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必ずしも、人の気持ちを理解する必要は無い
人の気持ちや精神の状態を知るには、日頃からよく他者のことを観察しなければならない。という話がある。
確かに、多くの人をモデルとして、それぞれの傾向や性質を知ることで、自分の中に「多様な他者」を構築することができるだろう。それもとても大切なことだ。
しかし、元々僕たちは、人の心理や機微に敏感なものだと僕は思う。
特に、他者が自分に対して悪い感情を持っているような時、それに気づかない人はほとんど居ない。
それはあからさまな態度ではなく、他愛もない話をしている時にも感じ取れる。言葉の端々や相手の挙動から「あまり良く思われてないな」ということがわかるのだ。
また、集団の中にいても自分が皆に阻害されている感じとか、自分の立ち位置をなんとなく理解できる。自分が属している集団の総意が、なんとなく見えてくる。
こう考えると、僕たちは人の心理を把握することに長けているように思える。もちろん、自分に向けられた敵意や負の感情を察知する能力は、動物に備わった本能だ。生存していくためには、他者の状態を理解する能力は必要だろう。
しかし、現代を生きる僕たちにとって、この能力はさほど重要なものではなくなってきた。
今や人と人との絆が、かつてのように高らかに叫ばれる時代ではないし、独身貴族などという言葉も生まれるほどに、「人とつながらない自由」が尊重されるようになった。僕などからすれば、大衆のその意識はまだまだ低いとは思うけど、少なくとも年月が経つにつれて個人の自由は尊重されるようになったように見える。もちろん、まだまだ良くない風習は残っているが。
ただ、他者と関わらないからと言って、僕たちが人間存在について気に病んだり、人間関係に翻弄されることが無くなるかと言えば、そうとも限らない。
僕がかつての活動で再三話してきた通り、「自我」が司る人格は一人とは限らないからだ。つまり、僕たちは「自分自身との人間関係」さえも複雑に構築している。一人でいる時も他者といる時も、常に自分と向き合う時間だ。頭の中には、とどまることなく言葉が流れている。それは、全て自分との対話、会話である。
あるいは、頭の中、記憶の中には実際の知人がたくさんいる。家族、恋人、友人、嫌な人、それらは自分の頭の中にいる。その彼らとの付き合いもあるのだ。
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