濃厚接触者になった。月並みだが、当たり前のことに満たされていることの幸福を再認識。
職場の人がコロナになり、どうも自分が濃厚接触者らしいことがわかった。
3年前の年末ごろ、武漢でコロナがどうのこうの、というニュースがやっている時、日本ではまだ全然「コロナ禍」の雰囲気ではなくて、マスクをしないで生活していた。
当時は、中国人差別みたいな潮流が生まれて、面倒だった。まだ、そんなことを言っていられる余裕があったのだ。
その後、日本でも確認され、あれよあれよという間に緊急事態宣言が下り、あの世界一利用客の多い新宿駅でさえも、閑散とした状況になった。
なぜ、それがわかるかと言うと、テレビで見たのではない。僕は緊急事態宣言で人々が休んでいるときも、思いっきり稼働していたからだ。
僕が東京に生まれて20数年、あれほど街に人が少ない状況は無かった。だから、色々と考えさせられた。何より、政治も経済も一極集中型のこの「東京」という、効率化の権化とも言える「街」の限界を感じた。
そんな中で、生徒のいない職場に通い、「コロナ禍」の影響を全く受けない、あるいは、こちらも社会に1ミリの影響も与えない「研究」を、以前までの生活と変わらず、ただ続けていた。
はっきり言って、最高の環境だったと言える。あんなに良い環境は、今後、二度とやってこないだろう。
亡くなられた方や、そのご遺族にとっては舐めた話だと思うけど、「これがずっと続いてもいい。社会がどうなったっていい」と考えてしまうほど、スペシャルな時間だったのだ。
そこから少ししてすぐに、学内の関係者に感染者1号が出て、徐々に不自由になっていった。
そこから、リモート化が加速し、自宅にいることが増えた。全て休みになった期間もあったし、研究もできない状況で時間が増えた。でも社会全体としては、リモート化、デジタルを積極的に使った変化は、疑いようもなく素晴らしいことだ。
既得権益にしがみついた愚か者たちに、「日本は何周も遅れている」と気づかせることができたのなら、それこそコロナ禍におけるメリットと言っていい。バカタレたちは、「実際に会って仕事をしなければならない」と考えるから、
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