書を捨てよ、町へ出よう

という本がある。
色々な捉え方ができると思うが、意図するところはわからない。「快活に、行動しよう」に近いかも知れない。
「本ばかり読んで頭を言葉でいっぱいにするのではなく、実際の現象を経験して、肉体で感動をしよう」というような皮肉でもあるか。

ところで、僕は町に出ても、楽しいと思うことはほとんど無い。
年々その感覚は減っていて、今ではほとんど皆無になった。想像通りの刺激が待っているだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
こんなことなら家にいれば良かった、と思うわけだが、やはり旅行などとなると少しは楽しい。
かと言って、旅行に行く暇など無い。

そもそも、家で過ごしていることが楽しい。365日やることがあり、暇だと思うことは全く無い。もし、暇だと思うようになっても、自分が楽しめることを探して、新しいことを始めるだろう。
僕は、新しいことを始めることに、全く抵抗が無い。どんなことが起こるだろう、そのワクワクだけだ。

しかし、どれだけ新しいことを取り入れても、それが同じ楽しさとして定着することは、ほとんど無い。新しいことを始めても、想像を超えるような楽しさに出会うことが無い、ということだ。
別に新しいことを始めなくても、やっていることはあるのだから、それだけで楽しんでいればいい。でも、なぜか気づくと、さらに他の楽しいことを生活に盛り込もうとしている。
何の理由もきっかけもなく、ただただ人格の中に「楽しいことを探す」「新しいことを探す」という欲求が含まれている。
これは、自分でも止められない。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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