![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80764280/rectangle_large_type_2_f5493ba928263cc97f27d757637c9742.jpg?width=1200)
スキゾイド小学生の学校生活② 【恐れを知らない人間から、順番に死ぬ】
前回のようなことが、他にもたくさんあります。
あり過ぎて全てを書くことはできないのですが、例えば、何かの委員に入れられる、ということがありました。もちろん、いじめの一環です。
ただ、委員会の活動には一度も参加したことがありません。
なぜなら、僕は「いち早く帰って図書館に行かなければならない」と考えていたので、普通に下校します。絶対に、学校に残ったりはしません。例え、そう言いつけられていても。
もちろん、仕事をすっぽかしているのは理解していましたが、それよりもとにかく僕は「図書館へ行かなければならない」と考えていたのです。
小学校は一般の公立校でした。
教師は公務員なので、家の方には連絡が来たり、先生たちが家に訪れることもありました。
しかし、案の定、僕の家には誰も居ないし、居たとしても僕の親を懐柔できるような大人はまず居ないので、何にも意味がありません。只々、不毛です。
かと言って、大人たちは社会人なので、家庭の問題などに首を突っ込んで大ごとにするのもイヤ。結果的に、周囲の大人たちは「もうこの家のやつらは仕方ない」「見なかったことにしよう」と諦めることになります。
大人ならそうなるのも自然と言えば自然なのですが、子供はそうではありません。
子供にはまだそのような社会性は無いので、いじめは中々無くならないのだな、と思います。
僕が勝手に放り込まれている委員なども、サボれば他の誰かに負担がかかるわけで、そういう意味でも非常に嫌われました。
これもまぁ当たり前のことだと思います。
ただ、僕は僕で、「そんな活動に何の意味があるんだ?」という感覚しかなかったので、「やりたくなければ、やらなければいい」くらいにしか思っていなかったと思います。
良くも悪くも、「怖いもの知らず」と言ったところでしょうか。
「怖いものがない」「恐れない」みたいなことって、羨ましがられることがよくあります。「やる前からああだこうだ考えて、何にもならない。だから、羨ましい」ということらしいです。
例えば、僕は高いところに登ったり、一歩足を滑らせると死ぬ、みたいな場所を、平気で歩いたりするような子供でした。
それを見た人は、「よくそんなことできるね」と言うのですが、僕には「怖い」という感覚が無いので、「道を歩いているのと、何が違う?」と考えていました。
ただ、これは人間としては明らかな欠陥だと思います。
恐れないのではなく、現実をうまく捉えられていないだけなのです。
また、このことは後にnoteに書こうと思っているのですが、中学の頃には「山にこもる」という生活に少しの間チャレンジしてみました。
その生活の中で、「怖さを感じない、というのは動物としては失格だな」と分かったのです。
「怖い」からこそ安全を確保しようとするし、危険を回避しようと考えるのです。
たまに、「俺は怖くないから」とか強気に言っている人がいますが、戦場ではまずそういう人から順番に死にます。怖くないからと言って強いとは限りません。
「怖い」という感覚がわからない、あるいは想像ができない人は、そこで感じるはずの痛みや苦しさをも知らない、想像できないということです。
しかし、そういう人間ほど実際にそのようなシーンに置かれると「痛い、苦しい」と言って逃げ出すのです。
「こんなはずじゃなかった。もっとうまくやれると思っていた」と思いながら、死んでいくのです。
ここから先は
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/52872831/profile_131030f8a998fe03caaedf6404f0a70b.png?fit=bounds&format=jpeg&quality=85&width=330)
つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?