心は常に穏やかであれ
人生に不安は付き物だ。
天気のように晴れていたのかと思いきや、急な土砂降りに遭遇したり。
群れを成していたはずの鳥が一羽だけ、その場所から取り残されたり。
考えたらまるでキリがない。
そこに正解など存在しないのだ。
色が数え切れないぐらいあるからこそ、
人の考え方、価値観なども多種多様に存在する。
己の人生も、自分のため、あるいは人のため。
それぞれ目的があっていいじゃないか。
肯定があれば否定もある。
けれど、そこで一定のバランスを保つのは難しい。
難しいからこそ、面白みというものがある。
人生を面白く、そして彩り良く送るために
我々はこうして今という時間を生きている。
刹那というものが
今後の人生を大きく左右するのなら
せめてこの言葉だけは送りたい。
あなたの心は、常に穏やかであれ。
* * *
こうした文章を綴ろうと思い立ったのは、2年前のちょうど今ぐらいの頃であった。
改めてコレを見返した時、当時の自分はこれを何のため、誰のためをもって伝えようとしたのだろう。そんな当たり障りのない感想を、不意に持ったのである。
思い返せばこの時の私は、仕事においてもプライベートにおいても、何一つうまくいってない時期であった。内に秘めた苦しい思いを誰にも打ち明けられず、ひとり悶々と抱えていたと思う。
「もう一度、自分を変えるきっかけがほしい」
そうした状況下で願いを込め、此処に戻ってくると同時に、再度記事を書くことを試みた。しかし見にきてくれる人は、現在と比べて然程いなかったのを憶えている。
しかも、一から新しくアカウントを作り直すでもなく、半年以上もほったらかしにしたままのもので、再び始めようとしたのだ。期待とは裏腹に、埃まみれのような状態で発信した記事を、誰が気になって見にくる保障もなく。
もしも、その場で心折れることなく続けていれば、また異なった景色が見えていたのかもしれない。けれど今更考えたところで、もはやただの空想でしかない。結果的に誰からの目に留まることなく、私は再び挫折してしまったのである。
やがて何事もなかったかのように、あげた記事を削除した後、またしても此処を離れてしまっていた。半年ぶりに再開した活動は、一週間どころか二、三日ももたずして勝手に幕を下ろしたのだった。
離脱している間も、まるっきり使うことのなくなったアカウントを削除する機会はいくらでもあった。が、結局消すことなく残しておいたまま丸一年経ち、再々始動という形で書き始めるのだった。
一度と云わず二度も挫折を経験した以上、三度目はもうないかもしれないと言い聞かせながら。
この選択は、はたして正しかったのか。あるいは間違っていたのか。月毎に振り返るたび、そうした自問自答をすることは今でもある。
ただ少なくとも、さらに苦しい状況下でありながらこうして投稿を継続している。だからこそ、これまでおこなってきた活動はあながち間違ってはいない…と、そう思いたい。
そして今も、不安定な日々を過ごしている現状ではあるが、何事にも心は常に穏やかであり続けたい。かつて投稿した記事のタイトルに背中を押されるようにして、私はまた私を繰り返す。
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