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スキゾイド小学生の学校生活③ 【自転車が無いからか、有酸素運動に長けてたのかも】
(画像は、発売当初やっていたどうぶつの森です。今は、スイッチが壊れたのでやってません)
なぜかはわからないが、走っている時は比較的「楽しい」と感じていたように思う。自転車を持っていなかった、というのもその要因か。
単に走った方が目的地に到達するのが早いので、それを楽しむことにしたのかも知れない。
例えば、家から図書館に行くのも、日によっては走っていた。
短距離走のように走るというよりも、持久走的な感じだ。
楽しい、と言うと少し違うかも知れないが、山を登っている感覚に似てるかなと思う。もしかしたら、自分を追い込んでいく感覚が、少し楽しかったのかも知れない。山を登るのも、好きだ。
もちろん、プロアスリートになるような気持ちも無いし、どう足掻いてもそんなものにはなれなかったと思う。
ただ、自分の中では、自分自身を酷使するということには慣れている、という感覚があった。
これは、育った環境のおかげだろう。
もちろん、もっと悠々自適に暮らすことができたら、その方が良かったのだろうが。
とにかく、子供の頃の僕はよく歩いたし、よく走った。
学校の体育の授業で、校外と校内を含めた10キロのコースを走る、というものがあったが、その順位はいつも高かった。
大概の男児は、生活の中で運動をすると思う。友達と遊んだり、習い事をしたり、幼い頃は家や公園で遊んだと思う。
しかし、僕はそういうことが全く無かった。人の何倍も走っていたので、体力がついたのかも知れない。
その10キロのレースは男女で分けられていて、男子が走っている時、女子は適当に沿道などで応援している。
走っているところを応援されるのがどういう気持ちなのかはわからないが、恥ずかしい、良いところを見せたい、みたいと思う男子が多かったようだ。
僕は、5年生くらいまでは何をするにも舐められていたので、走りながら邪魔をされたり、辱めを与えようとされることが多かった。
ただ、馬鹿な子供というのは、その辺りのペース配分を計算していないので、すぐに疲れて結局は恥ずかしい思いをすることになる。
人を貶めたり、いじめるにも体力が必要だということだ。
殴り合っても、最終的には体力がある人が勝つのではないか。力の差があまりに大きいとダメだろうが。
そもそも、僕は誰かに勝とうとか、ましてや目立とうなんて考えたことは無い。だから、適当に流して走っていた。
小学生に10キロ走らせる、ということ自体も結構おかしいと思うが、それくらいでは僕は疲れなかった。
大会は3回ほどあったが、どれも10位以内だった。
そのせいか、学外のクラブからスカウトされたり、生徒から一定の評価を受けることもあった。
だからと言って、僕の学生生活が楽になるとかそういうことは全く無い。
スクールカーストは本当に強固で、人間がいかに長いものに巻かれやすいものか、そのことがよく見える子供時代だった。
「一人はみんなのために」はある意味で正しいと思うが、「みんなが一人のために」はほとんど通用しない。ひどい話だ。
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