衒い(てらい)は捨てよう。きっと盲目になってしまうから。

巷は、野球の話題で賑わっているようだ。
僕の周囲でも、「野球、すごいですよね」という声がいくつも聞こえてくる。何がすごいのか僕にはよくわからないが、高校野球よりは面白い。プロだから、プレイが洗練されていて深い。当たり前か。

ところで、そのような話になると、妙に専門的なことを持ち出す人がいる。僕の職場の女性がそうなのだが、この人は、こういった世界的なスポーツの祭典や大会になると、妙に饒舌になる。
これも、この人が普段からスポーツの話題に興味があるようなイメージなら「まぁ、好きなんだろうね」と納得もいくのだが、スポーツを観戦しに行ったり、休日に何かスポーツをやっているという話題は、一度も聞いたことがない。
オリンピックやW杯の時期になると、急にスポーツに興味を持つのか、動向を常に気にされている様子だ。
そういう姿を見ると、「え、この人、普段からそんなにスポーツに興味がある人には見えなかったけど」と感じる。
おそらく、テレビで見ているのだろう。それにしても、普段はそういう話を一切しないので、つまりは「ミーハー」ということか。
もちろん、それはかまわない。楽しめることがあって、微笑ましい。

ただ、いつもこういう時期になって、その話を聞くともなく聞いていると、非常に浅い知識を並べているな、と感じる。
例えば、最近では、「日本代表のある選手が、メジャの〇〇というチームにいる」という話をしていた。その話の印象では、「それはすごいことだ」という感情が見える。
ただ、僕はそういう話を聞くと、「この人は、そのチームがアメリカでどれくらい強いのかを、わかって言っているのか?」と思ってしまう。「そんな話をするくらいだから、よっぽど詳しいのだろうな」と思考を展開してしまうのだ。

もし僕がその会話に関わっていたら、まず「そのアメリカのチームって、どれくらいすごいチームなんですか?」と聞くだろう。あるいは、「〇〇さんは、メジャの野球までチェックしているのですか」と聞くかもしれない。
もちろん、揚げ足を取ろうとか、そういう全く悪気はない。会話の流れとしては自然だと思う。
聞かれて困るというほどの話でもないと思うけど、僕なら聞かれてわからない話はしない。
具体的なことを聞くと、「そこまでは知らないです」と言っていつも笑っているので、非常に独特な感覚になる。
なぜ、知らないことをそんなに楽しそうに話せるのだろう?

じゃぁ、知らないことを会話するのは悪いのか?と思う人もいると思うが、そういうことではない。
ただ、この人の場合は、「まるで、そのことを詳しく知っているかのように」話す。僕は野球には全く詳しくないが、考えればわかることはあるから、試合の戦略にせよ、選手の行動の意図にせよ、なんとなく想像した上で、質問をする。
そうすると、相手はほとんど何も知らない、ということがわかるから、「今まで話していたその感じは、なんだったんだ?」という感情になる。

noteに書くほどの話題ではないように思えるが、実は、この人の口癖は「そうそう」というもので、これに関して前から気になっていた。
話していると、ところどころに「そうそう」という相槌のようなものが入るのだが、

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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