二度と縮められない距離
昨日に死んでいった人が願っていたのは、
明日も一緒に生きていたいと祈った今日。
今から10年以上前の1月某日。私は市内の斎場へと足を運んでいた。
喪を服すように黒一色に染まった衣装を纏い、先日納車されたばかりの愛車に乗り、既に暗くなっていた細い県道を一人向かっていく。
年の瀬を迎える頃、かつて同じ高校に通っていた一人の同級生が亡くなったことの旨が、当時連絡先を知っていた友人からメールを介して届けられた。
その子は一年生の時だけのクラスメイトである。
とはいってもたまに何かを話したりするぐらいで、ずっと一緒に行動したりするみたいな特別な接点はなかった。
何か持病を患っているような素振りはなく、頻繁に学校を休んでしまうような雰囲気は見受けられなかったと記憶している。
だからこそ、訃報を知らされたときは驚きを隠せなかった。
無論、闘病していたという事実すらまったく知らなかったのだから、なおさら「なぜ」「どうして」などの疑問を表す単語が頭上で散りばめられている。
親しい友人でもなければ、苦楽を共にした部活仲間でもない。
故に一年だけクラスメイトになっただけで、それ以外の特別な縁は何もない。
にも関わらず、気づけば私は斎場へと参列していた。
ほんの少しだけでも、動いた時間を土に還すために、自らを動かしたのかもしれない。
棺の中にいるその子は、目を閉じたまま安らかな顔を浮かべていた。
きっと私の知らないところで、病に冒されながらも自分自身と闘い続けていたに違いない。
同時に、子が先に遠く旅立たれてしまう運命を受け入れなければならなくなり、その姿を看取ることしかできなかった親御さんの事を思うと、どうしても居た堪れなく言葉に詰まってしまう。
これから先、どんな大人になっていくかどんな将来を描いていくか。
この先に待ち受けている未来にどれだけ心待ちしていたことだろう。
その思いは残された家族だけではない。
この場にいる友人たちも同じことを考えていたと思う。
通夜が終わると、私は一緒に参列していた同級生達に声をかけることなく、ひとり斎場を後にした。
今の私に、これまで関わってきた同級生で現在も接点のある人間は、ごく僅かに限られている。
私自身も、これまでどんな人とクラスメイトだったか、どんな人と同じ部活をやってきたかなど、ほぼほぼ忘れてきてしまってきている。
裏を返せばおそらく、共に同じ時間を過ごしてきた彼ら彼女らも、私の存在を忘れていることだろう。
けれどそれは悲しいことではない。時期が経てばいつの日か記憶の隅から消えてしまうのは当然のことである。
いつまでもあの頃のままでいられないからこそ、時に過去のことを懐かしく思うことがあっても、決して立ち止まったりすることはできないのだ。
二度と差を縮められない距離に、そして近づけられない場所に身を置き続ける限り。思い出に心がとらわれることなく、歩き続けることを選んだ以上は…。