政治(金融・経済)講座ⅴ919「金融危機の氷山の一角か」
経済界も一寸先は闇である。築城三年落城三日である。盛者必衰。日本の不動産バブル崩壊とリーマンショックを振り返り、それを教訓にして投資をするべき「他山の石」として今回報道記事を紹介する。
皇紀2683年3月11日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
米シリコンバレー銀行が破綻 リーマンショック以来の規模
毎日新聞 によるストーリー • 4 時間前
米国で預金保護を担う米連邦預金保険公社(FDIC)は10日、カリフォルニア州に拠点を置き新興企業向け融資が中心のシリコンバレー銀行(SVB)が経営破綻し、すべての預金を管理下に置いたと発表した。SVBは1983年設立の中堅銀行。2022年12月末時点の総資産は約2090億ドル(約28・2兆円)、総預金は1754億ドル。銀行の破綻としては、08年のリーマン・ショック時に破綻したワシントン・ミューチュアル以来の規模となる。
米紙ニューヨーク・タイムズによると、SVBは主力の融資先であるシリコンバレーの新興企業に他行より高い金利を提示して預金を集め、そのお金の多くを米国債などに振り向け運用益を得ていた。しかし22年3月からインフレ抑制のため米連邦準備制度理事会(FRB)が急ピッチで利上げを始めると、長期金利の上昇に伴い保有国債の価値が急落、含み損を抱えた。
金融引き締めで事業環境が悪化した取引先企業が相次いで預金の解約を申し込んできたため、SVBはやむなく価値の下がった米国債などの保有資産を売却。これに伴い約18億ドルの損失が発生。取引先の業績悪化にも備え、資本を増強する必要に迫られた。
SVBの持ち株会社SVBフィナンシャルグループが8日に損失と増資計画を発表したことで金融市場は混乱し、預金引き出しが加速。救済する金融機関は現れず、10日にFDICが管理下に置いた。
SVBの破綻を受け、イエレン米財務長官はFRBやFDICなど金融当局のリーダーを招集。「銀行規制当局が適切な対応をとることに全幅の信頼を寄せている。銀行システムは依然として強靱(きょうじん)で、当局は効果的な手段を持っている」と強調した。
米国では07年の不動産バブルの崩壊に伴う信用不安で金融システムが崩壊する経済危機が発生し、08年には大手証券リーマン・ブラザーズが経営破綻した。今回のSVBの破綻は、FRBの利上げによる金融環境の変化の影響が表れた形だ。【ワシントン大久保渉】
日本と世界で起こった主な経済危機の原因を解説
ウォール街大暴落~世界大恐慌
1929年10月24日に株価が暴落
教科書に掲載されていて誰もが知っている経済危機といえばこれではないでしょうか。
1929年10月24日の木曜日にニューヨーク証券取引所で起こった株価の暴落は、当日の曜日を取って「ブラックチューズデー(暗黒の木曜日)」と呼ばれます。
株価暴落の理由は?
1920年代のアメリカの経済は、第一次世界大戦後のヨーロッパの疲弊や需要に対して供給を行う形で成長をしており、好景気に沸いていました。
しかしヨーロッパも復興してきたのですが、金融市場ではアメリカの好景気によってどんどん資金が流れてきており、株価は上がり続けました。
一般人にも投資が浸透し、実態とかけはなれてどんどん投資熱が上がっていったのです。
一般の生活でも、どんどん株価が上がるので後払い、後で払えるという考えが増えた。お金を借りて株を買う人もいた。いつまでもこれが続くと思ったのです。
10月14日に暴落が発生して、ずっと下がり続けました。
暴落したことで売りが発生して、1日ごとに10%以上下がる相場が1か月も続き、11月23に底になり安定しました。
大暴落でも被害を受けなかった人たち
そんな株価の暴落の中で、被害を受けなかった人たちの逸話もあります。
ジョン・F・ケネディの父親、ジョセフ・ケネディは、ある日靴磨きの少年に「今は株が儲かる、僕も買おうと思っている」という話を聞かされました。
株のことを何も知らない人たちまでがそう考える状況というのは、バブルに違いないという判断をして株を売ったところ、直後に大暴落が起こったそうです。
また、「世界一のケチ」としてギネスブックにも乗った女性投資家ヘティ・グリーンは暴落の直前に自分の預金を引き出しており被害を受けなかったそうです。(膨大な預金を一気に引き出された銀行は破綻しました)
世界恐慌から第二次世界大戦に
この株価の暴落によってアメリカでは3,000以上もの銀行が倒産し、預けていた預金が下ろせないために銀行に資産を預けていた企業・工場も倒産していきました。
アメリカは当時すでに世界経済に対する大きな影響力を持っていたために、この後世界規模の大恐慌が起こり、経済が低迷、倒産や失業者が爆発的に増加しました。
その後、自国の経済を守るためにイギリスやフランスがブロック経済を始めたことで、植民地を持たないイタリアやドイツ、日本は植民地の再分割を求め、第二次世界大戦につながっていきました。
日本のバブル崩壊
超好景気だった1980年代
1980年代は今でも語り草になるくらいの好景気でした。
1986年に13,000円台だった日経平均株価が一気に高騰し、1989年12月に史上最高の38,957円を記録しました。
わずか3年間の間に3倍近くも株価が急騰したのです。
この期間を含む1986年12月~1991年2月までの4年3ヵ月間の好景気をバブル景気と呼び、1991年3月から一転して資産価格が下落に転じたことをバブルの崩壊と呼んでいます。
バブルのきっかけは日銀の金融緩和政策
バブルが起こる前の1980年代前半、日本は円高による不況に苦しんでいました。
それまで輸出産業が好調だったのですが、アメリカとの貿易摩擦が原因でアメリカによる円高誘導が行われ、打撃を受けた輸出産業では倒産してしまう企業も出ていました。
日銀はこの状況を改善するために公定歩合を引き下げます。
公定歩合は銀行が日銀からお金を借りる時の金利なので、公定歩合が安くなると銀行にお金が流れ企業も銀行からお金を借りやすくなります。
こうして銀行から融資を受けることができた企業は経営を回復し、景気の拡大につながりました。しかし、このように低い金利でお金を借りることができる状態が長く続いたことで、企業は経営に関係ないことに関してもお金を借り、そのお金を株や土地に投資していきました。
世界の上位50社のうち日本企業が32社を占めた
当時は「土地の価格は下がらない」と信じられており、本業のビジネスではなく価格の上昇をあてにして土地を買う企業も多くありました。
社会全体にそのような雰囲気が蔓延したことで不動産価格はさらに上昇し、土地の神話を信じる人が増えたことで、人々はお金を借りてでも土地を買うようになり、さらに価格が上がりと土地の価格は一気に膨れ上がっていきました。
株価についても同様に銀行からかりたお金が流れ込み、株価もわずか3年間の間に3倍近くも株価が急騰しました。
当時は何もしなくても土地や株価が上がることでどんどんお金持ちになっていきました。
世界の企業の時価総額ランキングでは、世界の上位50社のうち日本企業が32社を占めていました。
バブル崩壊から失われた20年へ
この不動産や株の価格が実体とかけ離れていると判断した日銀は、1990年3月から金融引き締め策を行いました。
土地の売買に関するお金の融資を規制し、公定歩合を大幅に引き上げたことで、銀行からお金を借りられなくなったため、買い手を失った不動産や株の価値は見る見るうちに下落し、地価の下落率は90%近くになりました。
もともと資産価値がない崖地などにも法外な値がついていたために、値下げをしても売れない土地が続出し、土地の値上がりをあてにして多額の融資を受けていた企業がどんどんつぶれていきました。
倒産した企業の負債総額は1990年には2兆円余りでしたが、翌91年には8兆円台に乗りました。以降97年に10兆円を超え、2000年に史上最高の24兆円を記録しています。またこの時期は就職環境も著しく悪化し、バブル時代には「1」を超えていた有効求人倍率は1を切りました。
正社員として就職できないまま、フリーターや契約社員などの非正規雇用で働く人が増え、「就職氷河期世代」として安定した社会生活が送れないままの人も多いために少子高齢化などの原因として問題視されています。
実態とかけ離れた資産価格の高騰を抑える目的だった日銀の政策は、結果的に急激な景気後退をもたらし、バブル崩壊に繋がりました。
その後日本経済は「失われた20年」(30年)という長い停滞に入りました。
2000年以降の経済危機
ITバブルの崩壊
1990年代からアメリカではIT企業への注目が増し、株価が大幅に上がっていました。
日本でも多くのIT関連ベンチャーが設立され、人気の投資先として1999年から2000年までの株価が大幅に上昇しましたが、2001年にバブルが弾ける形で終了しました。この時、特に株価が上昇していたのは以下の銘柄です。
光通信
ソフトバンク
NTTドコモ
ヤフージャパン
楽天
当時最も高値を付けたのは光通信で、ITブームが頂点だったころ代表取締役の重田康光氏は世界第5位の大富豪として「フォーブス」の表紙にも掲載されました。
3ヶ月で株価が96パーセントダウン
しかし、2000年に入ると株価の高騰が行き過ぎて実態に合っていないのでは?という警戒感も生まれてきます。
そのような心理から徐々にIT系の株価が下がり始め、ピーク時に1株24万円だった光通信の株も3ヵ月で96パーセントダウンの8,000円まで急落しました。
ITが目新しかった時期に実態より高い評価を受けていた企業に対して、ITが普及して再評価されるようになり、赤字経営や実態のない企業があぶりだされたことでバブルが崩壊したといえるでしょう。
サブプライムローン~リーマンショック
60兆円の負債を抱えて大手投資会社が破綻
リーマンショックとは2008年9月、アメリカの大手投資銀行グループ、リーマン・ブラザーズの経営破たんにより世界的に陥った経済危機のことです。
リーマン・ブラザーズはアメリカの投資銀行の最大手でしたが、サブプライムローン問題から負債総額は6130億ドル(約60兆円)を受けて破綻しました。
サブプライムは低所得者のための高金利ローン
サブプライムローンとは2001年ごろから始まった、アメリカの低所得者(サブプライム層)向け住宅ローンのことです。
当時好景気に沸いていたアメリカでは2000年ごろから住宅ブームが起きており、家が売れ残らないよう低所得者でもローンが組めるように作ったのがサブプライムローンです。
そうして低所得者がローンを組んで家を購入する一方、ローン会社は債権を銀行に売り、銀行は債権を証券化し、投資家がそれを購入していました。
この時ローン会社は、債権自体をほかの会社に売ってしまうのでローンを組む人の支払い能力を気にしません。つまり、貸したお金を回収できるかどうかは二の次でどんどん契約を行ったのです。
住宅バブルが崩壊しリーマンブラザーズは経営破綻
ローン利用者はもともと返済能力が低いので、返済が滞るのは当然です。
住宅供給も飽和し、買い手がつかない家があふれ地価や不動産価格が暴落し、家を手離さざるを得ない人が続出しました。
ローンが返済不可能になると債権はたちまち不良債権となります。
危険性をようやく理解した投資家は、サブプライム関連の債権が混じっている証券をいっせいに売りに出し市場は大きく混乱しました。
このサブプライムローン問題の影響を大きく受けたのが、リーマンブラザーズです。
リーマンブラザーズは、1999年から危険性の高いサブプライムローンの証券化を推進し、住宅バブルとともに業績を拡大してきた投資銀行でした。
サブプライムローンの損失処理のために赤字に陥ったリーマンブラサーズは、負債総額約64兆円という史上最大の倒産へと至りました。
このようにリーマンショックの原因は、好景気を背景に本来なら支払い能力がない人にがローンを組んでいたこと。また、それがさまざまな金融商品に組み込まれ世界中で販売されたこと、買う方も内容を把握しないまま格付けを信用して購入していたことなどが原因でした。
経済危機の背景には人々の熱狂がある
好景気の時には儲かる話に人とお金が集まるものですが、いつしかそれは実態の以上の価格まで高騰してしまいます。
その高騰が何らかのきっかけ、あるいは必然的なほころびによって終了した時にパニックになり一気に株価が下がり、世界全体に大きな影響を及ぼし、不況まで招いてしまうという点がここで上げた経済危機には共通しています。
経済危機を起こす人間の心理は抑えがたいものがあります。
どんな時も自分で考えることや、投資に関してはリスクを理解すること、いざという時にも生活を守れる範囲内で投資を行う心構えが、個人単位での資産防御法になるでしょう。
参考文献・参考資料
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