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容姿を気にするのは、正常な感覚です。

自分や人の容姿について、意識をすることがあるだろうか。
哲学では、「容姿を気にしてはダメ」みたいな論がある。容姿に捉われ過ぎては、本質を見落とすということは、確かにある。そこに関しては、同意だ。
ただ、いつも言うように、「そこに問題がある」と気づいていることが重要で、そういう感覚や感情を持っていること自体は、さほど悪いことではない。
人間は、ある方向を見ていれば、その方向以外は絶対に見えない。実際に山を見ている時、後ろの海は見えないのと同じだ。
何かを意識する、気にするということは、他の何かを意識しない、気にしないということだ。何かを得る代わりに、何かを失うというのは、人間の真理だから、何をするのも自由だけど、その事実だけは覚えていましょうねというお話。

何事に対しても、「こうすると、こうなる」という道理を理解しておくことが大切だ。
そういう意識を同時に持つことで、何かがあった時に素早くカバーできるし、凶兆の雰囲気を察知することもできるだろう。
欲求に「遊ぶ」のは良い。ただ、それに飲み込まれて、自分をすら見失ってしまうような状況にまで陥ることが問題なのだ。
これが俗に言う、「病む」という状態である。

若い時は、老人と比べて容姿を意識する傾向にある。特に、女性の方がこの意識が強いのではないか。
メディアは芸能人の「容姿」を毎日のように褒め称えるし、過剰に演出する。綺麗になりたり、可愛くなりたい、という感情を刺激する文化が、そこかしこに存在する。プリクラやカメラアプリだって、いかに事実を写さず、より時代的な綺麗さや可愛さを演出できるかが、競争の根幹となっている。
今や、そのままの自分でいることを望む人は少なく、「別の何か」になりたいと考える人が多い。
ズレているなとは思うが、そう考えるのも仕方がないと思える社会だ。

これは、僕の主観ではなく、ただの事実として聞いてほしいのだが、生まれ持って容姿端麗な人はいる。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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