なぜ勉強が続かないか。
今となっては、これは命題になっている。
もちろんいろんな要素があるので、一概にこうとは言えない。
ただ、今回は、その要素の中でも、影響力の高い要素を書いてみる。
小学生の頃、算数のドリルを解いているとき、「楽しい」と思った人はいないだろうか。
これに関して、多くの人が経験していることだと思う。
与えられた問題を解けたとき、人は楽しいと感じる。
単純な算数なら、ほとんど誰でもできるから、正解が導けて楽しい。
楽しいから、どんどん計算ドリルが進む。
もしかしたら、人より早く解こうと思って、スポーツのように励むかもしれない。
僕がそうだった。なぜかわからないけれど、計算をすることが楽しくて、気づけば誰よりも早く計算ドリルを解き終わる。
周囲の生徒たちは、「どうしてこんなわけのわからないやつが、この時間で終わるんだ?」みたいなことで、反感を買った。何しろ、僕は周囲の子供達よりもずっと見すぼらしく、もちろん貧乏な雰囲気で、親は学校に一度も来たことがない。
だから、気持ち悪がられたし、評価も受けなかった。
自慢したいわけではない。
僕はその結果、いじめられるようなことにもなった。大事なのは、この部分だ。
人は、たとえ楽しいことでも、別の経験や感情と結びついてしまうと、その楽しかったことまでも楽しめなくなってしまう。
むしろ、同じように楽しむことを遠ざける。傷つくことを恐れるからだ。嫌な記憶、過去の体験は、そうやって僕たちをガチガチに固めてしまう。
もっと言えば、本当は「誰かに勝ちたい」から、頑張っていたのでは無い。
「誰かに負けているのが恥ずかしい」から、頑張っていたのでは無い。
楽しかった、その結果として、上達しただけだ。
しかし、勉強はいずれ退屈になる。できないことばかりが増えていく。
特に、向き不向きがある。何も楽しくなかった、という人もいるはずだ。
それでも、誰しも、「あれは、楽しかったのではないか?」と思えるような要素が、少しでもあったはずだと僕は思う。
楽しいと感じていなくても、問題に向かうことに夢中になった瞬間は、きっとあるはずだ。
それを取り巻く環境が悪かったり、楽しさを感じられくなって、次第に面倒になる。
そうしている内に、他に楽しいことがいくらでも見つかる。
わざわざ難しい、わからない謎に立ち向かわなくても、楽しさはそこいらに転がっている。
ゲームだってそうだし、漫画だってそうだろう。
あちら側から、ちょうど良い楽しさを提供してくれる。
そうやって、自分のうちから湧き上がる楽しさが、一体どんなものだったかを忘れてしまう。
ここで問題なのは、「人は楽しいからといって、それに向かうとは限らない」ということだ。
例えば、楽しい対象がいくつもあったら、それを全て体験することはできない。なにせ、時間に限りがある。
もしあなたが、退屈でどうしようもない時間を抱えているなら、あるいは、仕事と生活の往復で「こんなことで良いのか?」という感情を抱えているなら、
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