あなたの思考は分散型?それとも、収束型?
それなりの進学校に通っている高校生の中で、5年に一度くらい速算の才能を持った生徒が現れる。詳しい統計はわからないが、僕の感覚ではそれくらいだ。
数桁もある掛け算を即座に計算して、解くことができる。そういう能力。
僕も一般的なレベルで比較すれば、速い方ではあると思うが、才能と呼べるほどのレベルではない。言うほど速くはできない。
大学の工学部に入ると、同じ学科の中にこのタイプの才能を持っている人が一人や二人は見つかる。正直、それが何の役に立つのかと言われると、ほとんど要らない能力だとは思う。電卓よりは少し速いくらいだと思うが、だからと言ってそれで人生が変わるとかそんなことは無い。
電卓の場合は、ボタンを押す時間があるので、その分ロスしているだけ。
大体、人間の種類は何かにつけて2種類に分けられると思うが、思考のタイプもそうだ。
計算が速い人の思考はいかにも「計算的」で、ある対象とある対象の相関について考え、物事の解答を導き出す。1+1は2というような感じで、順序や筋道を重要視しているし、経緯がわかりやすいと感じる。
「考える」という言葉でを見て多くの人が連想する思考の方法が、これだと思われる。
まず、今具体的に見えている問題、対象について考え、どうなるかを予想する。その上で、何が必要かと思考を転換し、方法を得る。生み出そうとする。「まず、どこから考えようか」と思うよりも先に、すでに見えている問題や、具体的な事柄から推測していく感じだ。
建設的な思考というか、積み上げていくイメージもある。
おそらく、多くの人の考え方が、差異はあれどこれだろう。もちろん、計算の速さは人それぞれだし、そのコツを知っている人と知らない人でも差が出てくる。
でも、カテゴリとしては同じだろう。こういう人を「収束型」と僕は勝手に呼んでいる。
皆にどう思われているかは知らないが、僕はこのタイプでは無い。
僕は自分の思考のタイプを「分散型」と呼んでいる。
分散型は、物事を段階的に考えてはいない。少なくとも、僕はそうだ。
例えば、収束型の人は、シリーズ物の漫画や小説を1巻から順番に読もうとするのではないか。
僕は、必ずしもそうではない。連載漫画は順に読まないと面白くないけど、小説なら3作目を読んで、次に1作目を読んで、という読み方をしたりする。もともと読書を趣味としている人口が少なすぎるせいか、小説では一般の人が入りやすいように、どこから読んでもある程度の雰囲気が掴めるように書かれていることが多い。
僕は、そういう順番が気にならない。分散型と表すように、順序に沿って理解していくよりも、全体の雰囲気で徐々に理解していこうとする。
計算すれば、今すぐに「出せうるだけの解答」は導き出せるが、それで全体が解決するわけではない。今の時点での安心を得ることはできるかも知れないが。
しかし、僕はその安心によって、選択肢が固定されてしまうことを避けようとするタイプだ。
具体的に考え込むよりも、思考を分散させて、ぼんやりと全体を眺めようとする方向に思考が働く。
もちろん、どちらにも利点はある。どちらが良いという話ではない。
ただ、僕は僕のことしかわからないので、その視点から言えば「思考の飛躍」が起こりやすいのは、「分散型」かなと感じる。
一つ一つ積み上げていく思考だと、やはり選択肢が限られてしまう。そこが、収束型のデメリットかも。そういうことに気をつけることで、より良く洗練されるだろう。
無知でいることよりも、自分は無知なのだと知らないことで人間は賢くなる。自分の思考がどちらか考えれば、それに足りないものが見えてくる。人間の人生には正解など無い。自分が持っている道具が何か、それをどのように使うか。そのためには、まず少しでも自分を知ることが大切だ。
収束型の人は、とにかく「こうと決めつけないこと」が大切。
しっかりと考えたのだから後悔はしない、と思える時も、それにしても思いもよらないところに答えが潜んでいることもある。
「1+1だから」と考えてしまうと、答えは2しか無い。算数の勉強ならそれで正しいが、人生における問題は、1+1が2になることばかりでは無いのだ。
1と認識していたことが1では無いこともあるし、その裏に隠れている思惑もあったりする。人間関係なんて、この連続だろう。
こちらの認識と相手の認識が、全然違うことばかりだ。1だって、他の人の言う1とは違うはず。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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