日はまた昇る
浜田省吾の通算15枚目のアルバム「SAVE OUR SHIP」の最後に収録されている「日はまた昇る」という曲に出会ったのは、私が小学6年生の時であった。そして今日を迎えるまで、何度もこの曲に支えられてきた事実がある。
初めて聞いた時に頭の中で思い描いたのは、終盤の歌詞にあるように、荒野に独り佇む自分の姿だった。そこに、その場所に人の姿は文字で表す通り、知り合いや友人はおろか家族も誰一人いない。ましてや建物の姿ですら、一軒も見当たらない。
まさに見渡す限り、壮大にして虚空な景色が広がっているだけの世界である。にも関わらず、まだ小学生の身であった私は、周りが想像つかないようなイメージを、咄嗟に思い浮かべていたのだった。
私にとってこの曲を耳にした当時は、学生時代の中で最も苦しく辛かった時期であり、同時に何もかも捨てて逃げ出してしまいたいと、そう強く願っていた時でもあった。
ただでさえ私にとって、学生の身分でいた10代というのは、今思い出せる範囲の隅から隅に渡って、ほぼ灰色一色に染まってしまっている。ところどころ、いくら必死になって汚れを落とそうと試みても、一向に落とせない黒い滲のような思い出が、今も記憶の中に散りばめられている。
その中でも、特に小学6年生の頃というのは、「辛いことは辛い」とはっきりと口に出せず、誰にも打ち明けられないまま独り抱え込んでいた時期であった。幾つもの滲みが同じ箇所に集中しており、いっそのこと破り捨ててしまいたいぐらいだった。
思い返せば、私が自立するタイミングで地元から離れて上京したい思いがあったのも、その時点で滲の原因である友人関係に恵まれていなかったことに、大きな影響を及ぼしていたのだと思う。
まるで、自分だけがいない世界線に閉じ込められている感覚に浸っていた時、「海鳴りの聞こえる丘」という歌い出しから、今に至るまでずっと聴き続けるようになっていった。
この頃はまだ意識などしていなかったと思うが、以降も辛い出来事に遭遇して心が疲弊してしまった時に「日はまた昇る」を聴くことで心の支えになっていたと思う。
やがて、独りになっても歩き続けられる強さを、私は気づかないうちに手に入れることができた。周りに振り回されても、心が折れてしまっても、自らの歩みを止めない力とともに。
一方で今日を迎えるまで、数え切れないぐらいの厄介ごとに巻き込まれてきた。時に、これが人生の最期なのかもしれないと、そう悟ることもあった。今まで大事にしていたものを、泣く泣く手放すことを余儀なくされる出来事にも遭った。
けれど、それらがまるで何事もなかったかのように、今もこうして生き永らえている。だがそこに、かつて共に過ごした仲間たちの姿はいない。それも自分の人生なのだと、黙って受け入れて進むしかない。
もしかしたら、この先も失うことに出くわすことがあれば、進むべき道を見誤って途方に暮れることになるかもしれない。人生というのは、常に前途多難の連続だ。
それでもいつか、これまで辿ってきた道を振り返った時に「こんなこともあったんだな」と笑い飛ばすようにして語れるように、自分を大事に歩んでいきたい。
明けない夜はない。日はまた昇るのだと。
最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!