家にいながら、世界を知ることができる。つまり、それが家事である。
この間、「片付け」に関連して色々な学びを話した。
これらは、僕が一人暮らしの中で学んだことだから、そのまま何かに応用できるとも限らないし、誰かに当てはまるということではない。
ただ、誰の生活にも学びがあるし、たくさんの「なぜ?」がそこいら中に転がっている。その参考になれば良い。
全ての物事には良い面と悪い面がある、と前回に書いた。
良い側面しかない、という事柄は存在しない。
例えば、最高の幸福があったとしても、それが失われるかも知れないという負の側面がある。無常という言葉の通り、まさに「つねならむ」だ。
全ての事柄は、大きく「2つ」の捉え方に分けられる。たとえ、負の側面が無いように見える事柄でも、それはいつか失われる、という怖さだけは「必ず」含まれている。これは道理であり、免れることはできない。そして、それに加えて、さらに負の要素が加わることがほとんどである
この、何もかも「良い状態」のままはあり得ない、という世界で生きているという自体が、いかに虚しく、寂しく、美しいことか…と思えなくもない。
仏門はそこいら中にある、というけど、まさにその通りだ。
自分の怠惰から出しっぱなしにしておいた本や道具、そんな些細なことからも多くの学びがある。様々に、思考を展開することが可能になる。その辺りは前回までに書いた。
物事を考えるときにとても有効な思考方法、コツは、目に見えること、感じること、あらゆる全ての現象をまず「2通り」の捉え方に分ける、というものだ。
それはほとんどの場合、自分にとって「良いこと」であり、「悪いこと」でもある。そのように分類して考える習慣をつけておけば、何かを選ぶときの足がかりにもなるし、常に少し先の未来を意識することができる。
そうやって、前もって予測を立て、対策を考える。
選択をして自分の身に何が起きるか、どうなるか、それだけ考えておけば、間違うことはない。
もちろん、それは理論上であって、人間には「心(感情))があるからそこまで理性的にはなれないと思うが。
ただ、2つに分けられる、ということだけは事実で、それらを常に自分で選択している、ということを忘れないようにはしておきたい。
人生は、1度しか経験ができないし、その誰もが人生の最中だ。
たかが数十年の人生では、ある問題に対して、参考になるような確かなデータを持ち得ない。だからこそ、できるかぎりの予測や、負の循環に陥らないようにするための計算が、重要になってくる。その経験の浅さをカバーするために、勉強(読書なども)をして知識を増やす。
「予測を立てる」ということ自体、人間にしかできないことで、それは高い知性のなせる技だ。繋がった鎖のように、「こうすれば、こうなる」という連鎖的な想像ができる。
計算ができるということは、「数(数字)」や「概念」を理解できるということで、数や概念といった「具体的なシンボル」が理解できるということは、「対象と対象の間にある関係性」を理解できるということだ。
大量のそれらの連なりが、すなわち「世界」であり、その「世界」を個々人それぞれが持っている。人の数だけ世界がある。それは、それぞれの感受性や価値観、見えているものが違うからで、同じ世界に生きている人はいない。
そのことを、「孤独」と言い、
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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