自分にとっての自由とは何かを考えよう

僕は、名誉や名声、お金もさほど欲しいと思う方ではない、と思う。
一人でチビチビと生きていけたら、それで良いくらいにしか思ってない。
ただ、仕事はある程度、自分に合ったものが良い。
何かわがままがあるとしたら、それくらいだ。

もちろん、老朽化が進みすぎた家に住みたくないとか、少し欲しいものが買えるくらいのお金があると良いなとか、それくらいの欲求はある。
しかし、実のところ、僕にはあまり欲しい物もなければ、したいこともないのではないかと思う。
本当にしたいことをやっている人は、動画活動などを始めたりしないだろう。時間の管理を徹底的にこなしているはずだ。

そういう意味では、僕は迷走していたのだ。
ある程度の年齢になってきて、過去の人生についての考え方が変化したり、社会に対する意識が変化したりしてきた。
その中で、自分が前に出て、人々に何かを伝えられるかもしれない、と壇上に立ってみた。非常に低く小さな壇上だが、目に止めていただいたと言う意味では1万人くらいの人が動画を再生してくれたのではないか。

その中で、登録をしてくださった方は300人ほど。コメントをくださる方が、数十人。定期的にコメントをくださる方で言えば20人もいないだろう。
生配信に来てくださる方は、10人前後である。
まぁ、箸にも棒にもかからない人数しかいないというわけだが、それでも誰かの時間を使わせたのは事実だ。
時間を使わせることの責任を考える、良い機会になった。
もちろん、退屈だと思う人は簡単に見なくなるし、

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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