人には限界がある。限界を感じたら、素直にそれに従おう。
とにかく、これに尽きる。
何による限界なのかは知らないが、とにかく限界を感じたなら、正直にそれを認めよう。
その上で、その活動を止めるなり、他者に相談するなりしよう。
いや、そんなことできる状況じゃない、と思う人がほとんどだろう。
そんなことは全く関係が無い。限界を感じたなら、やめれば良い。何か問題があるだろうか。
守るものもあるし、生活があるし、と言うなら、そんなことは簡単だ。守るものには話をして納得してもらう。そして、仕事はやめるなり、休むなりすれば良い。
心配することは無い。
誰もあなたを助けてくれなくなったら、生活保護がある。
あなたが払ってきた税金で、自分を養うと考えれば良い。全く問題が無い。
ただ、できるなら、人に話すことをオススメする。
人に話すなんて、つきのまどらしからぬ言動だと思えるが、らしからぬことをするのが面白いと考えよう。
人に助けを求めることに抵抗を持たなければ、人に心情を吐露したり、近況を報告するのは良いことかも知れない。
意外と、人は明確に他者に迷惑をかけながら、生きているものだ。
持ちつ持たれつという言葉があるが、思い切って、誰かに「こうなんです」と話してみよう。
思いのほか、スッキリするかも。
それにしても、どうしてみんなそんなに頑張るのか。もっと自分の気持ちに素直にいられれば、楽だと思う。
例えば、仕事ができなくて、貯金も無くなってきた。親にも頼りたくないし、一人でゆっくりしたい。自分を見つめ直す時間が欲しい。
そんなとき、活用できるのが生活保護である。
生活保護の話がしたかったわけではないが、でも、実際そういう単純な話だ。
制度があるのに、なぜ休めないのか。
恥ずかしいとか、情けないとか、結局のところ、そういう個人的な感情に苛まれて、しまいには、精神まで病んでしまう。
確かに、頑張ってリタイアすることは、名誉なことかも知れない。美談に聞こえなくもない。
でも、基本的に、美談として語られる話って、ちょっと恥ずかしいと思うのは僕だけだろうか。
言うなれば、ただの自己満足を後々になって美談のように語る、あるいは、語られるのは、演出のように思えてしまう。
例えば、職場の誰かが、「ちょっと限界なんですよね」と相談してきたら、それなりに向き合うことになるだろう。
僕なら、とにかく休んだ方が良いよ、と言う。それしか言えない。それでも、親切な人ならプライベートを割いて話を聞いてくれたり、
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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