上京することの縁に左右された日から
思えば、この場所から一つの景色を眺めるのは、およそ9年ぶりであったと思う。
2015年6月30日。私は上京を目指すべく、東京駅を降りて近くにある某会社での面接を控えていた。面接における対策や準備を、できる限り万全なものにしておくことを念頭に置きながら進めていた。
この日の面接は、17時ごろを予定していた。地元から東京まで、新幹線を使っておよそ1時間かかるため、15時までには出発しておかなくてはいけない。1本でも乗り遅れてしまった日には、これまでの苦労がすべて水の泡と化してしまう。
そう念頭に置きながらも、あれこやこれやとしているうちに、やがて時刻は正午となった。そろそろ出かける支度をしなくてはならないと、忘れ物がないかを今一度確認しつつ、履歴書や職務経歴書などの提出書類を鞄の中に敷き詰める。
ようやく憧れに憧れていた場所での就職活動を前に、ひとり密かに心躍らせつつ、しばらくの間ふれる機会のなかったスーツを着用していく。
その最中、リビングで寛いでいる父から急に呼び出された。何事かと思って駆けつけると、テーブルより奥に設置されているテレビからは、一本の新幹線が普段停まるのことない場所で立ち往生している光景を、生中継で放送されていた。
画面に映し出されているその車輌からは、まるでSOSを発しているかのような狼煙が上がっていたのである。
実際の映像を前に、私は何が起こっているのかが把握できないまま、放心状態に陥っていた。そばにいた父からは「今日は面接に行くの、やめた方がいいんじゃない?」と云われ、我に戻った。
冷静に考えたら…いや、どう考えても相当なまでにオオゴトな状況であった。今回発生した事件を理由づけて、面接を延期してもらうという手段は実行できたはずだ。
しかしこの時の私は、判断能力が著しく鈍ってしまっており、是が非でも向かわなければならない焦燥に駆られていた。どんなに不利や困難な状況下であろうとも約束を守らなければ、問答無用で落とされてしまう。
折角、上京できる機会がもうすぐで届くはずなのに、このような形でみすみすと手放すわけにはいかない。少しでも上京することにおいて近づける可能性があるなら、なんとしてでも行かなければならない。
そうした誤った考え方が、自分の奥底に根強いていたせいか、内に秘めた野望や義務感などが混同してしまっていた。結果的に私は、父からの説得を強引に押し切り、予定よりも早く家を出て、新幹線の停車する最寄りの駅へと向かっていった。
因みに、事件発生直後に運転を見合わせていた新幹線は、14時半ごろに運転を再開したものの、最大で5時間以上の遅れが出たほか、運休の本数も多数出てしまっていた。
私は、かろうじて動いている列車に乗ることができた。現地に着くまでの間、履歴書や職務経歴書の他に、予め用意しておいた面接用の対策シートなる手書きの用紙に目を通していた。
しかしながら、後に「全ての新幹線で初めての列車火災事故」と称されるほどの大惨事が起きたばかりで、やはり時間通りに列車は動いていなかった。刻々と約束の時間が差し迫ってくる中、無事に間に合うかと気が気でなかったのである。
結局、約束の時間より1時間近く遅れて到着してしまった。おかげで間に合わなかったことの焦りと緊張に襲われてしまい、落ち着いて話せる状態ではなかった。準備しておいた志望動機や自己PRも、面接官の前でうまく話すことができず、終始しどろもどろになっていた。
イレギュラーな事態が起きてしまったがゆえに、結局その日面接を受けた会社は落ちてしまった。これまで準備に費やした時間だけでなく、往復でおよそ1万円もかかった新幹線代も無駄になってしまったものである。
思えばあの時、父の言う通り連絡しておいた方が良かったのかもしれない。仮に落とされることになったとしても「初めから縁がなかった」というように割り切っておけば済んだものを。
この時を振り返れば、若気の至りだとか十分に判断する能力が足りていなかったなどと言い聞かせる以前に、実に愚かな行動であったと反省せざるを得ない。
けれどあの日、直接巻き込まれなかったのが不幸中の幸いだったと思う。進行方向が真逆であるとはいえ、もしも自分が事件現場に鉢合わせていたら、心の底から愚かな行為に出てしまったと、今更になって悔やんでも悔やみきれないだろう。
この日を境に私は、上京することを含めて、自分自身の夢を叶えるためには一筋縄ではいかないと、ある意味で弁えるようになったのであった。
そして先日、私は再び同じ場所に降り立った。あちこちで、太陽光が乱反射する高層ビルの立ち並ぶ光景を眺めながら、今回の面接会場である目的地へと目指していた。
あともう少しで辿り着こうとしていたところで、かつてテレビで映し出されていた光景に、父の制止を振り切ってこの地に降り立った日のことを思い出していた。
あれから、およそ10年近く経ったのかと懐かしく思う一方で、何かただらぬ予感を覚えていた。だがあの時と比べれば、体調面や精神面を含め、あらゆる準備を万全なものにし、落ち着いて臨める態勢を整えている。
ただこのタイミングで当時の記憶が蘇ってしまったと同時に「どれだけ面接における対策を整えたとしても、必ずしも内定を勝ち取れるという保証なんてない」と、そうした雑念が湧いてきてしまったのである。
それと同時に、こうして日本の首都であることを象徴するこれらの光景を眺めるのも、もしかしたらこれが最後なのかもしれないと、もう一つの予感が頭によぎったのだった。
ここに居てはいけないのか。居てはならないのか。許されることではないのだろうか、と。
かつて憧れを抱いていた心は、現在に至るまで想像を絶するほどの挫折を繰り返し続けたおかげで、真っ平と化してしまうくらいに擦れていってしまった。
9年前の火災事故が発生した日を経て、自分の中で弁えることを覚えたはずなのに。今となってはほんの些細なことで自問自答に身を置くことに、日々ネガティブな要素と一緒にとらわれ続けてばかりいる。
きっとそれは、自分においても誰かにおいても、この場所においても、期待を寄せたり期待に応えようとする一つの意思を、あの頃のように見つけ出すことが難しくなってしまったからかもしれない。
面接を終えて、東京駅の八重洲口にたどり着くと、私はなんとなくの意でスマホを片手に、一枚の写真を収めていた。
どうせこれで思い出になるのなら、どこか遠いところまで来た時に、笑いながら話せる思い出になればいいと。割とどうでもいいような暗示を込めて…。