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大切なものは物質ではなく、頭の中にある。
犬や猫を飼っていると、何かを壊したり破ったり、粗相をして敷き物などが台無しになることがある。
動物を飼っている人と話すと、「大変だよねー」という愚痴をこぼしたりする。(僕はしない。)
ご近所の家族がコンピュータやネットワーク関連に疎くて、「助けてくれ」と呼ばれることがたまにある。そうすると僕は素直に出向いていって、問題を解決する。道具としてうまく活用されているのだ。
僕も元々知らない土地で色々とお世話になったので、それは一向に構わない。僕は人に施しを受けると、意外にもずっと覚えている。だから、僕に恩を売っておくと何か良いことがあるかも知れない。(と、自分を観察していて感じる。)
ところで、その家庭でも犬を飼っているのだが、犬がしてはいけないことをして飼い主が怒っているところを見かける。人がしつけをしたり、叱っているところを見る経験はそうあることではないので、興味深い。
そんな時に「僕とは違うな」と感じるのは、犬や猫が壊した物や汚した物が「使えなくなってしまった」ことに怒っているのだな、という点だ。大切にしている物なら尚更、ショックを隠しきれないという感じか。
僕も今まで、数々の大切な物を破壊されてきた。
気に入っていたウェッジウッドのティーカップや、ドームのランプ、苦労して作った力作のジオラマなど、多数ある。貧乏な時代に頑張って買った物だったり思い出深い品々である。
しかし、意外にも僕はそういう時にあまり怒らない。人間相手なら、年齢によっては怒ると思う。
つまり、その価値、この場合は価格ではなく、僕がどれだけそれを大事に思っているかによって決まるのだが、彼らにはそれが理解できないのだ。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
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