180度の変化は、簡単。微細な変化程、難しい。
久しぶりに何か意味がありそうなことを書きそうなタイトルだが、例によって、特別なことは何も書かない。
タイトル詐欺というほどではないと思うが。
人間が変わる時、白が黒になるのは比較的、簡単だ。
つまり、逆のことをし続ければ良い。
周囲からもその変化は見分けやすいし、この人は変わったな、とわかりやすい。
当の自分も、どの方向へ思考すれば良いか、行動すれば良いかを見つけやすい。
右に行っていた人は、その逆の左を選ぶ。二者択一の問題に持ち込めるから、非常に簡単だということ。
二者択一の選択ほど、人間にとってわかりやすいものは無いのだ。
ところで、誰しも「自分はいつまで経っても変わらない」と落胆することがあると思う。
あれだけ決意をして、意識をしたのに、どうにもその変化を捉えづらい。
それはなぜかと言うと、目指す方向性、その角度があまり大きくない。つまり、今まで見ていた点から、次に見ようとする点までの差異が小さいということだ。
世界が180度変われば、周囲に見える物も目に見えて変わってくる。
少しだけカメラを向ける場所が変化しても、風景が大きく変わることはない。
だから、自分が立っている場所も、考えていることも、あまり変化を感じられない。
人が何かに感動した時や、自分に影響を与える出来事があった時、そのショックだけで色々な物の見方が変わったり、価値観が変わったりすることがある。
ショック療法のように、外界からの刺激によって簡単に変わってしまう部分は、確かにある。
そこから色々なことを吸収し、本来の自分が矯正されていくような経験は、僕にもある。
一つのことから何を学ぶからどれだけのことを学ぶかは、人それぞれ違う。
その学びの度合い、深さによって、完全に変化するかどうか決まったりする。
だから、あまり学ばない人は、形状記憶メガネのように、元の自分の姿に戻っていってしまう。
でも、それは本当に元の自分だろうか。
少なくとも、折り畳んだ跡や、何か器具を嵌めていた跡のようなものが、残るのではないか。
シャツの皺のように、焼けて皮膚のアザのように。
だから、変化したいと思っている人は、その景色が変わらなくても、微細な変化を繰り返しているはずだ。
何かをわかったつもりになったり、色々なことにチャレンジをして少しでもうまくいったりすると、「自分は変わった」と思えることがある。
それは「変わった気になっているだけ」だとしても、確かな変化だと思う。
心というのは伸びたり縮んだりする物だから、少なくともその瞬間は、
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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