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聞かれた時に答える用タレントを発表。

人に興味を持つ、ということはすごいことだ。
おかげで、僕のような者にまで興味を持ってくれる人がいる。

僕は、人にほとんど興味が無い。
一生誰かと話さなくても生きていけるし、会わなくても何の問題も起きない。これは持って生まれたものだろう、そう思う以外に原因がわからない。会話があるような家ではなかったので、余計にその性質が加速していったのだと思う。人と話したり、何かを伝達したり、そうすることの価値があまりわからない。
もうこれは仕方がないな、と思う。プライベートで僕と関わっている人たちも、「こういう人間だ」と納得しているようだ。
それでも尚、「一緒にゲームをしたいと思うことは無いの?」とか、「一緒にどこかへいきたいとかないの?」と聞かれる。つい先日もそう聞かれたところだ。僕に対する「恥ずかしがっちゃってー」というようなイジりさえ恒例になってきた。

人間ではなく、犬や猫と生活を共にしてきた僕だが、「ちゃんと可愛がってあげられたか」と言われると、自信が無い。頑張ってはいるが、地道な努力で非常に時間がかかってしまった。
子供と関わるのもそうだけど、うまく「あやせない」のだ。
もっとニコニコ、気持ちよく接してあげたいけれど、どうすれば良いのかわからない。そんな自分だった。
犬や猫にはまだマシだけれど、それでも「よしよし」と言ったりしながら触る程度で、いつも変わらぬ態度で赤ちゃんのようにしてあげられない。
何匹かの犬や猫を看取ってきたけれど、後悔ばかりだ。「彼らは、ここにいて幸せだっただろうか」といつも思っている。
どう見てもそうじゃなかった、と思えるシーンもあった。
もっといろんなところへ連れてあげたら、こんな経験をさせてあげたら、と足りないところばかり目に付くのだ。
これまで生きてきて、明確に誰かの影響を受けたとは思わないが、一緒に生活をしてきた動物たちの影響は、大いに受けたと言える。彼らには、感謝しか無い。僕を成長させてくれたのは、紛れもなく彼らであり、芸術や学問、人なんて些細なものだそれくらい世話になっていると感じる。

「〇〇君に誘われたこと、一度も無いよね」ともよく言われる。比較的、人々との付き合いが増えた高校や大学の頃にそう言われた。言わなくても思っている人もいるはずだ。(そもそも友人がかなり少なかったが)
僕の中には、その欲求が少しも無くて、それが見えるから相手がもどかしい気持ちになるのだろう。
ただ、別に会うのが「嫌」だとか、そういう感情も無い。
それなりに流れがあって、そうすることが自然だと感じたら、抵抗なく会ったりはするだろう。誘われれば、基本的には出て行く。「社会人としての顔」と言うと悪いが、お世話になっている相手なら尚更だ。

一人で生きているなんて思ってない。厳密には、そんな人はいない。
色々な人の助けがあって生きている。それは確かだ。理解している。
YouTubeの活動でもそうだけれど、誰も観てなければとっくにやめていたと思う。
自分がやりたいと思って始めた活動とは言え、結局、人と人との関わりになる。その相手との距離がどれくらいかの違いだろう。
何かに興味を持つと、その人の中に「楽しさ」が生まれる。楽しみは与えられるものではなく、自分で「見出す」ものとも言えるだろう。

そう言えば、生徒や職員の話を聞いていると、好きな芸能人の話が出てくることがある。同じ空間でそういう話をしているので、聞くともなく聞いている。その流れの中で、「先生は〇〇どう思いますか?」と聞かれたりするのだが、これがまたなんとも言いようが無い。男女共に、芸能人は皆カッコいいし綺麗だ。だから、「かっこいいと思うよ」とか「綺麗だね」としか答えようがないのだ。
そして、「先生はこういうタイプが好きなんですね」と言われる。それで言うなら、ミケランジェロやラファエロの作品だって綺麗だと思っているし、かっこいい。「誰が見たってそうじゃない?」と逆に聞くと、「まぁそうですよね」と話の腰を折ってしまう。僕が人の容姿について言及するときはそういう視点であって、対象に特別な感情は無い。そもそも普遍的な容姿というか、大勢が綺麗と思う造形の人が芸能人になるのだから、当たり前だろう。それを売りにしているわけだから、むしろそんなことで簡単に誰かを好きになったりはしない。「この人にはそれ以外に何があるのか」と考えてしまう。そして、僕はわざわざ人の中にそれを探そうとするほど暇ではない。テレビもほとんど見ないし、SNSもほとんど見ない。
でも、そういう会話の度に、「別に好きじゃないけど」と言うのも面倒なので、最近では特定の芸能人を挙げることにした。
テレビやSNSなどで偶然見かける人の中で、「強いて言うなら」を選ぶことにしたのだ。

コロナ禍になって、偶然「トリンドル姉妹」のYouTubeを見て、いい感じだと思った。見ていて不快なところが無い。
始めに見たのは家族が総出演しているやつで、お父さまが特に素敵だったのでそのせいかも知れない。ドイツ人かオーストリア人か知らないが、絵に描いたようなお父さまだ。
また、別荘なのかはわからないが、素敵な家だった。軽井沢っぽい土地で、それも良かった。
僕は壁をガラスにするのが好きなので、センスに似たものを感じた。おそらくお父さまのセンスだろう。お父さまの静かで清潔で冷たい雰囲気は、理想的な大人にさえ感じた。スキゾイド味もある。
そのお父さまの影響もあって、人から聞かれた時は「トリンドル玲奈さんかな」と答えるようにしている。「へえ、ああいう女性が好きなんですね」と言われると、違和感を抱いてしまうが。特に女性にをそれを言われると、どうも妙な気がしてくる。「なんかいけないことを言ったのか?」という空気だ。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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