哲学という言葉を使いたくない。あまりに使われすぎるし、それほど大層なこともしていない。
こういう活動をしながら色々と語っていると、「つきのまどは哲学に興味があるのではないか」という感想を持たれるかも知れない。
実際には、全く精通(エッチな方ではありません)していないが、「哲学的な人だな」くらいに思われることはありそうだ。
ちなみに、僕はカント(カントンの方ではありません)が何をしたかも詳しく知らないし、ショーペンハウアーが何をしたかも詳しく知らない。
孔子が何をしたかも詳しく知らないし、プラトンが何をしたかも詳しく知らない。
大学の哲学科に入る人なら、そういう有名な哲学者や心理学者についての知識は、皆それなりに持っているはず。いや、一般に興味がある人でも、これくらい超絶有名人なら多少は勉強している人もいるだろう。
そのことからも、僕がほとんど哲学という学問に精通していないことが理解されると思う。
人間は基本的に皆、哲学的だ。存在論、現象学的還元など、色々とあるが、人間存在自体が非常に哲学的な存在なのである。言っておくが、これは「人間が偉い」という意味ではない。
ものを考えない人などいないし、言葉を持たない人などいない。
言語を持つ人間は、皆、哲学が可能だと言える。
考えるにも、行動をするにも、言語的演算能力があるから、生活が成り立つのだ。
その中でも、特に「哲学的な人」と他者から思われる人がいる。
何か難しそうな話をしていたり、ある概念について自分なりの論理を持っていたりすると、そのように評価されやすいようだ。
まぁ、哲学とは言えなくても、少なくとも誰しも何かを「思ったり」「感じたり」している。それが、他者と似たり寄ったりの人もいれば、
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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