政治講座ⅴ1643「21世紀最悪の殺戮者プーチンが最も恐れた男・ナワリヌイ氏」
民主主義国家と言われながら選挙に出馬する候補者を片っ端から暗殺していく恐怖政治の世界。
かつで民主主義の国のドイツでナチス党が台頭した姿に生き写しが今のロシアのプーチン氏であろう。持ち前のKGBの謀略と暗殺は十八番であろう。そのロシアがウクライナを「ネオナチだ!」と決めつけて侵略する姿に疑問を感じる。支離滅裂な政権の主張に疑問がないのであろうか。疑問を持ち反論する者は悉く暗殺されてしまうのである。恐怖政治はここに至れり。21世紀最悪の殺戮者プーチンとして、歴史に名を遺すことであろう。今回はそのような恐怖政治の報道記事を紹介する。
皇紀2684年2月21日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
「プーチンが最も恐れた男」と英紙が追悼 英国でも相次ぐ謎の死
毎日新聞 によるストーリー • 1 日
ロシア反体制派指導者のアレクセイ・ナワリヌイ氏の死亡は、多くの亡命ロシア人が住む英国でも大きく報じられた。
英紙タイムズ(電子版)は16日、「プーチン(露大統領)が最も恐れた男」と題した追悼記事を配信。プーチン氏が公の場でほとんどナワリヌイ氏の名前を口にしなかったことを挙げ、「ナワリヌイ氏のカリスマ性」をロシア政府が極度に恐れていたと指摘した。
スナク英首相は「恐ろしいニュースだ」とX(ツイッター)に投稿。そのうえで「生涯を通じ、信じられないほどの勇気を示した」とたたえ、「ロシア民主主義の擁護者」と位置付けた。
2020年のナワリヌイ氏襲撃事件で使用された猛毒の神経剤「ノビチョク」は、英国でもよく知られた化学兵器だ。18年に英南部ソールズベリーでロシア軍参謀本部情報総局(GRU)元大佐のスクリパリ氏が襲撃された事件でも、このノビチョクが使われた。こうした経緯から英国ではナワリヌイ氏への関心も高く、英メディアは「多くの死は解決されない」(英紙ガーディアン)などと改めてその不可解さを報じた。
英国はプーチン政権に敵対する亡命ロシア人の一大拠点で、特にロンドンは近年、ロシアの地名風に「ロンドングラード」などと呼ばれる。一方、英国で謎の死を遂げるロシア人も後を絶たず、06年にはロシア連邦保安庁(FSB)元情報員のリトビネンコ氏がロンドンのホテルで、何者かに放射性物質ポロニウムを盛られて殺害された。
ロシア新興財閥「オリガルヒ」の実業家ベレゾフスキー氏も13年、ロンドン郊外の自宅で死亡。英警察は自殺との見解を示したが、不審な点も多いとされる。
そのビジネス相手だったジョージア(グルジア)国籍のパタルカツィシビリ氏も08年にロンドン郊外の自宅で心臓発作で死亡した。【ロンドン篠田航一】
ナワリヌイ氏妻「露政権が死亡関与」「当局は毒消失待っている」
毎日新聞 によるストーリー • 11 時間
北極圏の刑務所で獄死したロシアの反体制派指導者、ナワリヌイ氏の妻ユリアさんは19日、動画で声明を発表した。ロイター通信が伝えた。ユリアさんはプーチン政権が死亡に関与したとの見方を示した上で、ロシア当局が遺族への遺体の返還を拒否していることについて「ノビチョク(猛毒の神経剤)の痕跡が消えるのを待っているのだ」と述べ、時間稼ぎだと批判した。
ナワリヌイ氏の死因について、ナワリヌイ氏の母親らは「突然死症候群」と説明を受けたとされる。だが、ユリアさんは「我々はなぜプーチン(大統領)が殺害したのかを知っている。誰がこの犯罪を、どのように実行したのかを突き止める」と強調。「プーチン氏は単にナワリヌイ氏という人間を殺したのではない。我々の希望や自由、未来を殺したかったのだ」と非難した。
ユリアさんは今後について「私は(夫の)取り組みを続ける。私たちの国のための戦いを続ける」と話し、ロシア国民にも「諦めず、戦い続けよう。私は怖くない。あなたも何も恐れることはない」と呼びかけた。
ノビチョクはロシアのスパイが敵を攻撃する際によく使うとされる。2020年にナワリヌイ氏が襲撃された事件でも使われた疑いが持たれている。
「毒殺したいなら最後までやった」 プーチン大統領、ナワリヌイ氏襲撃を否定
ロシアのプーチン大統領は17日、反体制派指導者のナワリヌイ氏の毒殺未遂事件に関与したとみられる連邦保安庁(FSB)の工作員8人を特定した英国の独立系調査グループ「ベリングキャット」などの調査結果について「調査報道ではなく、米情報機関の資料の正当化にすぎない」と指摘し、「もし毒殺したいのなら、最後までやっていただろう」と改めて関与を否定した。年末恒例の記者会見で述べた。
プーチン氏はナワリヌイ氏について「米国の情報機関の支援を受けている」として、FSBによる尾行活動を正当化。一方でナワリヌイ氏のドイツへの移送を許可したことにも触れ、猛毒の神経剤ノビチョクで襲撃までする必要性を否定した。そのうえで、今回の調査は自身を批判するための「政治闘争のトリックだ」と訴えた。
ナワリヌイ氏の急死で世界が激怒する21世紀最悪の殺戮者・プーチンの暗殺の歴史…それでも日本政府が弱腰な背景とは
2月16日、ロシアの反プーチン派活動家のアレクセイ・ナワリヌイ氏が収監先の北極圏の刑務所で急死した。47歳だった。
ナワリヌイ氏の急死に歯切れの悪い日本政府
ナワリヌイ氏は2000年代よりネット上でプーチンを鋭く批判する活動で注目を集めたブロガー・政治活動家で、2020年8月には秘密警察「連邦保安庁」(FSB)によって軍用毒物「ノビチョク」を使って毒殺されかけた。
仲間の尽力でドイツに移送されて手当を受けて九死に一生を得たが、回復するとプーチン政権への批判活動を続けることを宣言して翌2021年1月にはロシアに帰国。帰国と同時に空港で逮捕され、劣悪な環境の監獄を転々とした。その間、まだ40代ながら急速に体調を崩していった。ロシア当局による虐待疑惑が濃厚で、その結果、今月の急死である。
ロシア当局は死因について「散歩した直後に気分が悪いと訴え、直後に意識を失い、そのまま死亡した」と発表したが、ロシア当局の発表には信憑性は微塵もない。直接の死因は不明だが、プーチン政権によって心身を極度に痛めつけられ、死に至ったことは明白だ。
つまりプーチンによる「密殺」である。
著名な活動家の獄死に、各国の首脳はあいついで強い言葉でプーチンを非難した。
「激怒している。間違いなく死の責任はプーチンにある」(バイデン米大統領)
「ロシアでは自由な精神は死刑を宣告される。怒りと憤りを禁じ得ない」(マクロン仏大統領)
「ロシアはもう民主主義国家ではない」(ショルツ独首相)
「プーチンがいかに怪物であるか全世界が思い知らされた」(トルドー・カナダ首相)
「恐ろしいニュースだ。プーチン大統領個人に責任がある」(クリステション・スウェーデン首相)
「ロシア政権に全責任を負わせる」(ミシェルEU大統領)
それに比べると、日本政府の歯切れは悪い。
「確定的な情報は有しておらず、コメントは差し控える」(林芳正官房長官)
実際のところ、日本は西側主要国で最もロシアに対する批判を言わない国だ。特にプーチンを名指しで非難することは極端に避けている。そこは他の西側主要国とは雲泥の差だ。
これには理由がある。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻まで、歴代の日本の政権がプーチンに好意的なスタンスをとり続けてきたからだ。
プーチン政権と友好的な政治家3人と脅威を無視した外務省
それは日本政府が「プーチンの機嫌を損なうと北方領土返還が遠のく」と勝手に思い込んでいたからだが(もとよりプーチンは領土を一部でも返還するとは一度も言っていない)、その流れでプーチン政権に接近する政治家もいた。なかでも森喜朗元首相はプーチンとの友情をことあるごとに自慢しており、プーチンと27回も会談した故・安倍晋三元首相もその信頼を繰り返し言葉にしていた。
安倍政権にロシア問題の助言者として重用された鈴木宗男議員も、プーチンを「信頼できる人物だ」と常に持ち上げてきた。こうした政界の実力者たちのプーチン賛美が、日本政府全体に忖度する圧力をもたらしたのだ(※ただし、いちばんの責任は、その程度の忖度でプーチン政権の脅威をきちんと政府内でとり上げなかった外務省にあると筆者は考えている)。
そして、そんな政府筋の情報源を取材する報道各社も、必ずしもプーチンの危険性について十分に報じてきたとは言えない。したがって日本国民の中には、ウクライナ侵攻で初めてプーチンの脅威を認識したという人も少なくなかったようだ。
しかし、プーチンの暴力性はウクライナ侵攻のはるか以前から、明らかだった。プーチンはもう20年以上も前から、自分たちの邪魔になる人物、民族、外国の人々を殺戮し続けてきており、そのことは欧米主要国では広く知られていた。民主主義陣営で日本だけがプーチンに極端に甘かったと言ってもいい。
例えばプーチンは1999年に首相に就任した直後、ロシア軍にチェチェン侵攻を命じ、その戦いを10年間も続けた。この戦争で殺害されたチェチェン人は少なくとも4万人以上。そのなかには反体制派でもない一般住民が3万人以上もいた。彼らはプーチンに殺害された犠牲者だ。
プーチンに暗殺された要人たち
また、今回のナワリヌイ氏のように、プーチンに反逆した人々の中に、プーチン政権の秘密工作によって暗殺されたとみられる人物も多い。たとえばチェチェン戦争に関する政権の暗部を暴いた、ロシアの独立系新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」の記者でジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ記者は、2006年に自宅エレベーター内で射殺された。
また、同年には、英国に亡命して反プーチン運動に参加していたアレクサンドル・リトビネンコ元FSB中佐がが放射性物質で毒殺された。
さらに、プーチンと激しく対立していたエリツィン政権時代の最大の新興財閥だったボリス・ベレゾフスキー氏は、2013年に亡命先の英国で変死した。
2015年にはプーチンの政敵だったボリス・ネムツォフ元第1副首相が、モスクワ市内の橋の上で射殺されている。
2018年には民間軍事会社「ワグネル」のシリアでの活動を取材していたマクシム・ボロジン記者(ニュースサイト「ノービ・デン」所属)がエカテリンブルクの自宅アパートから転落死した。ボロジン記者は死亡前に友人に「バルコニーに銃を持った男がいて、階段にはマスクを被った迷彩服姿の男たちがいる」と電話していたという。
暗殺された人々だけでなく、暗殺未遂に遭った人も多い。特に狙われたのがポリトコフスカヤ記者やボロジン記者のような独立系メディアのジャーナリストで、暗殺未遂も含めるとほぼ毎年、複数人の被害が出ている。
ロシア国外でも前出のリトビネンコ氏のように命を狙われた反プーチン派は多い。特に多いのはチェチェン武装組織の元幹部などで、そうした海外での暗殺を実行する秘密組織として、FSBの特殊部隊「ヴィンペル」内の特殊班や、軍参謀本部情報総局(GRU)の工作部隊「29155部隊」が存在することがわかっている。これら国外での暗殺を含めると、反プーチン派の人物の暗殺または不審死のケースは、2022年のウクライナ侵攻以前に優に100人を超える。
21世紀最悪の殺戮者プーチン
未遂に終わったが、大きな注目を集めた暗殺事件が、2018年に発生した英国亡命中のセルゲイ・スクリパリ元GRU大佐の毒殺未遂だ。
これはGRUがやはり軍用毒物「ノビチョク」を使った犯行で、英国政府が激怒し、日本以外の多くの西側諸国がロシア情報部員(公式には大使館員)追放などの外交制裁を行うほどの事態に発展した。このように、今回のナワリヌイ氏の不審死は、あくまで氷山の一角に過ぎないのだ。
他方、プーチンが最も多くの殺戮に責任があるのが、シリアでのロシア軍介入だ。プーチンの命令により、2015年以降の現在まで、シリア国民を殺戮するアサド独裁政権を支援するためにロシア軍機が一般のシリア国民を殺戮している。
その直接の犠牲者数は1万人弱だが、それだけではない。
ロシアの軍事介入で一時は劣勢だったアサド政権が生き残り、一般住民への凄まじい殺戮を続けたのだ。それによって殺害された民間人は20万人以上とみられるが、その多くはいずれもプーチンがいなければ死ななくて済んだかもしれない命である。
このようにウクライナ侵攻時点で、すでにプーチンは21世紀最悪の殺戮者といえた。こうした経歴を知っていれば、プーチンがもともとヒトラーやスターリン、あるいは毛沢東やポルポトといった20世紀の大虐殺者たちと同じカテゴリーの人物だとわかる。
そして、そんなプーチンはウクライナでも無益な殺人を続けており、ウクライナ側の犠牲者はすでに7万人以上とみられる(ウクライナ側の死者数は未公表だが、「ニューヨーク・タイムズ」記事などを元に推定)。プーチンは殺戮の記録を、今も更新し続けている。文/黒井文太郎
参考文献・参考資料
「プーチンが最も恐れた男」と英紙が追悼 英国でも相次ぐ謎の死 (msn.com)
「毒殺したいなら最後までやった」 プーチン大統領、ナワリヌイ氏襲撃を否定 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
ナワリヌイ氏の急死で世界が激怒する21世紀最悪の殺戮者・プーチンの暗殺の歴史…それでも日本政府が弱腰な背景とは (msn.com)
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