思いつきのボランティアも良いが、身銭を切る優しさについて、考えてみるのも大切だ。
自分が捨てる物を「大事に使ってください」と表現する人が、けっこういる。
僕は、当時まだそれほど話題になっていなかった「ジモティー」で、高校の制服を買った。
ああいったフリマアプリや、個人の中古販売が主流になった。
そこで、見かけるのがこの標語である。
「もったいない精神」が市民権を得ている日本だが、もちろん、物を大事に使う精神は大切だ。
しかし、自分が要らない物まで「大切に使って欲しい」と思う神経は、全く意味がわからない。気持ちはわかるが、「捨てるはずの物」までもネットの海に放り投げることができるようになり、「一円にでもなるなら、誰かに使ってもらいたい」みたいな感情が生まれてくる。
もちろん、その気持ちも想像ができる。
貧しい国の映像がテレビなどで流れ、そこにいる子供たちが「田中」とか「1年3組」などど書いた服を着ている時がある。
何度かこれについて書いたことがあるが、あの光景を初めて見た時、「なんて失礼なんだろう」と僕は思った。
「誰かの役に立つ」という「もったいない精神」が、「自分が捨てるはずだったゴミ」を「善意」に変えてしまうのだ。なんて、安い善意なのだろう。いかにも「その場限りの思いつき」に見える言動だ。
そう言うと、「それで救われている人がいるのだから、いいだろう。やらない善より、やる偽善だ」と
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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。
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