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謝らせる文化。でも、謝罪って誰でもできるだろう
何かにつけて謝る人が多い国だ。
政治家も芸能人も、一般社会でも、ことあるごとに謝罪を要求したり、とにかく謝ろうとする。
ただ誰かに許して欲しいのか、謝る、謝られることで何か得をするという魂胆なのか、ちょっとよくわからない。
僕は子供の頃からよく、「謝りなさい」と言われてきた。老若男女さまざまな人々に、「謝ることの大切さ」を説かれてきたのだ。
どうやら、謝ることと素直さは一体で、子供や若者に必要な能力とでも言うように、ひどくプレッシャを与えられてきた。なぜ謝らなければならないのか、明確な道理を教えてくれた人は居なかったが、とにかく「人間というのはこうでなければならない」という謎のモデルがあって、それを押し付けてくるのだ。
そのモデルについて、ちゃんと言語で伝えてくれれば理解もできるだろうが、その理想のモデル像もそれぞれに違うようで、いかにも適当である。
実のところ僕は、人に謝ったことがほとんど無い。
明らかに、人に対して危害を加えたときは、相手によっては仕方なく謝ったし、便宜上の「気休め」に従おうと思えたけど、ほとんどの場合、僕は謝ることをせず生きてきた。
そして、誰かに謝って欲しいと思ったことも無い。
虐待、いじめ、友人知人恋人、家族との喧嘩、など色々とあると思うけど、人々を見ていると、
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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。
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