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猿場つかさ
2022年5月22日 07:42
初期仏教の阿毘達磨によると、時間は未来から現在、そして現在から過去に流れるのだという。水か高いところから低いところに、あるべき場所へ向けてなんの意図もなく流れていくように、わたしの運命が未来のどある地点でふっと湧き出して、それはネットカジノにハマる神の悪戯かもしれないし、あるいは観音さまの慈悲かもしれないのだが、とにかく湧いて、とにかく流れてくる。 それは察するに認識論的な時間感覚の話で、