小さな天使

(聖) 今日から聖霊さんを育てることにしました! (聖書の学び 8)

書き出しは堅めでスタート。マタイを除くマルコ、ルカ、ヨハネの3つの福音書を読んだ。今振り返ってみると、色々な学びがあったが、今回の記事はそれらを紹介するのではなく、聖書から学ぶために必要なものについて紹介したい。

単に読書するだけでは学べない

実はこのことが正しいらしいことが聖書の中に書かれている。

「見える者には見えず、見えない者には見える。」

見えていると思い込んでいる人には、実は大切なものが見えていなくて、逆に、見えていないことを素直に認めた人が見ようとして努力してみると、ようやく大切なことが見えるようになる、ということだと勝手に理解。

というなぞなぞで。なんでこのような「なぞなぞみたいにわかりにくい文で聖書に書かれているのか」と言う根拠についても、実は聖書に書かれているが、今回は割愛。

聖書を学び始めるよりもだいぶ昔の話だが、「聖書とは、歴史上、最も長く支持されてきたロングセラー小説」という内容で聖書を紹介する記事をネット上の何処かで見たことを思い出した。

その執筆者には、大切なものが見えていないのだろう。文字は見えても、大切なものが見えず。実際、私も3つの福音書の1周目ではそれに気付かなかった。見えていなかったのである。

バーコードの意味を知るにはバーコードリーダーが必要

ちょっと回りくどい例え話を先にしないと、伝わりにくそうなのでw

文字を読めれば読書はできるが、聖書の教えを学ぶためには学びを吸収しようとする意志が必要。この意志がなければ聖書も単なる読書であり、大して面白くもない超長編小説なのだろう。

聖書ではこの「聖書の教えを学ぶ」と言う姿勢について、各福音書の最後付近でようやく出てくる。といってもかなり遠回しなので、勝手に解釈することにする。間違っていても怒らないでね。初心者なのです。。。

聖書からの学びの姿勢とは、心に霊(聖霊)を宿すこと

ちょっと宗教臭いけど、ちょっとだけ読んでほしいw
霊って、別に幽霊でもなく、生き霊や怨霊でもなく、神秘的な何かの事でもない。皆さんすでに持っている、

良心

のことなんだ。(と私は解釈しました。。。)
人が感情を共有できるのは、誰もが良心を持っているから。

ただし、みんなの良心は、個人ごとに異なる断片的なものだから(完璧な良心を持った人なんていないから)、例えば、価値観の相違なんてことで、すれ違うわけだ。

聖書では、神の教えに従うための判断を霊が教えてくれると言っている。また、神の教えを霊が教えてくれるとも言っている。だから、聖書の文字列を、心の霊で読み取らないと、学べない、ということになる。

いきなり霊とか言われても訳わかんないよ

そりゃそうだ(笑)洗脳でもされたか?と思って心配するよ。
でもね、良心を強く、大きく、正しく育てること、って聞いたら、どう?
すごくまともなことを言っているよね?良心という単語の代わりに「霊」って書いてあるだけなんだよ。翻訳の都合上だと思ってマス。

謙虚さの正しさってどう判断するの?そもそも正しいの?傲慢で何が悪い?

これに答えを出すのが聖霊さんですw 心の中に住んでます。まだ、とっても小さくて、シャイさんなのです。現在、絶賛育成中(爆)

聖書と聖霊と共に生きるということ

これが私にとってコアを作って生きるということになる。今はまだ、聖書の学びの量が少ないので、聖霊さんは弱く、心の先の住人である「これまでの価値観さん」や「気分屋さん」の声が大きい。これからは聖霊さんを育てて、よりよく生きたいと思ったのでした。

聖書は大人を叱ってくれる存在でもある

大人になると、誰も何もしてくれない。誰もが手探りで生きている。だから、みんなが過去の経験に頼って正しさを判断するしかない。だから成功者は語りたがる。

凡人(私)はメンターを欲する。先生を欲しがる。でも、その人だって、たかだか数十年しか生きてないよ?10年後には、メンターや先生が途中で死にかけるような奇跡体験を経て意見を180度変えているかもしれない。なので、人の意見の正しさは、よく分からない。状況が違えばさらに分からない。

その意見は信じ切っても良いのか、その価値があるのか、と。

正しいと思えない状態で怒られても無意味だし、何にも変わらない。それを知っているから大人は他人に簡単には意見しない(叱らない) 。面倒臭いだけだからね、後々。

聖書の教えをコアに据えるメリット

教えの正しさを心から信じられるので、ブレずに済む。正しさを知っていれば、正しくない物・者からの影響を受けずに済む。この判断のためには、聖霊の力が必要。聖霊が正しく育っていないと、判断を誤りやすくなる。だから、日々、聖書から学んで聖霊を研ぎ澄まし、かつ聖霊の声に耳を傾けられるようにする。

要するに、聖書の学びを通じてブレない確固たる良心を育てることができるってのが、メリットである。

判断の正しさを信じられれば、迷わずに済む。状況や他人の意見に惑わされない。
(ただし、それらを情報としてきちんと理解する必要はある。が、その判断にも聖霊の声が必要)

というわけで、私は聖書の教えを人生のコアとするべく、心の中の聖霊さんに聖書という名の餌をあげて育てなければならない、ということです(笑)

今日はもうお腹いっぱい、みたいよ。
たまごっちかよ(古い)


(167回目のnote更新)
(カテゴリ:聖書)


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大和 司
読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊