祖母に会う。

93歳の祖母に会いに、大阪の施設に面会に行った。
祖母は化粧品や美容の世界にいた人なので、見た目は歳の割に若い。
半年に一回ぐらいのペースで会いにいくが、とはいえ老化のペースは進んでいた。

少し痩せ、全てが遅く、笑顔に変化するまでに一瞬迷いもあった。認知症も進んでおり、93年分の膨大な本棚から記憶の資料を見つけられないような様子だった。
意思だけが年老いた体の中に包まれていて、時間の先には死もあるんだろうなと予感させた。

帰り際、エレベーターの中、窓に向かって目を見て手を振る。一階に向かうエレベーターの窓からは、まるで祖母が空に昇っていくようにも見えた。目が途切れる瞬間まで、笑顔で手を振ってくれた。

昔、祖母の家に行って帰る時、車が見えなくなるまで手を振ってくれた。親の車の後部座席の窓から、祖母が見えなくなるまで手を振った記憶がフラッシュバックした。

必ず人は死ぬ。その中に祖母もいる。
それはとても寂しく、切ない事だ。
こうやって文字に吐き出したとしてもその温度は不思議と変わらない。

感謝と後悔が湧き上がる。
そして祖母のいなくなる世界を想像すると、それを受け止めようとする勇気は怖くて震えている。

数え切れない命のサイクルは、この一瞬でさえ行われ、無情にも息を吸うように時間は流れている。のにも関わらず、ありふれた特別のその一つにこんなにも揺らされている。

不安の闇を照らすのは、きっと心に内包された祖母だ。もしかしたら祖母だけではないかもしれない。

心と体を通じて光を放つ。
命は尊く愛に満ちている。
それが命の誇りだ。

では、この時間をどう過ごすか。どう生きるか。

新しい意識の新芽はもう手を伸ばそうとしている。その先には音楽しかない。

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