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苦しみの向こう側で今を生きる自分を
自分は、志半ばで独りくたばるはずだった。
そう考えなかったりふとしたことで思わないことは、これまでの人生を振り返ってみて一度もなかった。常に自分には誰よりも、幸せに満たされることがほとんどと云っていいくらい何もない。
代わりに、悲しみや苦しみといった負の感情と、隣り合わせで日々を過ごしていた。それは現在も進行形なるもので起こっていると過言ではない。その中で喜びや楽しさが生まれたとしても、いつもドス黒い闇に覆い尽くされてしまっていた。
何より自分には、自信というものはない。仮にあったとして、自分は普通の人よりも卑屈で劣っているという、一種の捻くれた確信がなぜか根底についている。
多岐にわたって理不尽な出来事に遭遇し、そのたびに心が折れたり悲鳴を上げたり、しまいには感情を削らされたりしていた。まるで、自分が自分で無くなってしまう感覚に陥っているかのように。
昔から母に「あなたは幸せになるために生まれてきた」と、そう言い聞かせられてきた。しかし過去を振り返れば、心の底から幸せを感じる出来事が少なかったように思うのだ。それどころかむしろ、報われることのない思い出ばかりに記憶が支配されている。
どうせ、この先もこのまま辛いことが続くのなら、自分にとっての幸せが一滴も満たされることもないのなら、いっそのこと自分の人生を諦めてしまえばいい。
特にこの1、2年間で私は、そうした破滅願望に囚われ続けていたことに相違はない。そして、その呪縛からなんとしてでも解き放たれようと「自分の現在地」と題した備忘録を書き記したのである。
あれから一年以上の月日が経過したが、この時の出来事を振り返れば…もといこれまでに綴った過去の記事を読み返せば、当時置かれている苦しみから向こう側へと行くために、此処に戻る一つのきっかけが生まれたのだと思う。
幾度ともなく振り返ってばかりだが、もしもその境遇に立っていなければ、おそらく復帰して書くことを果たすことはなかったのかもしれない。
あの時に勤めていた会社の都合であったとはいえ、結果としてむこうからは一方的に裏切られてしまった。後に長年の付き合いだった友人にも裏切られた挙句、何もかも切り捨てられてしまった自分には、もはや生きる術も何も残っていない。
ましてや、一社会人としてキャリアを積んでいくための、一人の人間として生きるための希望の道筋も、それぞれ見えなくなっている。白い霧に包まれている中で、自分には何が出来るのか、あるいは何が残されているかを探す方が難しいくらいに。
これがもし純粋無垢な人が同じ境遇に立ったとしたら、かつてない絶望を前に幻滅を覚えることになるだろう。最悪の場合、自ら生きることをリタイヤする手立てを取っても、おかしくはない。
にも関わらず、自分は今現在ものうのうと生きている。そう考えた時に、改めて自分は普通の人と比べて、間違いなく尋常じゃない人間なのだと…そう思ってしまうのだ。
これまでの半生の中で、数多くの裏切りを目の当たりにしておきながら、まるで亡霊の如く前へと進もうとしている。過去の経験が体に取り憑かれ、ちょっとしたことでも動じないという耐性が付いたのだろうか。もしくは、自分はある意味で学習能力がないだけなのか。
少なくとも、今こうして改まって書き進めている以上、自分にとってようやく生きる術が一つだけでも見出すことができたと思っている。
そしてまた、そこから新たに決心していくための支度を、次なる日々が来るまでに進めておかなくてはいけない。これまで変われなかった自分を、もう一度帰るための準備として…。
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