季節が巡る頃に手に入れた一枚
中学生の頃のとある土曜日。私は父と弟で車に乗り、行きつけの大型CDショップに向かう途中だった。
その日は生憎の雨模様で、視界は見えにくい上に、目的地にたどり着くまでの間、長い長い渋滞に巻き込まれていたのである。
そして普段なら、車内では父のお気に入りである洋楽が流れているはずなのだが、この日は珍しくAMラジオがかかっていた。6つのスピーカー越しに、ラジオパーソナリティとゲストがトークを繰り広げる中、その曲が突然流れ始めている。
すでに車内は激しい雨音に包み込まれており、加えてAMラジオ特有の音質もあってはっきりと聴き取る環境が整っていない。しかし、耳を澄ませずともメロディや一言一句が不思議と耳に残っていた。
それから十数年以上を経た今でも、感じたその瞬間と光景だけなぜか鮮明に憶えていて、かつ未だ脳裏に焼き付いて離れられない。
ただようやく着いたそこでは、即座にシングルCDを買うことは考えていなかった。1枚あたり、およそ一千円ほどかかる代物に対しての持ち合わせがない他、誕生日やクリスマスなどの特別な日でもないのに、親にねだるわけにもいかない。
そのうえ親からは予め「シングルを買うなら、新しくアルバムが出るまで待った方がいい」と説得されてしまっているため、その後で発売された「夢の場所へ」や「変わりゆく空」を手に取ることも見送った。
早く出ないかと待ち侘びながら、満を持して新しいアルバムが発売されるとの情報が解禁となった時には、「四季」を初めて耳にしてから季節が一巡する頃合いであった。
その間も、自ら某レンタルショップに出向いてCDを借りることを覚えた私は、旧譜をはじめ多種多様のシングルやアルバムを借り、PCあるいはMDに落とし込んでいたのである。
そうしたことを繰り返すうち、徐々に買うことの意欲が薄れてしまった。そもそも月に一度貰えるお小遣いが一、二千円ほどである身にとって、1枚あたり三千円かかるアルバムは正直高い買い物でもあった。
純粋に音楽を永続的に楽しむのなら、わざわざ購入しなくても前述のような方法を使って楽しめばいい。その考え方に頭が引っ張られた挙句、発売日当日を過ぎても手に取ることはなかった。
しかし内心は諦め切れておらず、以降も親に何度か連れられてCDショップに出向く機会はあった。そのたびに陳列されているそのコーナーへと足を運び、少々挙動不審になりながら眺めていたものである。
この時、アルバムを一枚買える程度の所持金を持っていたが、それに手を出してしまった日には、すぐに一文無しとなってしまうぐらいの状態だった。だからと言って、親に買って貰うわけにもいかない。
けれど、今ここで手にしなかったら後悔するかもしれない。そのアルバムには自分にとって、長らく聴きたい曲がたくさん詰まっている。
せっかく心の底から欲しいと思い馳せていた、千載一遇の機会を逃してしまうと思うと、もうこれ以上迷っている場合ではない。
ここに至るまでいろんな葛藤を抱えながらも、意を決して手に取ったそのCDは、w-inds.の通算4枚目となるアルバム「ageha」だった。
親に頼ることなく、生まれて初めて自分の小遣いでCDを、それも自分の意志でずっと聴きたかったアルバムを購入したという達成感は、何とも言えないものがあった。
その一方で2曲目を耳にした途端、まるですぐさっきまで悶々としていた自分のことを指しているように錯覚してしまったのである。