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ゲーム開発の道標(企画から完成まで)その4・ゲーム情報をデザイン担当へ

こんにちは「つけらっとゲームス」プログラム担当のとちです。

※この記事は「ゲーム開発の道標(企画から完成まで)」の「その4」に当たります。前回までの記事を読んでいない方は「まとめ」👇からどうぞ!

前回の「その3」ではゲームに登場させる各種情報を収集し精査しました。これまでも何度か書いてますが、わたしは歴史の専門家ではありません。小さな開発規模でゲームを作っていますので、歴史の先生に時代考証してもらうようなお金もありません。

自分たちで何とかするといっても戦国期の津軽の情報は「南部家」と「津軽家」の正統性アピール合戦でお互いの主張が食い違います。なので少し調べると出てくるような情報からイメージできるモノを採用しています。

今回は「採用した情報」を「ゲームシステムに必要なモノ」を描いて貰うべくグラフィック担当にバトンタッチする際のお話となります。

プログラマと同様にパソコンに向かってする作業ですが、やっぱり違いますよね…


武将グラ制作の情報を引き継ぎ

後に「津軽為信統一記」と名付けられるゲームの主役は「津軽為信」です。その「為信はどんな人なのか?」をチーム内で共有できるように様々な資料を作りました。

大浦(津軽)為信の出自相関図

津軽と名乗るのは、南部氏からの津軽独立や津軽統治の正当性アピールだったりするので、当初は家督を引き継いだ大浦姓を名乗っていた為信。

「南部家からの独立を果たす」とは言っても、そもそも南部家とはどんな繋がりだったのか? 諸説ありの微妙さ具合ですが、このゲームではこの説で行く……それをまとめた資料となります。

大浦(津軽)為信の出自相関図

為信が津軽地方で活動を始めた頃の南部家の当主は南部晴政。ゲームに登場する南部(石川)信直との関係悪化が原因で、実は為信勢力に力を貸していたという話もチラホラ見えたりしますが、ゲーム内ではそこまで詳しく語らないことに……複雑すぎる。

大浦(津軽)為信の勢力遷移表

こちらの表は為信が「どうやって勢力を拡大していったのか?」をまとめたモノです。これも諸説ありなんですけど、とりあえずはこの表を軸にして作業を進めていきます。

侵攻(解放)順序をわかる範囲で… 勢力遷移表

表の中で城主(城代)を気にしているのは武将札を増やすべきか迷っていたからです。重要な役割を果たした武将はなるべく登場させたいですからね。

城郭候補の位置関係図

こちらは武将のグラフィックとは直接関係ないですが、ゲームの舞台となる津軽地方の城郭の位置を表したモノです。

「どの城に誰がいたのか?」の位置関係も情報としてあったほうがいいかなーと思って作ったモノですね。

城郭候補の位置関係図

この画像ファイルの他に城郭についてのメモ書きもありました。
以下はそのメモ書きです。

◆堀越城
石川城を攻める際の前線拠点として機能していたと思われる。
その後、津軽統一の為の軍事拠点として機能するが、関ケ原合戦の混乱に乗じた反乱により乗っ取られる。弘前城(高岡城)築城の際に廃城となるが材料として使用されているのでは?

◆金木館
築城年代は定かではない。天正年間(1573年~1592年)には対馬右衛門太郎がいて、天正16年(1588年)に津軽為信の飯詰城攻めたとき道案内をした人物とされる。また、それ以前には浪岡城北畠氏の家臣金木弾正忠が居たとも云われるが定かではない。

◆種里城 大浦氏の拠点として登場させたいけど…
◆赤石城 種里城の北側を守るための支城か?
◆深浦館 天正年間(1532~1555)に大浦氏の攻撃を受けた?

◆石川城(=石川高信)
◆大光寺城(=滝本重行)
◆田舎館城(=千徳政武)
◆浅瀬石城(=千徳政氏)
◆浪岡城(=北畠顕村)
◆油川城(=奥瀬善九郎)
◆横内城(=堤弾正左衛門)
◆飯詰城(=朝日行安)

武将の人物像

グラフィッカーにとって最も大事な情報はこれだったと思います。為信の家臣やライバルたちがどんな人かをまとめたテキストファイルも参考資料として渡しています。

すごく長くなるのでココでは「津軽為信」「千徳政氏」を例にします。

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津軽為信(=つがる ためのぶ)
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生没年:1550~1608年

元亀1年(1571)5月 5日?
堀越城より出撃し石川城を攻略、石川城主の石川高信は自害

天正2年(1574)8月13日?
大光寺城の攻略に失敗

天正4年(1576)1月 1日?
大光寺城を攻略、城代の滝本重行は小港口(平内)から南部へ逃亡

天正7年(1579)7月--日?
六羽川合戦
(vs 比山六郎・七郎[安東勢] 滝本重行[南部]・北畠顕則[浪岡北畠])辛勝

【出自】(諸説あり)
為信の父は南部一族で下久慈(現:岩手県久慈市)の城主・久慈備前守で母は九戸政実の妹とも言われる。母は備前守の後妻に入ったが、政実の死後、先妻の嫡子が城主となって虐待されたため、為信14歳の頃、大浦城(現:青森県弘前市(旧:岩木町))の大浦為則に身を寄せた。

大浦為則は為信の伯父にあたる人物とされており、南部家に属していた。
その娘に為信と同い年の阿保良(おうら、またの名を戌姫)がいて永禄10年(1567)3月に結婚。その翌月、大浦為則が亡くなり為信が大浦家を継いだ。
大浦為則は生来病弱で執務を家臣に任せていたとも言われている。
津軽藩祖である。

【外交】
本州最北の地にいながら中央の情勢には気を配っていたと思われる。
弥彦神社と羽黒山への参詣として最上義光(山形)を訪ね、交友関係を築き諸国の情報を貰うようになる。

主役である為信についてはかなり詳しく書いてました

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千徳政氏(=せんとく まさうじ)津軽側
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生没年:????~1588(1597)年

主家である南部家を裏切って津軽為信と同盟を結び、その津軽統一に協力した人物と書かれている。

天正13年(1585年)4月、南部家への反逆に激怒した南部信直の命を受け、名久井城主「東政勝」を大将とする3000の軍勢が浅瀬石城を攻めるもこれを撃退した(宇杭野の合戦)

同年5月、兵600を率いて為信と共に田舎館城主の千徳政武を攻め滅ぼした。
後に子の政康が居る浅瀬石城を為信に攻められて滅んでいる。こちらの説では1588年没。

堀越城に呼び寄せられ子息共々殺害されたとし、政氏の三男・城之介の四歳の子供は家臣と共に南部へ落ち延びたという説では1597年没。

政氏の次代の話も含めてメモってますね

各武将のこういった情報をテキストファイルにまとめて資料としました。武将によっては調べてもあまり情報が無い人もいるので…そこは申し訳なかったです。


武将ラフが戻ってきた!

というわけで、例に挙げた「千徳政氏」のラフがキャラデザ担当の須藤むらから戻ってきました。画像を拡大すると政氏のエピソードに則した要素を盛り込んでくれたことがわかります。

千徳政氏、南部側からみると裏切り者ですね…

少ない情報からイメージを膨らませてくれました。
寝返った人だからコウモリと言われると「なるほど、そうきたか!」となりますよね。

ゲームの舞台が戦国時代ということで、それぞれ武将たちは着物姿だったり甲冑姿だったり、そのへんの資料を探しながらのキャラデザだったようです。ありがとう!


ゲームシステムに必要なモノ

武将のデザイン画があると少しテンション上がりますよね。
しかし武将グラフィックだけでゲームは表現できません…ボタンや枠といったUIも大事になりますよね。その前にそもそもUIとは?

ユーザインタフェース: User Interface、 UI)または使用者インタフェースは、機械、特にコンピュータとその機械の利用者(通常は人間)の間での情報をやりとりするためのインタフェースである。

Wikipediaより一部引用

合戦シーンのゲーム画面のスクリーンショットを参考にすると…

合戦時のスクリーンショット

・両陣営の対陣距離を示す【遠距離(近距離)】アイコン
・合戦を即時終了させる【退却】ボタン
・戦況を確認する【戦況】ボタン
・山札の残数を示す【山札残り】枠
・ターンを進める【軍配】ボタン
・ガイド(軍師)役の【顔】アイコン

カードゲームだからカード(札)のグラフィックが必要なのはわかりますが、カード以外にもたくさんの要素が必要になりますね。

他にも画面上下の【雲】や画面の下地になってる格子状の【背景】、カードの【背面】なども必要です。

画面上下の【雲】は必要なのか?

合戦シーンのスクリーンショットのアスペクト比は(2:3)です。これはiPhone4までの比率です(さすがに今でも使っている人はほぼいない)

iPhone5以降になると(9:16)となり、最近のスマホでは(1:2)だったり、それ以上に縦長だったりします。

タブレットですと(3:4)だったり(1:1.44)だったりと使われる端末で変化します。それぞれのUIの位置を変更する方法もありますが、このゲームでは雲を上下させることで不要な部分を隠したり、画面遷移などの演出に使用しています。

UIを作ってもらう

UIに関しては開発最終版まで何度も修正をしてもらいました。担当したのは茶樫てるです。武将とは異なり逸話などの資料はありません。わたしの手書きのメモや下図からイメージを膨らませて貰いました。

仕様書「合戦のカード配置図」

ゲーム画面がある程度完成に近づくと配置の再調整があったり、仕様変更など大変な作業だったと思います。

仕様変更と言えば

合戦終了時の「戦闘評価」は当初予定のない仕様でした。合戦後の画面遷移が少し寂しいので急遽追加した仕様です。
急な追加にも対応してもらえて助かりました。ありがとう!

巻物型の台紙を用意して貰いました
判子(プログラムで大きさや評価、表示位置を変更しています)
組み合わせるとこんな感じです!

音楽もお願いする!

ゲームというのはグラフィックとプログラムだけで動いているわけではありません。音楽が無いと寂しい。そこで音楽を作れる方にゲームのイメージやどんな場面で使われるのか、どんな曲を流してほしいのかを伝えて作曲していただきました。ふわっとしたイメージしか伝えられなくて申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、届いた曲は素晴らしい曲ばかり。

曲だけでも皆さんに聞いて欲しい、そんな名曲揃いです。
吉岡竜汰さん、ありがとうございました!

情報のやりとりは進捗管理のwebアプリを使ってました。
いまは、そのwebアプリを使っていないので当時の情報は無くなってしまったのですが、以下のような一覧にまとめていた記憶があります。

こんな感じのイメージ(実際のwebアプリでやりとりしていた内容とは異なります)


「大河ドラマ」や「信長の野望」のオープニングのイメージでお願いしたタイトル画面の曲。

大河からは「風林火山」か「天地人」を参考にお願いしたような記憶(いや、そのどちらもか?)もしかしたら個人的に好きな「独眼竜政宗」も?
※最近だと「鎌倉殿の13人」OPもカッコいいですよね~

「信長の野望」シリーズのサントラCDからもイメージとしてはコレが好きってのがありまして…覇王伝の「覇王序章」「臥龍」が好きなんですよね。

実はPC98版の武将風雲録のOPムービーも好きで「津軽為信統一記」のOPの武将紹介は武将風雲録リスペクトなんですよ。

というワケで、何曲も作っていただいたBGMですが「大河ドラマ」や「信長の野望」のBGMの要素が入っていたりするのです。

OPには三味線の音が入っています。津軽三味線のイメージですね!

次回に続く

記事中ではスクリーンショットを使って例をお見せしていますが、実際はグラフィックがあがってきてもプログラムがないと動きません。プログラムは同時進行で作っているので、実際にはまだ正常に動いていなかったり、動いていたとしても一部分だったりします。

次回はプログラマーとして、どんな感じに作っていたのかをお話できればと思っています。

ようやく徐々に姿形が見えてきた「津軽為信統一記」この先どうなるのか?
次回へと続きます。
そんな「津軽為信統一記」が気になった方はコチラからどうぞ!

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