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政治講座ⅴ1442「永遠の命(不老不死)と金縷玉衣」

 権力者が最高位を得た後に望むことは、永遠の命である。不老不死の薬を探し求める故事もある。
 中国では古くは始皇帝(紀元前3世紀ころの人物)が不老不死を求め、実際に徐福に蓬萊の国へ行き仙人を連れてくるように(あるいは仙薬を持ってくるようにと)命じたことが『史記』に記録されている。無論それらを探し出せなかった徐福は始皇帝の怒りを恐れて、そのまま日本に「亡命」したと伝説は語っている。
 この世で強大な権力を手に入れた始皇帝は死を恐れ、不老不死を手に入れようと部下達に無理難題を押し付けた。始皇帝によって不老不死の薬を作ろうとする試み練丹術が始まったが、無謀な命令を受けた彼らが作りだしたのは「辰砂(しんしゃ)」、すなわち水銀などを原料とした丸薬であり、それを飲んだ始皇帝は猛毒によって死亡した。熱い砂漠を移動する中、始皇帝の死体はすぐに腐臭を放ち始めたが、皇帝の死を隠すために、皇帝の馬車の前後に腐った魚を乗せたとか、側近が皇帝の死体を腐った魚が入った箱の中に入れたなどという話が残っている。翻って「金縷玉衣」について記す。古代中国では玉は遺体の腐敗を防ぐ力があると信じられ、遺体に玉を供(そな)える風習があった。今回はそのような報道記事を紹介する。
蛇足:「起きて半畳寝て一畳」、これが権力者の姿である。広大な領土を手に入れても、人間の大きさはまさに「起きて半畳寝て一畳」であり権力のむなしさである。権力者の死は哀れさを誘う。

     皇紀2683年10月21日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司

玉片2498枚を金の糸でつなぎ合わせた「金縷玉衣」―中国

Record China の意見

玉片を金の糸でつなぎ合わせ、鎧のように全身を覆った玉衣には、永遠の命を望む古代の人々の思いが込められている。© Record China

玉片を金の糸でつなぎ合わせ、鎧のように全身を覆った玉衣には、永遠の命を望む古代の人々の思いが込められている。「玉匣」や「玉押」とも呼ばれる「玉衣」は、漢代の死装束だ。すっぽりと全身を包む「玉衣」の玉片は、金の糸や銀の糸、銅の糸でつなぎ合わされている。中でも金の糸を使ったものは「金縷玉衣」と呼ばれ、最高級品となる。

古代の人々は、玉石を使うと、遺体は1000年以上腐敗しないと信じていた。さかのぼって西周(紀元前1100年ごろ-紀元前771年)の頃から、人々の間では埋葬の際に死者の耳や口などに玉製品を詰める風習が登場し、漢代には遺体に「玉衣」が着せられるようになった。中国河北省で発見された満城漢墓から出土した「金縷玉衣」は、中国で初めて発見された最高規格で、保存状態が最も優れた「玉衣」だ。

「玉衣」の製作にはどれほどの手間がかかるのだろうか?

玉片2498枚を金の糸でつなぎ合わせた「金縷玉衣」―中国© Record China

前漢の皇族・諸侯王である劉勝の墓から出土した「金縷玉衣」の長さは188センチで、頭部のかぶり物、上着、ズボン、手袋、靴という5つの部分で構成され、合わせて玉片2498枚と金の糸約1100グラムが使われている。極めて高価な材料が使われているだけでなく、その製造工程も非常に複雑だ。まず、「玉衣」は、遺体にぴったり合う大きさに仕上げなければならない。玉石は、カットし、穴を空け、美しく磨き上げるといった加工が必要で、さらに、金を叩いて板状にして、それを細くカットして、さらに撚って細い糸に仕上げ、さまざまな編み方を駆使して玉片をつなぎ合わせていかなければならないのだ。専門家は、前漢の時代のこの「玉衣」は、熟練した職人が約10年かけて製作し、その費用は当時の中産階級の財産100世帯分の総和に相当するとしている。(提供/人民網日本語版・編集/KN)

日本初公開 金縷玉衣 (きんるぎょくい)
前漢時代・前2世紀
江蘇省徐州市獅子山出土 長170cm
江蘇省・徐州博物館蔵

多数の玉片(ぎょくへん)を黄金の針金で綴(つづ)ったもので、漢王朝の皇族の遺体を覆っていた。古代中国では玉は遺体の腐敗を防ぐ力があると信じられ、遺体に玉を供(そな)える風習があった。漢時代の高級貴族の間では遺体に玉衣を着せることが流行したが、本作は知られているなかでも最高級のもの。

参考文献・参考資料

玉片2498枚を金の糸でつなぎ合わせた「金縷玉衣」―中国 (msn.com)

不老不死 - Wikipedia

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