時間を作り出す。規則性を作り、牙を研ぐ。そして、自分の時間を確保する。
僕の人生の前半には、ほとんど余裕が無く、自分の時間などというものは確保できなかった。
その要因は、親のせい、環境のせいだった、と言える。
自分の人生を人のせいにしていていいのか、と何度も自問自答したが、これに関しては言い切っても良いくらいに、事実かも知れないと思えるようにはなった。
まぁ、それでも100%そうだとは言い切れない。
色々な人がいるが、優れた能力を持った人間が稀に存在する。そういう人種からすれば、あのような環境でさえも、当時の僕よりも高く飛べたはずだ。
実際に、「すごい人、すごい奴」を合計で5人くらい知っている。自分の状況を彼らに置き換えて想像してみると、「こいつらならやりそうだな」と思えるほどの高度な才能を持っているのだ。
だから、親の影響はあるが、全て両親が悪いとは思えない。もっと上手くやれただろうと今でも思う。
兎にも角にも、時間は大切だ。どれだけお金があっても、時間は買えない。人生で最も重要なものは、時間だ。これ無くしては、何にもならない。
人付き合いにおいても、自分の時間と両立できなければ、誰しもが病んでしまうだろう。
僕は、高校を卒業するくらいまでは、全く自分の時間を生きられなかった。実家にいるときは、とにかく苦労の毎日だったし、心が荒んでいくばかりだった。ほとんど悪人にだったのでは?と思えるほど、殺伐とした人格だった。
そして、実家を出てからは、そういう自分を変革するために時間を費やしたし、何よりも生活に追われすぎていて、常に忙しかった。その時期、家でどんな風に過ごしていたかを覚えていないくらい、とにかく忙しかった。
今思えば、いつ寝ていたのかもわからない。
なぜ、人は少しでも自分を良くしようとしたり、自分の人格を矯正していかなくてはならないのか?
それは、「時間」を確保するためだと言っても過言では無い。
自分の精神を自立させなければ、色々なコンプレックスに苦しんだり、人々との付き合いばかりに忙しくなったり、己の欲求に突き動かされ続けたり、そんな雑事にばかり気を取られてしまう。
そうして人は、多くの時間を失う。
多くの時間を失うということは、それだけ歳を取るということで、着実に人生の時間は減ることがわかる。
人生を通して、「確かなこと」「本当のこと」は少ないが、人生における「与えられた時間」だけは、誰にも明確に認識できる。どう感じるかは人ぞれぞれかも知れないが、限りなく普遍的な概念だ。
色々な哲学や宗教が、この問題を解決しようと奔走しているが、どんなに立派な理屈を持ってきても、いずれ人生は終わるし、その後、特別に何かが用意されるということは無い。
だからこそ、とにかく時間を大切にしてほしい。そう切実に願っている。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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