エックスデーとテクノ・スーパー・エクスプレス
いつまで、こんな不安定な日々が続くのだろう。
そう思いながらも、大都会を結ぶ一本の車輌に乗っている時だけは、自分の周囲に起きていることすべて忘れ、至福のひとときを過ごしていた。
昨年あたりから、今年の5月に前職を辞めるまでの間。2、3週間に一度のペースで実家と東京の自宅を行き来していた頃、私は車での移動だけでなく、地元から新幹線を利用して東京の自宅に向かうことが、たびたびあった。
ちなみに守銭奴の連中揃いな会社側はそれに付随する交通費など、人事異動が発令されて以降、捨て駒とした濡れ雑巾のような自分には一円足りとももらっていない。片道だの往復問わず、結局こちらで全額自腹を切る始末だ。
人手が足りていないという理由で、会社からたってのお願いで要求を受け入れたにも関わらず、いざ蓋を開けてみればこの為体だ。分が悪いと判断したのだろうか、こちらに対して精算における手順も提示しようとせず、働きかけも一切してこない。
仮に自分の方で申請をしたとしても、どうせ出してこないだろう。あれやこれやと難癖を付けようが、出し渋るというオチは目に見えていた。
ならば、こちらはこちらで好き勝手にさせてもらおうじゃないか。
そんな思いを引き摺りながら、月に1〜2回のペースで仕事終わりの平日にして金曜日の夜。車で移動する他にローテーションとして、新幹線に乗って移動していたのである。
ちなみに座席は普通車ではなく、まったく縁のないグリーン車を利用していた。普段から、ほとんど新幹線を利用する機会がない身としては、体験するなら今しかないだろう。そう意気込んでは、あたかもブルジョワを装いつつも、割引が適用された切符を利用していた。
そもそも、普通車と比べて車内の雰囲気はもちろんのこと、シートの座り心地も含めて格が違う。これまで新幹線のグリーン車に乗るという体験は、人生の中で一度もなかったがために、腰をかけた瞬間、今まで当たり前のように座り込んでいた普通車に戻れなくなりそうな感覚を覚えたのだった。
在来線を含め、列車での移動時間はおよそ2時間。当然ながら、車で移動するよりも断然に早い。わずかな時間で優雅なひと時を過ごしていたのである。
けれどその一方で、いつまでこんな生活が続くのだろうか。先の見えない生活に日々置かれる中、そうした不安に怯えないことはなかった。
あの時を思い返せば、暗闇の中を時速200キロ以上で駆け抜けるも、やはり陽の光は一向に見えてこない。ましてや、東の方から差し込んでくるはずもなければ、小刻みに鳴らす不穏な騒ぎも消えることは決してなかった。
まるで、先がかすんで見えない霧のような情を抱えたまま、往復する日々が続いた。けれど、自分の中ではわかってはいた。勤めている仕事を自ら辞めようとしない限り、なおかつ一つの決心がついて東京に戻らない限り、このざわつきはずっと消えないままだと。
そして、自分にとって悪夢のような日々を抜けきってから久しくも、皮肉なことに今まで大きく覆われている殻を破ったと引き換えに、さらに自分の内に秘めた、人に対して疑心暗鬼の情がさらに強くなってしまった。
振り返れば、前の会社を退職してから半年以上が経過している。なおかつXデーとも云うべき、自分の身に様々な不幸が降りかかってから、ちょうど2年の歳月が流れていた。
この絶望にして幻滅とした「空白」とも呼ぶべき経験は、いったいどのように自分をどう進化させたのか。あるいはどう退化させてしまったのか。変わらない景色を往来するだけの日々に、何の意味を齎したというのだろうか。
ただ一つだけわかっているのは、傷つけられた過去は二度と消せないまま、終わりが来るまでずっと背負い続けていかなくてはならない、ということだけだ。
一連の出来事を思い出したのは、先日リリースされたUnderworldの「Techno Shinkansen」が、自分の耳の周りを駆け巡ったからである。その瞬間、つい半年前までの出来事が脳裏によぎったのだった。
それと同時に、自分の中でふたたび不吉な予感が、鼓動を伝って再び鳴り始めようとしている。もしかしたら別のルートを経由する形で、出口の見えないトンネルに潜り込もうとしているのかもしれない。
もしもそこに突入した時、自分にとって人生における通過点は、いや太陽は、いったいどこに示されているのだろう。
最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!