父と母が見た、スキゾイド少年とは。
(写真は、育ちが良かったパターンのつきのまど)
前回までで、スキゾイドの川流れの話は終わった。なるべく簡潔に書いたのだが、それぞれの捉え方があると思う。何か書けるようなことを思いついたら、その度に書く。
今回はタイトルにもあるように、僕の親が「僕のことをどういう人間だと思っていたか」について。これを簡潔に書いていく。想像の部分もあるので、事実どうだったかはわからない。
こう言ってはなんだが、僕は中学3年になるまで、ほとんど親と会話をすることが無かった。互いの印象を計りながら、絶妙な距離を保ってきた。妙な家族である。
どういう家庭でも、親との会話がほとんど無い、というのは珍しいのではないか。喧嘩でも、一応、互いに対峙して口を聞いている。相手に何かをぶつけている。
ところで、母親が僕のことをどう思っていたのかは、あまりわからない。彼女は、基本的に自分の好きなように生きていたと思う。
お金に困ることは無いし、ブランド物もたくさん持っていた。好きな習い事をして、友人と遊んだり、夫との関係も適当にしていたと思う。子育ての初期は他人に任せ、しょっちゅう自分の実家に帰ったり、旅行に出たりしていた。彼女は父の経済力に寄生していただけで、あとは、自分のことを中心に考えていたのだと思う。
少なくとも、僕からはそのように見えた。一度、家の中を色々と捜索している時に、母親の通帳を見つけたことがある。そこには、すごい額が入っていた。彼女は自分が一人になった時のために、自分が生活していくだけのお金を確保していたのだ。狡猾な女性である。
僕は父にも母にも、怒られたことがない。
怒るというと、躾けるという感覚があると思うが、教育という観点から彼らに何かを注意されたことは、一度も無い。
叱責されるというと、「自分たちが個人的に気に入らないこと」について何かしら言われるだけだ。親子のやり取りではなく、「人と人」のやり取りが行われてきた。しかも、大人対子供の図式である。
結果的に、僕は子供の頃から自立心というか、実質的に半自立しているような状態になっていたわけだ。これを好意的に捉えると、「親の教育が成功した」と言えそうだ。少し事情を知っている人には、実際にそのように言われたことがある。「良い教育だった、ということでは?」と。
まぁ、結果良ければ全て良し、僕はそう思っている。ただ、「あなたが子供の時、望んでその環境に行きましたか?」と聞きたい。
僕自身、親を恨んでいるわけでも、教育が間違っている、と考えているわけでもない。今僕はこうして生きている。それが全てだからだ。
母とは違い、父は僕に対する意識を強く持っていたように思う。
なぜそう思うのかは勝手な僕の想像だが、僕は人が自分に向けている意識にとてつもなく敏感な人間だ。人はそれを「気のせいだ」と言うかも知れないが、これに関しては絶対的な自信がある。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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