政治講座ⅴ1618「付き合いきれない支那、秦の法家(商鞅)に学べ」
捏造歴史教育に基づく憎悪感情の植え付けによる「反日教育」の成果が「これ」である。
世界中で中国人の品格が疑われる事件が多発しているが、裏返して深読みすると、「中国共産党の品位・品格」を意図的に落とすための反共産党主義者の「愛国無罪」という判例を悪用した高度な政治活動ではなかろうかとも思えるから不思議である。
常識的にはおかしいことを「愛国無罪」といって平然と行うことが行われている。
悪いことをするなら、隠密にやるのが犯罪であろうが、中華人民共和国の旗を振りながら世界中に醜態を晒すことは、中国共産党の品位・品格を貶めている。
そのことに気が付かないのか、はたまた、「中国共産党」の品位・品格を「愛国無罪」を隠れ蓑にして貶めることを目的にしているのか。まったく、付き合いきれない。 ストライサンド効果の事例も紹介する。
本日は節分で、鬼を豆で追い払うように世界中から嫌われ者の中国共産党を鬼に見立てて豆まきをしよう! 呵々! 人に石を投げるようなことは暴行・傷害罪になるので辞めなはれ! 今の中国は法治国家にほど遠い。法と証拠で裁くように国家を変えた秦の法家(商鞅)に中国共産党は「法」を学ぶべきである。
今回はそのような現代の報道記事を紹介する。
皇紀2684年2月3日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
秦の始皇帝より古い神武天皇
神武天皇は、初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)とされる日本神話(『古事記』・『日本書紀』(記紀))上の人物である。
諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野。
『日本書紀』記載の名称は神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)。
天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫と『古事記』『日本書紀』に記述されている。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服(神武東征)。遷都した畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)にて即位して日本国を建国したと言われる人物。
皇紀は神武天皇即位から続く年号である。
西暦(2024年)+660年=皇紀2684年で簡単に計算できる。蛇足であるが、日本の戦闘機「零戦」は皇紀2600年から命名され零式艦上戦闘機と言われ「ゼロファイター」と米国海軍に恐れられた。当時の日本の軍用機の名称には採用年次の「皇紀」の下2桁を冠する規定があり、零戦が制式採用された1940年(昭和15年)は神武天皇即位紀元(略称・皇紀)2600年にあたるので、その下2桁の「00」から「零式」とされた。
商鞅と言う人物(詳細は後述)
比類なき功績の商鞅は、従来の因習・慣習・身分制度と貴族の利権を強引に法律で禁止して断行し、富国強兵の国を作り上げた。しかし、利権をもった貴族などの商鞅を恨む人間を大量に作っていた。彼らの多くは旧来の貴族であり、変法によって君主の独裁権が確立されると彼らの権限が削られていくので商鞅を恨んでいた。
紀元前338年、孝公が死去し、太子駟が即位し、恵文王(この時点では恵文君)となった。この時にかねてより商鞅に恨みを持つ新王の後見役の公子虔・公孫賈ら反商鞅派は讒訴し、商鞅に謀反の罪を着せようとした。恵文王も太子時代に自分を罰しようとした商鞅に恨みを持っていたので、危機を悟った商鞅は慌てて都から逃亡し、途中で宿に泊まろうとしたが、宿の亭主は商鞅である事を知らず、「商鞅さまの厳命により、旅券を持たないお方はお泊めてしてはいけない法律という事になっております」とあっさり断られた。
商鞅は「法を為すの弊、一にここに至るか」(ああ、法律を作り徹底させた弊害が、こんな結果をもたらすとは…)と長嘆息し、いったん魏に逃げるが、公子卬を騙した事を忘れていない魏は、軍を発し即座に国内から追放した。
仕方なく商鞅は封地の商で兵を集めたが、秦の討伐軍に攻められて戦死した。恵文王の厳命でその遺骸は黽池で見せしめとして車裂の刑に処せられ、身体は引き裂かれて曝しものとなった。
秦はそれまでは内陸奥地の起源を持ち、中国中央とはやや異なった風習でもあり、野蛮国と見なされてきた。しかし彼によってそういった面は改革され、さらに魏に勝ったことで強国として一目置かれることとなった。
また、恵文王以降の秦の歴代君主は商鞅が死んだ後も商鞅の法を残した。商鞅より半世紀前、楚の呉起も商鞅のように厳しい法を残したが、そちらは呉起の死後に廃止されている。このため王と法の元にひとまとまりとなった秦は、門閥の影響が強く纏まっていなかった楚などを着実に破っていく。
最終的に秦が戦国時代を統一できたのは、商鞅の法があったためと言っても過言ではない。
商鞅の言の通り「旧習に従わず王者となり、変えなかったものは滅んだ」のである。
現代では政治家および法律学者(法家)としての評価が高いが、戦国時代には稀代の将軍・軍事思想家(兵家)としても敬服されていた。『荀子』「議兵篇」において、荀子は、戦国時代の名将として商鞅(原文では衛鞅)を田単ら他二人と共に上げている。商鞅の軍事思想を記録したものとして、『漢書』「芸文志」は『公孫鞅』二十七篇を記載しているが、後に散逸した。
秦の始皇帝が統一後に政権内部の腐敗と厳しすぎる刑罰による反乱が勃発して、項羽と劉邦の戦い後に漢王朝ができる歴史に流れて行くのである。
遅くなったが、報道記事を紹介する。
旭日旗騒動めぐり中国国営テレビが「異例」の批判展開―香港メディア
Record China によるストーリー •
香港メディアの香港01は、江蘇省南京市の商業施設での「旭日旗騒動」をめぐり、中国国営の中央テレビ(CCTV)が異例の批判を展開したと報じた。
騒動の発端は先日、同商業施設を訪れた男性ブロガーが撮影した動画だ。男性は動画内で施設のあちこちに日本的要素があり「旭日旗」まで貼られていると指摘、「ここは南京であり、東京ではない!」などと大騒ぎし、警察に通報した。警察は最終的に装飾を剥がすよう施設側に求めた。
この動画が物議を醸し、同ブロガーに賛同して施設を批判する声が上がったものの、その後、装飾の全体像を写した画像が出回り、問題の部分は日本とは全く関係がなく一部を切り取っただけであることが明らかにされた。
香港01は「中央テレビが異例にも批判的な声を上げた」とした上で、同局のニュースサイト・央視網に掲載された文章を紹介した。
「愛国はビジネスではない。通報には根拠を」と題された同文章は、騒動について「消費者が正常な視点と心理でその装飾の全体を見れば、図柄と旭日旗とをイコールにすることは難しい」と指摘。「その他、地下鉄の駅構内の図案も断片的に取り上げられて旭日旗と主張しているが、全体を見ると太陽や梅、扇子などだった。しかし、当事者(施設側)はいわゆる『愛国者』に妥協したのである」と論じた。
その上で、「この件については二つの声があり、一方は愛国無罪で、告発内容に問題があったとしても理解すべきだというもの。もう一方は、感情をあおって目を引く悪質な行為だというものだ」と説明。「根本的には法治の道に戻らなければならない。告発は市民の権利だが、近年は一部の下心ある人間が恣意的に事実を捏造して他人の名誉を棄損し、迷惑をかけている。また正義感や道徳心を爆発させた人々が深読みし、事実を誇張し、無理やり当てはめ、でたらめな連想をして、企業の正常な経営を破壊している。同時に、ネット上で注目を集めて存在感を高める風潮が増している」と指摘した。
そして、「こうした乱発的な告発は、個人にとっても企業にとっても社会全体にとっても百害あって一利なしだ」と批判。こうした気風にブレーキをかけるため、「告発は証拠を重視し、受理機関は全面的かつ詳細で公平な審査を行い、ネットの感情に巻き込まれないこと」「悪意のある告発者は企業や社会に与えた影響の責任を負い、罰せられるべきであること」の2点を挙げている。(翻訳・編集/北田)
中国人旅行客が英国の街角ピアニストに「撮影やめるよう」要求、動画に反響
クライム・事故 / By Mashup Reporter 編集部 / 2024-01-23
ロンドンで、中国人の旅行客のグループが、ストリートピアノの演奏をライブ配信していた男性に、撮影をやめるよう求めた。この様子を収録した動画がYouTubeに投稿され、反響を呼んでいる。
問題が起きたのは19日、街角ピアニストのユーチューバー「Dr K」ことブレンダン・カバノー(Brendan Kavanagh)氏がセント・パンクラス駅で、連弾をしていたところ、背後にいた女性が、中国のテレビ局で働いていると自らを紹介した上で、「われわれは映ってますか?」と質問した。
カバノー氏は、わからないとしつつ「だめなのですか?」と聞き返すと、女性は「中国のために働いています。(映像を)公開するのは許可されません」と回答。「中国とのトラブルに発展する?なぜ?」と質問を重ねるカバノー氏に、もう1人の男性が「声やイメージを撮影してほしくない」「画像はオンラインにシェアできない。個人には肖像権があり、それらは保護されている。(中国で)ネットに投稿するには、合意がなければならない」などと主張。ビデオを公開した場合「法的措置を検討する」と詰め寄った。
カバノー氏は「理解できない」と呟き、「ここは自由の国だ。共産主義の中国じゃないのは、わかってるだろ」「撮影したいものを撮影する」と反論すると、別の女性が「私は英国人だ。私にも肖像権がある」と割って入った。「ここは英国だ。中国じゃない。中国の旗を持っているじゃないか」と反論するカバノー氏に、男性が「彼女に触るな」と声を荒げるなど、口論に発展した。
そうするうちに警官2人が現れ、中国人グループの言い分を聞いた後、カバノー氏らに撮影を停止するよう求めた。
女性警官は「彼らは国のために働いており、顔をさらすことはできない」と説明。これに、カバノー氏は「ここは英国で、公共のスペースだ、自由の国だ」「あなたは、彼らの護衛じゃない」と反発した。人種差別的な発言があったことを指摘されると、「ばかげてる。中国の旗を持っていると言っただけだ」と主張した。
カバノー氏は、このやり取りを記録した動画をYouTubeに投稿。現在、400万回以上再生されている。
コメント欄には「こんな馬鹿げたことを主張する人がいるのは嘆かわしい。強い立場を示してくれてありがとう」
「われわれの権利を主張してくれて感謝する」
「彼らはYouTubeで有名になった。言論の自由に関するこのビデオほど素晴らしいものはない」とカバノー氏を支持する声が多数投稿されている。
日本や台湾、米国、カナダ、ドイツのユーザーからも応援のメッセージが届いた。警察の対応を疑問視する意見も散見される。
ニューズコープ傘下のTalkTVは、今回の騒動について「親中派の活動家にピアニストがハラスメントされた」と報じた。番組に出演したカバノー氏は「ロンドンにいるのに、中国人がよってたかって私にそれはできないと言ってくるのに驚かされた。いい加減にしてくれと思った」と振り返った。
Business Insiderには、彼らを当初、日本人クルーと間違えたため、気分を害した可能性があると語っている。カバノー氏が「典型的なストライサンド効果の例」と指摘する通り、動画は中国人グループの意図に反して、Xなどプラットフォームをまたいで拡散されている。
ストライサンド効果とは
ある公開された情報を秘匿・除去しようと試みる行為が、かえってその情報を広い範囲に拡散させてしまう結果をもたらす現象の名前であり、インターネット・ミームの一種である。
この名称は20世紀から21世紀に活躍したアメリカ合衆国の歌手・女優でエンターテイメント界の大物、バーブラ・ストライサンドにちなんで命名された。2003年、バーブラは自分の邸宅が写っていたネット上の画像の公開を差し止めようとして裁判を起こしたが、図らずも却って世間の関心を集める結果になってしまった。
情報の秘匿に際しては法的措置であるCease and Desist(英語版)などの措置が利用される場合があるが、仮に元の情報の秘匿や公開差し止めの実現に成功した場合でも、却ってその情報に対するネット上やメディアの関心が高まり、インターネット上でオンライン・アーカイブが配布されるなどして、情報が際限なく拡散することになる。
また出版物などについて差し止め請求を行使するなどすると、その出版物への注目がかえって高まる可能性もある。
この効果は心理的リアクタンスの一例であると見做されており、人間は何らかの情報が秘匿されていることに気付くと、その情報を入手して広めようとする意欲が大幅に高まると言われている。
在英中国総領事館暴行事件、総領事ら6人出国 事情聴取に応じず
2022年12月15日
画像説明,イギリス・マンチェスターの中国総領事館で10月に香港の民主化を求めるデモの参加者が暴行を受けた当時の写真
イギリス・マンチェスターの中国総領事館で10月、香港の民主化を求めるデモの参加者が暴行を受けた事件で、ジェイムズ・クレヴァリー英外相は14日、事情聴取を求めていた総領事を含む職員6人がイギリスを出国したと明らかにした。
中国総領事館前では10月16日、香港の民主化を求めるデモが行われた。これに参加していた香港出身のボブ・チェン氏が、総領事館の敷地から出てきた男性たちに敷地内に引きずり込まれて殴打され、けがをした。
イギリスはこの事件に関して事情聴取を行うため、中国側に対し総領事を含む職員6人の外交特権を放棄するよう求めていた。
クレヴァリー英外相は14日、6人全員が正当な裁判を受ける可能性が無くなったことに失望感をあらわにした。
暴行に関与した疑いがある6人には、郑曦原総領事も含まれる。総領事はデモ参加者の男性を殴っていないとしている。
「通常の人事」で帰国と
事件当時の様子をとらえた複数の画像で、総領事の姿が確認されている。総領事はマンチェスターの総領事館の実質的責任者。
総領事はその後、チェン氏は「自分の国や指導者を罵倒していた。私は義務を果たしたと考えている」とし、同僚を守ろうとしたのだと記者団に語った。
外交官を帰国させるという中国側の決定は、論争を鎮めてイギリスとこれ以上やり合うことを避ける狙いがあるとの見方もある。
しかし、在ロンドン中国大使館のスポークスマンは14日、イギリスは中国総領事館職員を守ることができなかったとし、この事件に関してイギリスに独自の申し入れを行ったと付け加えた。
また、総領事は任期を終えて「領事館関係者の通常の人事ローテーション」の一環で帰国したと説明した。
イギリス当局は、外交官が警察の捜査への協力に同意しない場合、相応の結果を招くことになると、大使館側は十分承知していたとしている。
こうした対応には、イギリスからの追放対象となる「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからぬ人物)」への指定が含まれている可能性が高い。
しかし中国は、外交官を呼び戻すことで、そうした事態になることを回避した。
聴取できず「失望」
クレヴァリー英外相は、総領事ら6人を帰国させるという中国の対応は、今回の事件に対するイギリス政府の対応の本気度を表すものだと述べた。
「我々は国際舞台でも、国内的にも、法の支配を順守し続ける。他の国も同様の対応を取ることを期待している」
クレヴァリー氏は英下院への文書による声明で、「これらの人物が今後、事情聴取や、正当な裁判を受けることがないことに失望している」と述べた。
「それでも、マンチェスターでの不名誉な光景を引き起こした責任者が、イギリスに駐在する領事スタッフでなくなったこと、あるいは間もなくそうなるのは正しいことだ」
クレヴァリー氏によると、グレーター・マンチェスター警察の要請を受けて中国側へ外交特権放棄を求めたという。
動画説明,中国総領事館職員がデモを妨害、暴力も=英マンチェスター
殴打され負傷したチェン氏は、中国外交官の出国について、「私がマンチェスターで中国総領事館の職員に襲われてから2カ月がたった。今日、数人が中国に送り返されたと聞いた。2カ月という時間はかかったかもしれないが、これがこの複雑な外交問題を解決するひとつの方法だと信じている」と話した。
「私は自由に生きるために家族とともにこの国に移り住んだ。2022年10月16日に起きたことは容認できない違法行為であり、今回の中国外交官の撤退を受け、この事件が終結したと感じている」
外交官特権では理論上、外交当局者とその家族はいかなる犯罪や民事事件でも逮捕・起訴されない。
中国側は当初、総領事館の敷地に不法に入ろうとする動きがあったと主張していた。
「ペルソナ・ノン・グラータを宣告すべきだった」
英保守党の元党首サー・イアン・ダンカン・スミスは、正式に「ペルソナ・ノン・グラータ」を宣告すべきだったと述べた。
「マンチェスターで行われた平和的な民主運動家に対する目にあまる暴行をめぐっては、関与した人物が告訴されることなく、堂々とイギリスを離れることを許してしまった。彼らはそれ以上の責任を負う必要があるというのに。中国に彼らを引き取らせることは正義ではない」
「我々は数週間前に彼らを追い出すべきだった」
(英語記事 Chinese diplomats leave UK over protester attack)
イギリス 中国のスパイ活動を非難「一線を越えている」
2023年9月15日 9時54分
イギリス政府は、中国がスパイ活動の一環としてイギリス政府や軍の要人などを勧誘しているとする見解をまとめ「一線を越えている」と非難しました。
イギリス政府は14日、中国についての見解を議会に提出し、この中で「中国はイギリスの政府、軍、産業界や一般社会から要職にあり、機密情報を持っている人を協力者として勧誘している」と指摘しました。
そして、こうした活動について「影響を及ぼすのではなく介入する狙いがあり、一線を越えている」と非難し、中国の挑戦に対じするため、中国語教育へのさらなる投資を通じて専門知識を持った人材の育成に力を入れる必要があるなどとしています。
イギリスでは、▼議会で情報収集に当たっていた事務員など2人が中国のスパイとして活動していた疑いでことし3月に逮捕されたほか、▼与党・保守党の候補者に応募していた別の2人について、治安当局が中国のスパイの可能性があると警告していたことが9月、相次いで明らかになりました。
イギリス政府は、中国への関与を通じて人権状況の改善などを求めていく方針を掲げ、9月のG20サミットでスナク首相が中国の李強首相と会談しましたが、国内では中国への接近に対する警戒や批判が強く、政府は難しいかじ取りを迫られています。
中国外交部「イギリス人」ビジネスマンを監獄に送ったのを認める。中国は人さらい国家
2024.01.27
またも中国リスクが明らかになりました。
2024年01月25日、『Wall Street Journal』が、イギリス人ビジネスマンが中国当局に突然拘束、現在は収監されていることを報じました。裁判にかけられて5年の実刑判決を受けたのです。
本件について、外交部の定例記者ブリーフィングで質問が出たのですが、汪文斌報道官は「事実である」と認め、しゃあしゃあと「中国は法治国家である」と言ってのけました。
外交部が公表した以下のやりとりをご覧ください。
このイアン・ストーンズさんは、「40年以上のキャリアがある自他共に認める中国通」――と報じられています。『GM』『Pfizer(ファイザー)』の現地法人の役員として勤務したこともある人で、15年前に投資コンサル会社『Navisino Partners』を立ち上げて中国で仕事をしてきました。
このような人が突然拘禁されて監獄に送られるのです。
今回の中国外交部が認めたところによれば、第一審の判決は2022年08月23日に出ていました。控訴しましたが、2023年09月08日に第二審でこれが棄却されて有罪確定。5年の禁錮が決定したのです。現在ストーンズさんは「北京第2刑務所」にいます。
中国に2,279日も監禁された日本人・鈴木英司さんの著作『中国拘束2279日 スパイにされた親中派日本人の記録』によれば、親しく中国と付き合ってきた外国人の方が危ない――とのこと。
今回のストーンズさんの受難も鈴木さんの指摘どおりです。
中国の司法は全く透明性がなく、裁判についての情報も開示しないので、文句をつけることも難しいのです。ちなみに日本の外務省は監禁された日本人について何もできません。日本人を救えない政府機関に何の意味があるのでしょうか。税金を払うに値するのでしょうか。
中国は紛うことなき「人さらい国家」です。この点でも中国は北朝鮮と似ています。
本件についてはイギリスのお手並みを拝見したいところです。日本の参考になるかもしれません。
商鞅と変法の改革【秦を氏族制社会から中央集権へと改革】
商鞅(しょうおう)は、古代中国・戦国時代の秦の孝公に仕えた政治家で、法家思想に基づいて変法と呼ばれる改革を行い、秦を強力な中央集権国家にしていきました。この改革が後の始皇帝による秦王朝を生み出す土台となるのですが、商鞅はその改革で不利益を被った層により命を奪われました。
商鞅(しょうおう…BC.390~BC.338)は、中国の戦国時代(BC.475~BC.221)に秦の孝公に仕えた政治家です。最初、魏の宰相の食客となりましたが、魏王が彼を取り立てようとしなかったため、当時人材を求めていた秦に行き、秦の君主・孝公に抜擢されて「変法」と呼ばれる大改革を行いました。
この改革によって秦はそれまでの氏族社会から、君主に権力が集中する強力な独裁国家となり、また法の徹底や厳罰主義を推し進めました。秦は富国強兵に成功し、やがて戦国七雄という割拠状態から抜け出して超大国になり、始皇帝時代に中国を統一して秦王朝を打ち建てます。商鞅による改革はこのための礎を築いたといえましょう。
秦に成功をもたらした商鞅は孝公の死後、後ろ盾を失って、氏族社会の解体で没落した貴族の恨みを買って悲劇的な死を迎えました。
商鞅の生涯
商鞅は衛の公子、つまり貴族でした。若い頃刑名学…法治主義の思想…を学び、魏の宰相・公叔座(こうしゅくざ)の食客となります。
公叔座は商鞅の才能を認め、魏の恵王に自分がもしもの場合は商鞅を登用するよう、登用しないのであれば彼の命を奪うよう進言しましたが、恵王はこの話を聞き流し、どちらの提言も採用することはありませんでした。
公叔座が亡くなると、秦の孝公が人材を求めていたため商鞅は秦に向かいました。
秦は穆公(ぼくこう)の時代、春秋五覇の一に数えられるほど国力が増しましたが、その後韓、魏、趙に攻め込まれて多くの領土を失っています。孝公には秦を再び過去のような大国にしようという野心がありました。
商鞅は孝公の寵臣を頼って孝公に近づき、やがて高位へと上り詰めていきました。
商鞅による秦国の大改革…氏族社会の解体
孝公に抜擢された商鞅は第一次変法(へんぽう…改革のこと。BC.359)と第二次変法(BC.350)の2回に分けて秦国の政治に大ナタを入れていきました。
商鞅はまず民からの信用を得るために都の南門に三丈の長さの木を植え、この木を北門に移した者には10金を与えると布告しました。
けれど民たちは怪しんで、誰も実行に移さなかったため、次に50金を与えると金額を上げて布告しました。
するとある者が木を北門に移したため、商鞅はこの者に50金を与えました。
こうして商鞅は民衆から信用を得ることに成功し、以降の変法へと繋がりました。
第一次変法
第一次変法ではさまざまな政策により、氏族制社会(しぞくせい しゃかい…血縁関係を基礎とする社会)を解体しました。
分異(ぶんい)の令…2人以上男子のいる庶民の家を分家させ、氏族制に基づく大家族を解体するという政策。
什伍(じゅうご)の制…5家を単位として徴税・徴兵し、互いに監視させました。こうして血縁ではなく他人同士が組織されて、中央の役人の支配を直接受けさせるという政策。
軍功爵(ぐんこうしゃく)…君主の一族も含めた支配者層に対して、軍功に応じて爵位を与え、軍功がなければ支配者としての戸籍をはく奪するという政策。
この政策により、支配層の氏族制的特権は奪われ、逆に軍功を挙げれば名もない庶民でも高位・高官に昇ることが可能になりました。
漫画・アニメ『キングダム』は、始皇帝時代前後の秦が物語の背景になっています。主人公・信は社会の最下層に属する捨て子ですが、軍功を挙げれば将軍になれると剣の技を磨き続けます。
このような上昇志向エネルギーの渦巻く社会の基盤を作ったのが商鞅でした。
中原から遠く離れ元蛮族の地であった秦はもともと氏族制が弱かったのですが、この改革により氏族制は解体され、一国において君主のみに権力が集中する強力な独裁政権が作られました。
第二次変法
第二次変法は、第一次変法によって兵士は強くなり農業生産力は上がり、富国強兵が成功して秦の大国化が進んだのを受けて、君主の権力をさらに強めるために行われました。
たとえば分異の令の徹底化。
さらに県を31か所に設置。そこに一代限りの役人を派遣して直接統治し、王権の基盤としました。
改革の光と影
こうした改革によって秦は強国にのし上がっていきます。商鞅は将軍としてかつて食客をしていた魏に出兵しこれを討ちます。この功績により商鞅は商に封じられて商君の名を得ました。
けれども法の徹底と厳罰主義には不満の声も高まりました。
商鞅の改革で最も不満を高めたのは各地の有力貴族で、彼らは特権を失ったことで商鞅を憎みました。それでも商鞅が10年の長きにわたって秦の宰相の地位を保ち続けたのは孝公の後ろ盾があったからです。その孝公が亡くなると商鞅はたちまち追われる身となりました。
商鞅は秦の都を脱出して国境の旅籠に泊まろうとしましたが、秦では身分証明書のない者を泊めることはご法度です。商鞅は自分が作った厳しい法のしっぺ返しを受けたのでした。
その後商鞅は魏に向かいますが、魏にとって商鞅は裏切り者です。魏の当局は商鞅を捕まえて秦に送り返しました。追い詰められた商鞅は兵を挙げて戦死し、遺体は車裂きの刑に遭い、一族はみな処刑されました。
強大な秦を作り上げた立役者は商鞅でしたが、彼はこうして悲劇の最期を遂げました。
けれども秦は彼がいなくなった後も商鞅の政策を続け、後の始皇帝による中国統一の基盤を作り上げました。
参考資料・参考文献
旭日旗騒動めぐり中国国営テレビが「異例」の批判展開―香港メディア (msn.com)
中国人旅行客が英国の街角ピアニストに「撮影やめるよう」要求、動画に反響 - Mashup Reporter
在英中国総領事館暴行事件、総領事ら6人出国 事情聴取に応じず - BBCニュース
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