政治講座ⅴ1204「捏造歴史と事実隠蔽の中国」
嘘も100回いうと真実になるというお国柄。今回は赤い旗のように血で染められた歴史を俯瞰してみる。
皇紀2683年7月18日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
広西虐殺
中国がひたすらに隠すものに広西虐殺がある。
広西虐殺とは、文化大革命中に広西チワン族自治区で発生した虐殺と人肉食である。
殺害の方法には、斬首、殴打、生き埋め、石打ち、溺死などが含まれる。
中国本土での公式の死者数は10万人から15万人。
虐殺と共に大規模な人肉食が武宣県と武鳴区を含む多くの郡で起こった。
文化大革命後、虐殺や人肉食に関与した人々は軽微な罰を受けただけであり、武宣県では、15人が起訴されたものの、最高で14年の懲役を受けたにとどまった。また、91人の党員が除名処分となった。
1968年には武宣県が人肉食についての内部報告を「中央」に提出したが、それを止めるための行動は取られなかった。
南京事件
日中戦争初頭の1937年(昭和12年/民国26年)12月、大日本帝国軍が中華民国の南京市を占領した際、約2カ月にわたって多数の中華民国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵および一般市民を殺害、略奪、強姦、放火したとされる事件。
この事件の実否や実態などについては、これまで数多くの疑問が出されており、多くの学説が示されるなど、現在まで論争のもとになっている。
第二次世界大戦の終戦後、この事件の存在は極東国際軍事裁判(東京裁判)で認定され、事件に関する責任が南京軍事法廷や極東国際軍事裁判で裁かれた。
この事件の存在を認定した極東国際軍事裁判は、現在でも正当性や是非をめぐる議論が続いている(極東国際軍事裁判 § 裁判の評価と争点)。
南京軍事法廷についても、死者数について「総数は三〇万人以上に達する」としているが、当時の人口は20万人であったことなどが後に判明しており、信頼できる判決であるかは疑問が残る。
事件の真相には不明な点があり、各史料に食い違いが多いため、 事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か否かをめぐる論争や、犠牲者数をめぐる論争が存在しており、この事件の実否は確定していない。
日本国政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」と主張している。
一方、産経新聞は、2021年3月に阿羅健一が外務省に南京事件の根拠となった資料の公開を求めたところ、2022年1月に「該当文書を確認できなかったため、不開示(不存在)とした」との通知があったと述べていると報じた。
2023年4月3日の参議院決算委員会において、南京事件における根拠となる文書は外務省内には存在しない、という初の国会答弁が出た。質問者の和田政宗によると、答弁にあった『戦史叢書 支那事変陸軍作戦』で一般住民を日本軍が意図的に殺害したとの明確な記述はこれらの資料からは得られず、「南京付近の死体は戦闘行動の結果によるものが大部分であり、計画的組織的な虐殺とはいいがたい」と明記されている。と述べている。
黄文雄氏は「中国側の主張している内容は、中国歴代王朝が行ってきた虐殺の歴史をただ復唱しているだけなんです。中国では長年にわたり、王朝が交代するたびに、北京、西安、開封、揚州と大虐殺を繰り返してきました。南京では、東晋の時代に王敦という武将が行っています。それ以降も大虐殺を繰り返し、近代最大のものは、曽国藩の弟で曽国荃という武将によるものです。三力月ぐらい略奪したり、火を付けたりしている。非常に詳しい記録が残っているのですが、それが「南京大虐殺」における今の政府の発表とそっくりなのです。」と述べている。
参考文献・参考資料
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