はじめから真の志望動機など存在しない
「あなたが、我が社を志望した動機をについて教えてください」
さまざまな企業で面接を受けるたび、一人の面接官が言い放った一言に対して、いったいどれだけの自分の中の良心が傷んできたことだろうか。
誰でも、応募している一企業の内定を得ようと、採用する立場にある企業側の心を鷲掴みにするための志望理由を、躍起になって考えてきているはずである。
その一方で私は、元から人前で多くの言葉を操れない身である。だからこそ話す内容に加え、自らの口で語るための精神状態も万全にしておかなければならなかった。
にも関わらず、どの求職者よりも有利に立つための志望動機が浮かばない以前に、なぜ志望動機を挙げなければならないのか、ということにおいて独り理解に苦しんでいた。
ハローワークで紹介してもらった各々の求人票に目を通すたびに、疑問はますます膨らむばかりであった。採用における募集理由が、規模拡大による「増員」のためであるなら、志望動機を咄嗟に尋ねられてきても、筋の通った回答を出さねばと腹を括れる。
だが逆に、人員不足によって業務が逼迫しているためなどという「欠員補充」を掲げておきながら、まるで取って付けたかのような志望動機を呑気に訊く姿勢には、どうにも反吐が出て仕方がなかった。
エリートが集まっているから?上場している企業だから?歴史のある会社だから?名だたる大手の企業と取引している実績があるから?
いったい人を雇う立場に有る者は、何を根拠にして態度をでかくしているのか。そう考えるだけでも、虫唾が走るものだった。無論そちら側にも、れっきとした言い分は用意しているのだろう。
が、この時点でそうした思考を浮かべる私は、誰よりも異端であることに違いないと理解している。今まで受けてきた企業で内定を取るどころか、一次面接をほとんど通過することができていなかった以上、この言葉はただの負け犬の遠吠えでしかない。
これまでの採用面接で苦戦を強いられ、何一つ糸口を見出すこともままならない中、私はとあるサイトで一つの記事の内容を見つけた。
そこで目にした「志望動機なんかありません」という、一部から反感を買ってもおかしくないぐらいの直球のタイトルに、思わず仰け反ってしまうくらいに見入ってしまったのだった。
その記事では、筆者の過去を含む新卒採用について掘り下げているが、私のように転職…もとい求職活動をおこなっている身にも、少なからず通ずるものがあると思う。
やがて読み終えると、自分の中で抱えていたモヤが少しだけ晴れたような気がした。同時に、そのモヤの原因はなんだったのか、輪郭がはっきりとあらわしていたのだった。
面接を受け続けるうちに投げやりの状態に陥ったのは、はじめから自分に「志望動機」を考えようとする意思を持っていなかったからだと、そう行き着いたのであった。
* * *
私にとって就職活動というのは、あくまで手段であって目的ではない。数十社、あるいは数百社も応募して、そのうちの一つの就職先に決まることがゴールではない。むしろ内定を取ってから働き始め、お金を稼ぐ傍ら人に恩恵を与えるようになってから、はじめて真のスタートだと云えるのだ。
だが私の目線では、他の誰よりも企業から内定を勝ち取ることを、一つの目的と捉えている人間が過半数いるように見えてしょうがない。この時点で、どうにも手段と目的を履き違えているように思えるのである。
それよりもこの一連の活動において、エネルギーを無駄に消費している場合ではないと考えている。不覚にも使い果たしてしまった結果がおそらく、半年も経たずして早期退職という、予期せぬ事態を招いているのではないかと勘繰ってしまう。
もはや、この一文に尽きるだろう。以降に記述された内容には直接的な表現も見受けられていることから、どこかのサイトでは賛否両論のコメントが挙げられていたが、私はこれに対して「賛同」という意味での頷きを隠せない。
最近では各サイトを閲覧していても、受ける側にも一連の質問について疑問を呈する意見が、顕著に現れ始めてきている。それだけ今の面接のやり方が、時代に逆行してきている証拠なのだろう。
ちなみに諸外国の面接では、ここ日本よりも圧倒的に時間をかけていないうえに、質問内容においても比較的あっさりしているらしい。実力主義を掲げているからこそ、人を雇う労力と時間のかけ方について端的だとも伺える。
それでも「日本の面接は、昔からそういう仕来りがあってこそ成り立っているものだから」などと現を抜かしているようでは、諸外国との遅れの差はますます広がっていくだろう。
G7などの先進国のみならず、東南アジア諸国などにも遅れを取ってしまっている中、未だに過去の栄光にしがみ付くように時代錯誤のやり方を貫いているようじゃ、どう考えても立ち直るのは困難に等しい。
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話は冒頭箇所に戻るが、根本的に「頑張る」とはどういうことなのか。どこに軸を置いて注力するべきなのか。いい加減に改まって考えてみなければ、今後さらに辛い未来が待ち受けているかもしれない。
そして、どれだけ自分にとって納得のいく努力を重ねようと、その結果が果たして必ず報われる保障なんて、この世に生きている限りどこにもないのだから。
少なくとも私は、この一連の就職活動を通じて、何より疲弊しないようにするためのやり方、特に割り切って向き合うための方法を手に入れることができたと思う。
最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!