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Nothing's gonna change my world.

今更ながら、昨年の今頃は何をしていたか、一旦振り返ってみようと思いついた。


会社の一方的にして理不尽な都合によって実家に戻っていた私は、この頃からすでに毎晩此処noteでひたすら執筆活動に明け暮れていた。自分の脳裏に焼き付いている過去の出来事をはじめ、自分の好きなあるいは衝撃を受けた音楽など。

そして、自分の置かれている状況下について、胸の内を鋭利の物で裂いて抉り出すように事細かく文章に纏めていた。そこから毎日繰り返していくうちに、現在に至るまで文章を生み出すのみならず、自身の考え方において研ぎ澄ます能力を身につくことができたと思う。

しかしながら、こうした一連の活動を始めるまでの間は、ある意味で想像を絶するほど堕落した生活に入り浸っていた。何の代わり映えもしない日々に、ひたすら同じ作業を繰り返すだけの仕事。

そして、ただただ時間が流れていく時計を横目で見つつ、ぼんやりと無駄に過ごすだけの休日。今思えばあの時は、人生の貴重な時間を無駄に消費してしまっていたと、反省せざるを得ない。

やがて月日が経つにつれ、魂が入り込んできたみたいに自問自答するようになってきた。果たしてこれが自分が望んだ日常なのか、これが自分が求めていた日々だったのか。このままではいずれ、自分は駄目になってしまうのではないか、と。

言葉に出さずとも、漠然とした将来に向けて、恐れや焦りといった一抹の不安を感じていた。しかしながらこの時もなお、自分自身が万全とした状態で戻るタイミングがまだ掴めておらず、八方塞がりの状態が続いていたのである。

既にこの時は、実家に戻ってから半年以上も経過しているにも関わらず、変化の兆しが一向に見られなかった。それもそのはず、ただ時間が解決するのを待っているしか解決策を見出していないのだから。

それに、ただ胸の内に秘めた苦しみを抱え込んでいるだけでは、自分の世界は何も変えられない。どうにか口よりも前に解き放っていかなければ、赤黒く染まった苦痛の海に溺れては、いつしか身を滅ぼすことになりかねない。



…気づけばいつの間にか、私は此処noteでの執筆活動を密かに再開していた。

振り返ればあの時だって、自分の中では言葉に表せないぐらいに苦しんでいたはずだったのに。よくも限られた時間の中で、文章を羅列しては仕上げてこれたなと、我ながら改めて関心するものがあった。

ただ、読まれるそれぞれの数においては今現在と異なり、当然ながら大きくかけ離れている。元から自分には、拡散能力というのは皆無に等しいつもりであったし、今でもそうしたことに関しての期待は、ほとんど持ち合わせていない。

加えて、今使用しているアカウント自体は、真新しい状態から始めたものではなく、2〜3年ほど前に開設した所謂お古というものである。それを踏まえたうえで再々始動するのは、ある意味で根気強さが意外にも試されていたと思う。

直接関係ない話であるが、わざわざ既存のものを使うよりも一からやり直した方が、別の形として実を結んでいたのかもしれない。だが、過ぎ去ってしまった過去に可能性を探っても、ただの結果論でしかない。


それでも、自分の中あるいは周りが変わるきっかけが、こうして書き続けてきたことで確信となって生まれ始めてきている。すぐに状況は変わらずとも、無理のない範囲で歩き続けるようにして継続していけば、いつか何かしらの形で道は切り開いていくのだと。

単に願っているだけでは何も変わらない。誰かに頼ってばかりでは、自分自身を更なる方へと切り開くことは叶わない。

絶望を抱く暇があるなら、口よりも前へ言葉にして行動に示せ。不安を抱えている余裕があるなら、他人の見解や数字に一喜一憂せず進め。それが、今日に至るまで此処noteで書き続けてきた、私なりの成果だ。



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タダノツカサ
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