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スキゾイド小学生の学校生活④ 【父親に川に投げられたせいか、泳ぐことにも長けていました】

(この写真撮った人、こんな話で使われると思いもしなかっただろうな)

これは不幸自慢では無いのだが、実は小さな頃、父親に「けっこうな流れと深さがある川」に放り投げられたことがある。大小様々な岩もたくさんあって、打ちどころが悪かったら怪我をする、あるいは死んだかも知れない。それくらい流れが強い川だ。
その後、少し下流まで流されてしまったのだが、命からがら生き延びることができた。
ちなみに、放り投げた後、父親はその場からは去っていた。謎である。死んだ方が良いと考えていたのかも知れない。
もちろん、僕は「こいつはいつか殺す」と心に決めたのだった。こう聞くと、「ネグレクトじゃなくね」と思われる人もいるかと思うが、僕に対してこういった暴力を振るうことは、それ以降ほとんど無かった。
不思議な親である。
また、人間というのは「生きたい、死にたい」の意志とは関係がなく、ああいった状況に陥ると助かろうとしてしまう。人によるとは思うが、とにかく「苦しい」のは避けたい。死ぬなら、楽な方が良いだろう。

ところで、そのおかげなのか僕は、子供の頃から泳ぐのが上手だった。だから、泳ぐのも比較的、好きだ。
普通なら嫌な経験をすると、その対象まで嫌いになるかも知れないが、僕はそういうことに拘らない人間だったのだろう。
ところで、僕が通っている学校には、水泳を習っている人がけっこう居た。しかも、前回の10キロ走もそうだが、この学校では全ての記録をランキング形式で発表するという、時代錯誤なシステムを導入していた。その表を掲示板に貼り出すのである。
「この人は運動神経が悪い」というのをわざわざ視覚化して、差別化するという鬼畜ぶり。
僕なんて、ただでさえ子供の頃から出生競争で劣っているのに、小学生の頃から社会的な競争に晒されてきた。
今時の子供は運動神経なんて気にしない気がするが、どうだろう。僕の時代はまだ実力社会的な風潮があったと思う。

ナルトという漫画をご存じだろうか。
あれで、ナルトの師匠の自来也が、ナルトを谷底に突き落とすようなシーンがある。そうすることでナルトの中に眠る「九尾」の力を引き出そうとするのだが、僕の父親がやったことは、ちょうどあれと似ている。
結果的に、マラソンと同じく、泳ぐことが容易になった。そのランキングでも、ほとんど上位に食い込むことになり、「どこかで習っているのか」と質問攻めにあった。

「肉体をどのように使えば泳げるか」という理屈はよくわからないが、とにかく何事も独学で身につけた。ゆえに、バタフライや背泳ぎなどは、さほどうまくならなかった。
そもそも、うまく走ったり、うまく泳いだり、そんなことには全く興味が無かったのだ。
どうすれば時間をうまく使えるか、溺れずに助かるかなど、実際的な問題に向き合ってきただけだ。

良くも悪くも、誰かの上に立とうとか、誰かに勝とうという気はさらさら無い。元来、僕はとても平和な人間なのである。
その平和が脅かされると、気分が悪い。
誰もが平和に生きたいわけだが、平和の脆弱性は「それが脅かされる時」に露わになるということか。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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