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英語など知らなくても、出川さんは外国人と話せている、という風潮。問題はそこじゃないと思うが。

世界の果てまでイッテQという番組で、英語を話せないタレントの出川さんが、英語圏の国で目的地まで行くみたいなコーナーがある。
英語が話せる女性タレントが本格的な発音で出川さんに単語を伝え、ほとんど英語力が無い出川さんが外国人に質問をしながら、それに辿り着けるか見たいな企画だ。詳しくは知らないから、詳細は気にしないでほしい。

そこで、出川さんは、持ち前の羞恥心の無さを存分に発揮し、外国人に目的の場所などを聞き回る。ただ、英語が話せないので、知っている英語でとにかく伝えようとする。仕事だからやっているのだろうけど、恥ずかしげもなく押し進んでいく姿が、人々に勇気?を与えるらしい。
そして、全く伝わるはずがない単語を並べ立てることで、結果的にはその目的へと辿り着くわけだ。
この光景を見て、多くの日本人が「英語など話せなくても、問題は無い。こうして伝わるのだから」という感想を抱くようだ。あるいは、勉強をしてこなかった人々が「英語など、たかがそんなもの」と安堵するらしい。社会的な病質を感じる。人々は、とにかく安心がしたいのだ。

これを見ていて、僕が感じるのは、そもそもあれは出川さんの能力ではなく、親身になって接してくれる外国人の能力だろう、という点である。
人との会話というのは、もちろん言葉が必要ではあるけど、何よりも相手が自分を理解しようとしてくれる姿勢が必要になる。そういう誠実な姿勢があるから、人とのコミュニケーションが成り立つのだ。

人によって言葉の意味が変わったり、捉え方が変わったら、色々なところに齟齬が生まれたり、誤解が生じる。
ただ、事実として、コミュニケーションという枠組みで言えば、人間は言語でしか物事を具体的に伝達することはできない。これを尽くす以外に、方法は無い。
だからこそ、自分が使っている言葉の意味が正しいか、というチェックが大切だ。言葉は普遍的なものだし、明確に意味や由来がある。その意味が、使う人によって違ってしまったら、言語など成り立たないし、人とのコミュニケーションを取ることが不可能になる。そこを考えることが、対人関係における誠実さに繋がる。

日本でも、出川さんのように、皆に笑われて、その上で善人っぽい人が好まれる。僕がテレビをあまり見ない理由の一つだ。
下品な笑いというのは、人が痛い思いをしたり、ドッキリにあったりしている姿を笑うことだ。こういう話をすると、「いやいや、これがエンタメじゃないですか。真面目になっちゃってー」と突っ込む人もいるし、お堅い人だと言って引く人もいる。それはその人の感想だし、感覚なので、どうぞ避けてくださいと思う。ただ、そういうことを無意識に言ってしまえる人は、現実社会でも不意に人のことを笑ったりしているだろう。人間とはそういうものだ。

少なくとも僕は、落とし穴に落ちたり、異性に騙されたり、嘘をつかれたりしている人を見て、全く笑えない。それの何が面白いのかがわからない。でも、そのように「笑われている」人のことを賞賛し、持ち上げる文化がある。結果として好感度が上がり、しまいには、「あんな人でも人を笑わせているんだ。」というような穿った意見が出てくる。それを学校でやったら、おそらくただのいじめだと認識されるだろう。テレビなら「芸人だから」で済むのだ。
まぁ、面白さは色々ある。人によって違うと言ってしまえばそれまでだ。しかし、それは事による。今回は、ここに言及する回ではないので、この話はやめるが。

そういう彼が、英語をうまく話せないで、外国人に鬼気迫る様子を見ていると、僕はチャンネルを変える。その中でもたくさんの笑いが起きるが、うまく話せないことの何が面白いのかもわからないし、本人もまんざらではないという感じが面白くない。
外国人に堂々とプレッシャをかけて、大声で捲し立てているのを見ると、恥ずかしいなとさえ思う。日本人として恥ずかしい、というような恥ずかしい感情は持っていないが、単純に、人として恥ずかしい行為だなと感じる。

昔、一流サッカー選手のクリスティアーノ・ロナウドが、日本の子供からの質問を受けた時、その場にいる記者やカメラマン、つまり大人たちが、その子供の下手なスペイン語を笑った。これは、日本独特の「子供が頑張ってかわいいね」的な笑いだったのかも知れない。しかし、ロナウドはその光景を見て、「どうして笑うんだ?何が面白いんだ?彼のスペイン語はうまいし、ちゃんと意味も伝わっている」と説明した。誰かを笑う時、「なぜ笑うの?」という感想は、至極真っ当だし、とても自然だと僕には思える。
しかも、子供は下手なスペイン語を勉強してきている。真摯に、伝わるような言葉で問いかけようという誠実さを、彼は評価しているのだ。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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