チャリティーコンサートで曲を使われる作曲家、かわいそう。
周知の通り、戦争が起きている。ロシアが戦争をしていることが妙に目立っているだけで、紛争なんていつでも起きているのだから、特別珍しいことが起きているわけではないのかも知れない。
こういうことがあると、ここぞとばかりに寄付活動が盛んになる。
お金を稼いでいることに罪悪感を抱いているお金持ちや、あらゆる対策のために普段から寄付している人は、この話とはあまり関係が無いかも知れない。僕だってそうだ。
誰かを救っている気持ちになることで潜在的な空虚さを満たす、みたいなところが人間にはあるもかも知れない。ただ、なぜそれが国内の問題に向かないのかは不思議だ。遠い国や人々に対する感情の方が綺麗な感じがするのかも。
こういうことが起きるたびにどこからともなく「チャリティー」を持ち出す人間がよくわからない。
あの人たちは、戦争が無い時などはどこで何をしているのだろう。その持て余した善意を、どこに向けているのだろうか。それだけの思いがあったら、世界の貧困くらい簡単に無くなりそうだ。
現実にそういう活動をしています、という人に僕はほとんど会ったことがない。
イラク戦争なんて随分と長い期間やっていたから、しまいには誰も寄付なんてしなくなった。そういえばあの時は「日本は自衛隊を使った支援を通じて戦争に加担している」と叩かれていた。
まぁ、イラク戦争と今回の戦争では日本の立場が全く違うので、そういう感覚が薄まるかも知れない。ただ、やっていることはそう変わらない。
戦闘を継続するために物資や何かを贈る、という点でそう大きな違いはないだろう。
僕個人としては、どちらかというと反対かな。国家となるとそういうわけにもいかない、という事情はわかる。多くの人が反対しないのを見ていると、それが総意なのだろう。それか、そこまで考えることに興味が無いのかも知れない。そこがまた怖いところだ。
ただ、チャリティーコンサートなどで作品が演奏されたりするのは、なんか不憫だなと感じる。誰に対してかと言うと、作曲家である。
例えば、皆が知っているショパンは、ワルシャワ公国の作曲家だ。この国は、簡単に言うと今で言うポーランド。(分割された一部がワルシャワ公国となった。)
今起きている戦争でも何かと話題のポーランドだが、立地も最悪というか、国自体が無くなったり分割されたり、また独立したりと、長きに渡って非常に複雑な経緯を辿った国である。
この辺りを常に侵略していたのが、当時まだ帝国だったロシアだ。(これを今話題のロシアと同一視するのは、また違うかも知れないが。)
ショパンが作った音楽の中には、祖国を思って作った作品が多数ある。
ポーランドなんていう国は、もう無いも同然みたいな時期が続いたわけだけど、彼はフランスに住んでいてもフランス語がなかなか上手くならなかったらしい。
精神の深くに、ポーランドの文化が染み付いていたのだろう。
クラシック音楽というのは現代の音楽みたいに著作権が無いというか、そこらで勝手に演奏をしてお金を稼いでも良い。だから、チャリティーコンサートなどはほとんど昔のクラシック音楽で構成される。
そのチケット代なんかが寄付されるわけだが、このお金が直接ウクライナ人の武器に変わるかと言われると、そうとも限らない。食糧になるかも知れない。ただ、どれだけ綺麗事を言ってもお金は最終的に武器に変わる。食糧の優先順位は、全然1位では無い。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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