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完璧主義≠完璧をイメージする主義

完璧主義という言葉は、一般によく使われているように思う。
「完璧主義」が実際にどういうものか僕にはわからないが、いわゆる「完璧主義」の人は、物事を進める時に自分が思うようにできなければ「減点評価」になるようだ。
客観的な評価、バランス、そういうものをほとんど意識していないように見える。これはシチュエーションによっては、「ワンマン」「独りよがり」にも見えるのではないか。そう言ってみると、過去の自分にも心当たりがある。
ただ、僕は自分のことを「完璧主義」だと思ったことは無い。

まず、この「完璧」という言葉に違和感を覚える。
本当に完璧主義なら、物事が「不完全に終わる」ということが無いのではないか。自分のことを完璧に理解していないと、物事を完璧に遂行することはできない。何ができないか、何ができないか、どれくらいのペースならコンスタントに進められるか、イレギュラを解決する時間をいかにして確保するか、あらかじめそこまで考えて計画を立てる。あらゆる可能性を考えて、盤石なものにする。

ただ目の前のタスクを全て完了したい。先にこれをやって、次にこれをやって、と自分の中で組み立てるのは確かに楽しい。うまくやれれば、精神衛生にもすこぶる良い。
しかし、それを終わらせたところで、誰に褒められるわけでもないし、それができなかったからと言って、「能力が無い」とまで思ってしまうのが良くない。

そもそもの大前提として、完璧な人などいない。
生活をどれだけうまく回しても、人生は思い通りになるわけでもないし、夢のような現実が訪れたりもしない。
また、生活をうまく回しているわけでもないのに、気づいたら小説家になっていたり、一般的ではない職業に就いたりする人もいる。
自分をうまく律して、そういうものを目指しても、それになれるかどうかは決定していない。見込みがあるだけだ。
個人によって、「こう考えれば良い」という道理さえ違う。同じ道理で生きていける相手は、居ない。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

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