狩撫麻礼との邂逅・・・追悼
19歳の時、所属していた文芸サークルで、20枚くらいの短編を制作する課題が出た。その時まで小説など書いたこともなく、実は書く気もなかった。
ともあれ原稿用紙を買ってきて、23枚書いて提出した。たぶん自分でガリ版刷りしたと思う。サークルメンバーに配った。
その晩、私のアパートに1本の電話がかかってきた。
電話の相手はMさんーー後の漫画原作者、狩撫麻礼だった。
口下手な彼はいきなり、
「あなたの小説が一番素晴らしい。将来プロの小説家になると僕は思うね」
と言った。
小説家になるなど頭になかったので「はあ?」と問うと、
「プロの作家になれる。僕はそう思うね」
と繰り返した。
当時、狩撫麻礼はサークルの中でも飛び抜けて熱心な創作者だった。もちろん、小説の、である。
他のメンバーからの評判もなかなかによく、私の処女作は、当時サークルのアドバイザー的存在だった文芸評論家の中島誠に評してもらおう、ということになった。
作品発表会の日、中島は一読後、
「川上宗薫以下の通俗小説だね」
と切り棄て、原稿をポンと机に放った。
正直なところ19歳の私は、川上宗薫という大作家の名前だけは知っていたものの、小説を拝読したことはなかった。
なのでピンと来なかった。
「通俗小説なんだ。。」と肩を落とした程度。
今にして考えると、「文芸評論家」を名乗るにはあまりにも馬鹿馬鹿しいというか、明らかに川上宗薫氏を見下した発言である。
たとえば、相手が初めて小説を書いた女子大生とする。その人に対して、
「村上春樹以下の純文学だね」
なんて言い方をするだろうか?
仮にも、プロの評論家の言葉ではない、と私は思う。
まず第一に、その作品に対して向き合っていない。それ自体、プロの評論家を名乗るに値しない、と私は思う。
その発表会に、狩撫麻礼は参加していなかった。彼は、大勢が参加する会には出席しない。たぶん、苦手だった。五木寛之や水上勉などが集まったパーティーにも来なかった。人付き合いそのものが好きではなかったと思う。
中島の発表会の晩、狩撫麻礼から電話がかかってきた。どうだった?と訊かれ、ありのままを報告すると、
「その人は間違っていると、僕は思うね」
即座に言った。
そして「北陸の新聞社で短編賞の募集をしているから応募してみたらどうかな?」と親切に応募要項やその新聞社の住所まで教えてくれた。
言っておくが、あの『ボーダー』の狩撫麻礼が、である!
世間の見方とはまるで違う、狩撫麻礼という人は、真面目でストイック、親切で面倒見のいい人だった。
人情に厚い人、純粋な人、というのがサークル内での定評で、その性質は後の作品にもよく出ていると思う。
実は、デビュー前の彼をよく知っている。Wikipediaとは真逆の人物で、学歴も職歴も立派な方なのだが、それを明らかにすることは本人の意図するところではないと思うので、言うのを控えておく。
ハードボイルド、バイオレンス、アウトロー、などとは無縁の人、とだけ言っておこう。
そして「名ばかりの文芸評論家」よりも鋭い批評眼を持つ人。これは間違いない。
そして何よりも、創作のためだけに生きた人。
中島事件の後、私は狩撫麻礼と週に一度、中野駅前の珈琲屋で落ち合い、彼の書きかけの原稿を読む、という習慣ができた。
いつも彼のほうが数十分も先に来ており、テーブルに広げた原稿を一心に読んでいた。必ずスーツ姿で、足をきちんと揃えて坐っていた。ラフな服装だったことは一度もない。飲み会にもスーツを着てネクタイを締めていた。
原稿はもちろん、すべて手書きだ。
小さな原稿用紙の1マス1マスに丁寧に書かれており、書き損じがなかった。私に読ませるために、わざわざ清書したのだろうと思う。
几帳面で真面目な文字だった。少しも崩していなかった。
すべて「昔の子どもが主人公」の優しい小説。彼の漫画を知る人には意外だろう。宮本輝に大きな影響を受けていた。
「創作」以外の話はいっさいしない。世間話や、その他のどうでもいい話はまったくしない。噂話もしない。
「絶対プロの作家になる」それだけは繰り返し言っていた。
何かのきっかけでしばらく連絡が途絶え、次に電話がかかってきた時、
「今、バカみたいな仕事をしてるんだ」
吐き捨てるように言った。
「漫画の原作を書いてる。金にはなるけど、本当にバカみたいな仕事でね」
と言った。
原稿料を聞いて
「すごいじゃない!」
と感嘆した。それでも
「いやー、バカみたいだ。早く辞めたい」と嘆くように言った。
その時の作品が、大友克洋作画の「East of The Sun, West of The Moon」だ。
「なんで狩撫麻礼なの?」と訊くと
「これは……カリブ海のボブ・マーレイ」
とちょっと恥ずかしそうに言った。
その後「狩撫麻礼の予言通り」かどうかはわからないが、私は一応プロの小説家になった。
そして2018年1月7日のこと。
ヤフーニュースのトップで彼の訃報を知った。
しかし。
遺影として上がっている写真を見て「???」
明らかに違う。
仮に美容整形したとしても、骨格からして全然別の人物……
本物の狩撫麻礼は、いしかわじゅん氏のギャグ漫画に登場する「風博士」そのもの。これは本物。
でも遺影の彼は……しゃべり方も違う……彼は口ごもるのがクセなのに……
私は思う。
亡くなったことになったけれど、本物の狩撫麻礼は、昔のMさんにもどり、今もどこかでーーたぶん沖縄か台湾あたりで、のんびりと海風を浴びながら、好きなボクシングでも見る生活を送っているのではないか、と……
そして彼がどうしてもなりたかった、「小説家」を目指して原稿用紙を埋めているのではないか、と……
いずれにしても、もう二度と逢えない人。
しかし、かけがえのない予言と励ましをくれた、実は誰よりも「心優しき男」であることを、私は知っている。
(ココだけの話。
私は狩撫麻礼原作の漫画をほぼ読んでいない。
あまりにも本人のキャラクターと違いすぎていて、作品のイメージに合わせてものすごく無理してたんだろうなー、とツラクなるからだ)
ここ数年で書きためた小説その他を、順次発表していきます。ほぼすべて無料公開の予定ですので、ご支援よろしくお願いいたします。