどを、同時に見ることができた。
どうだろう。とても事実的な文章で、機械的な印象を与える。ほとんど、ただの風景描写だ。
文章は読む人によって、変化する。
このように、主人公の視点をただプレーンに書き記すだけ、みたいにあっさり仕上げても、読む人にとってはそうではない。
その公園の丘だ、と読んだ瞬間に、自分なりの公園の丘を思い浮かべる。
その人の中のイメージの中には、かつて自分が遊んだ公園や、見てきた景色や知識から作られた架空のイメージなどが浮かび上がる。
見下ろす街の印象も、自分の記憶に依存する。
あっさりとした文章の良さは、そのようにして、
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