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金融講座v6「日本は経済破綻するのか?実は、過去のバブル崩壊時に経済破綻した、その後遺症によりデフレ経済(失われた20年)である。その処方箋はMMT理論の実践であろうと考える」

最近、次に述べるような自信喪失と自虐記事が散見される。愛国心が無い記事が多い。戦後、米国が日本を二度と立ち直れないように大和魂を徹底的に粉砕するために実施した「War Guilt Information Program 」の再現のようなことがにじみ出ている論文もあり断固、批評する。色々な見解や判断は自由主義の世界では喜ばしいことであるが、余りのも近視眼的な論調であり、巨視的論調が必要と考えて筆をとるものである。しかし、冷静に日本の経済を俯瞰するとバブル崩壊が日本の経済破綻であったことが分かる。バブル経済に起因する結末は、金融機関の倒産や大手銀行等の合併、銀行の不良債権処理、資本金注入による債務超過対策など、行われたのである。20年前に既に日本経済の破綻を経験したのである。政府は経済を縮小させデフレの道筋を作ったのである。健全な企業経営をしていた日本を代表する企業に資金供給が行かず、倒産やハゲタカファンドに分解され企業体力を失ったのである。当時100兆円の赤字国債で健全な企業に資金提供ができていたなら、失われた20年はなかったであろう。当時から財政投入の必要性を吾輩は訴えていた。逆方向の経済縮小政策をとったことに起因する。それで、まだ日本は苦しんでいるのである。その日本経済に活性化のために遅きに失した感があるがMMT理論の実施が必要であろう。

                 皇紀2681年2月3日
                 さいたま市桜区
                 金融・相続コンサルタント 田村 司

はじめに

(色々な危機でも日本は強かに乗り越えたが、バブルの崩壊は日本経済・金融の破綻であろう)

表題の「日本の経済破綻」を国債発行額がGNPの2倍であるから破綻するとか、日本は債務超過655兆円だから破綻しているという論調の新聞記事を見かけるが、やけに、煽る内容である。しかし、日本は戦後も色々な経済危機や金融危機を乗り越えて、苦難を乗り越えて、現在にいたるのであるが、実際はバブル崩壊により経済・金融破綻をきたしていたのである。戦後の日本の繁栄は自由陣営内での米国との経済競争を生き抜いたからに他ならない。加工貿易で日本は輸出で外貨を獲得して、外貨準備高も増えた。日本の貿易額が多く、その結果も一部にあり、米国の貿易収支悪化により、ついに、1971年8月にニクソン新経済(ドル防衛)政策で金本位政策の停止することになった。その後、1973年2月円とドルの交換は固定相場(1ドル360円)から変動相場制へ移行  1973年2月石油危機, その後のプラザ合意による不況の景気刺激策でバブル経済となる。このバブル崩壊が日本の経済・金融破綻である。その後の失われた20年といわれる経済低迷となる。そして、また、1997年のアジア通貨危機2007年のサブプライム問題による世界金融危機2008年のリーマン・ショック、2011年3月の東日本大震災の自然災害と続いた。戦後の日本を襲った経済危機について、次に述べる。

その前に経済破綻した国々の原因についてMMT理論に関連付けて述べる。
前述したように、日本のバブル崩壊は金融政策の失敗によるところが多いことに猛省しなければならない。

ブレトンウッズ体制について

これが、実質的な米国の第1回目の経済破綻である。

1944年~1971年までのドルを基軸通貨とした体制をブレトンウッズ体制
金・ドルを国際通貨とした固定相場制:金ドル本位制である。

通貨当局が無制限の為替介入を行うことで、決められたレートの誤差1%以内に収めるというものである。
ベトナム戦争を端にした経済の悪化と、日欧の復活による貿易収支悪化により、世界の6割近い金を米国の一国で保有していた金が一気に流出した。
交換するためにストックしてきた金が底を尽きてしまったのである。
金ドル本位制の維持ができず、実質的に財政破綻である。つまり、返済するべき金がないのである。デフォルトの宣言である。経済の専門学者に、このような論説は見た事が無い。吾輩が初めてであろう。

1971年12月のスミソニアン協定で、ドルに対する各国通貨の切り上げを行い、新たな交換レートを作ることで対応しようとした。1ドル308円で、円は16%以上の切り上げ(円高)となった。投機筋が各国通貨へ次々に売り浴びせを行うと、最初に狙われたイギリスが介入に間に合わなくなり、1972年に変動相場制に移行した。後は堰を切ったように主要各国が変動相場制に移行し、日本も1973年には変動相場制になった。
主要先進国はこのタイミングで変動相場制に移行した
が、アジアではドルペッグ制が維持され、将来これも狙われることになった。

場の歪みを突いて売り浴びせを行った1992年のポンド危機を引き起こしたジョージ・ソロス、1997年のアジア通貨危機を引き起こしたヘッジファンド群も同じ理屈です

スミソニアン協定による新レート1ドル308円時代がスタートしたが、しかしそれもあっという間に崩れてしまい、変動相場制に移行しました。1973年に1ドル260円まで下落(円高)、そこから少しの調整を経て120円まで急落(円高)した。

日本はGDPに対する輸出比率は10%程度の内需国ですが、経済成長の寄与度で見ると輸出が大きな割合を占めている。つまり円高になる輸出代金がドル換算では高くなるので売り上げが低下する。逆に石油などの輸入代金はドル換算では支払いが少なくなる。

ニクソン声明にあった10%の輸入課税の打撃も非常に大きかったようです。このため、1971年の経済成長に陰りが見えた。一方で1972年には早くも回復しています。ベトナム戦争によって高いインフレが発生する米国と比べて相対的に低インフレ率の日本はコスト競争力で優位を取り為替レートの不利を乗り越えて成長した。この時期に積極的な金融緩和政策で貸出を増やしたことも日本経済にプラスに作用した。

その後オイルショックの影響でGDPはマイナス成長になったが、日本は資源輸入国なので、変動相場制による円高は輸入価格を下げオイルショックの影響を小さくすることに貢献もした為替変動は悪いことばかりではなく、良いこともある。


プラザ合意について

これが、実質的な米国の第2回目の経済破綻である。

そして、日本のバブル景気とその後の失われた20年と呼ばれる金融破綻後の長期経済低迷の起点と言われる。


1985年9月22日先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。

会議に出席したのは、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相のナイジェル・ローソン、そして日本の竹下蔵相である。以後の世界経済に少なからず影響を及ぼした歴史的な合意だった

1980年代前半、レーガン政権下(レーガノミクス)のアメリカ合衆国では、前政権から引き継いだ高インフレ抑制政策として、厳しい金融引締めを実施していた。米ドル金利は20%にまで達し、世界中の投機マネーがアメリカに集中した。ドル相場が高めに推移したことで、アメリカには輸出減少と輸入拡大による大幅な貿易赤字がもたらされた。一方で、高金利により民間投資は抑制され、需給バランスは改善された。結果として、インフレからの脱出には成功した反面、国際収支が大幅な赤字となり、財政赤字も累積していった(これが「双子の赤字」と言われた)。

インフレーションが沈静した後は金融緩和が進行し、アメリカ合衆国は復活したと言われるほどの景気回復で、貿易赤字増大に拍車がかかった。金利低下により、貿易赤字国の通貨である米ドルの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定になった

こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、自由貿易を守るため、協調的なドル安路線を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著だったため、実質的に円高ドル安に誘導する内容だった。これがプラザ合意である。これが、実質的な米国の第2回目の経済破綻を取り繕うための合意であった。

発表翌日の9月23日の1日24時間だけで、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した1年後にはドルの価値はほぼ半減し150円台で取引されるようになった。日本においては急速な円高によって円高不況が起きると懸念されたが日本銀行公定歩合を引き下げずに5%のまま据え置き、逆に無担保コールレートを6%弱から一挙に8%台へと上昇させるという短期市場金利の「高目放置」に踏み切った。その後、公定歩合の引き下げに動いたのは翌1986年になってからだった。このため、1985年には非常に金融引き締め的な経済環境になっていたと推測され、その結果その後数年間のインフレ率は低迷した。

また円高により、「半額セール」とまでいわれた米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、賃金の安い国に工場を移転する企業が増えた。とりわけ東南アジアに直接投資する日本企業が急増したため、「奇跡」ともいわれる東南アジアの経済発展をうながすことになった。

その後、進みすぎたドル安に歯止めをかけるべく、為替レートを安定させるために1987年、再び各国が協調介入することをうたったルーブル合意が結ばれた。プラザ合意によるドル高是正がゆきすぎたのは、ユーロ円債の大量発行という強力な手段が採られていたからであった。

協調介入の効果

本来、為替レートなどを誘導する場合はソフトランディングへ誘導するのが一般的である。すなわち、実体経済への急激なインパクトを避け投機的な資金の流出、流入を防止することで市場の安定性を確保し、同時に市場需給に基づく自由かつ柔軟な取引によって自律的に国際収支調整されることが期待される。

しかしある特別な場合において、複数の国間で為替レートを一定の水準まで誘導するよう、市場介入を協力して行う場合がある。協調介入といわれるこの手法は、自国の通貨の安定性を保つために行われる自国通貨への介入、すなわち単独介入とはその目的において大きく異なる。単独介入とは、急激な為替レートの変動があったとき、これによって実体経済への悪影響が懸念されるため、これを安定させる目的で行われるものであり、為替レートを一定の方向へ誘導する目的で行われるものではない。これに対し、協調介入はある種の経済的なゆがみ・不均衡があり、それによって複数の国の利害が総合的に悪いと判断されるときに当該国間で協議し行うものであり、為替レートを人為的に一方向へ操作するほどの強い影響力がある。ただし協調介入を行ってもマーケットがこれを予測してすでに織り込んでいる場合があり、サプライズ感がとぼしく大きな影響を与えない場合もありえる

協調介入が特殊なものだとみなされる理由として、為替レートの誘導目標をあらかじめ公開する点があげられる。これは一般に単独介入が誘導目標を公開しないのと対照的であり、このため市場参加者の思惑売買を誘導することが可能となる。プラザ合意後、竹下が「円-ドルレートは1ドル=190円でもかまわない」と声明したことを受けて一気に円高が進んだことなどからも、市場参加者の思惑を誘う協調介入は大きな影響力があることがわかる。また協調介入が実施されるケースはごくまれであり、プラザ合意が行われた当時は大きな経済的ゆがみが認識されていたことが窺える

こうした性格上、協調介入に関してはソフトランディングが非常に難しいという意見と、一方で経済のねじれを一気に解消する手法として積極的に活用するべきとの意見が拮抗する。
ただし変動相場制における国際収支調整機能は、金融政策が経済調整を担う現代においてはほとんど失われている。これは金融政策で物価変動を抑制する限りマクロバランスの対外不均衡が調整されないためである。
プラザ合意についてはバブル崩壊後にさまざまな議論がなされたが、バブル景気とその後の失われた20年と呼ばれる長期経済低迷の起点ではないかとの見解がある。

輸出が需要創出の大きな柱である日本が為替レートを意図的に調節することは大きなリスクを伴う。協調介入によって人為的に円高に導いた結果農林水産物も、鉱工業製品も、日本人労働も、全ての日本産品は競争力を相対的に失い自然な経済成長リズムの破綻に繋がった。日本にとって不利になるこの合意がなされた背景には、以前からの日米貿易摩擦に加え、ハイテク分野でも日本の成長が目立ってきたことなどによる危険視の加熱があった。

1980年代前半にはアメリカの莫大な経常赤字により日本では輸出が急伸し、経常黒字は著しく増大、これにより輸出産業を中心に好業績の企業が相次いだ(ハイテク景気)。当時アメリカは、財政赤字と貿易赤字という、いわゆる双子の赤字を抱えており、日欧諸国はアメリカによりもたらされる経常黒字が物価上昇圧力になっているという指摘があった。これらの世界経済不均衡を是正するための効果的な手段としてドル安への誘導がなされたという指摘がある。ドル安にすれば米国の貿易赤字、とりわけ対日貿易赤字が目減りすることが期待された

当時の中曽根康弘首相・竹下蔵相・澄田智日銀総裁らによって決断されたこの政策は、日本がアメリカの赤字解消のための為替操作を容認した対米妥協策との解釈が一般的である。
2018年から米中貿易戦争が起きた中国では日本のプラザ合意が再び注目されており、日本の福田康夫元首相やプラザ合意当時に官僚だった元日本銀行副総裁の岩田一政などが人民元切り上げを求めるアメリカの圧力に応じないよう助言したことが反響を呼び、国営メディアの新華社も「プラザ合意で米国に屈した日本の経済低迷を忘れるべきではない」と主張した。アメリカも中国が通貨安誘導を行っているとして相殺関税の導入25年ぶりの為替操作国の認定でこれに対抗している

金融ビックバンについて

そもそも、1986年にイギリスで行われた、金融自由化政策のことをいう。
この金融改革によって、ロンドンが国際金融センターとしての地位を確立し、長年不況にあえいでいたイギリスの経済を復活に導いた。
日本ではこの事例をお手本に、1996年から2001年位かけて、「Free(市場原理が機能する自由な市場に)」「Fair(透明で信頼できる市場に)」「Global (国際的で時代を先取りする市場に)」をスローガンに、金融改革を実施。これを、日本版金融ビックバンという。しかしである、これが、日本のバブル崩壊を伴う金融経済破綻となるのである。


金融ビッグバンで銀行が受けた影響と業界再編


それまでの日本の金融行政は、大蔵省や日本銀行が「護送船団方式」と呼ばれる、金融業界に対する安定化産業保護政策を行うことで、金融機関の破たんを防ぎ預金者に不安を与えないように配慮するなどの行政指導も実施。
日本政府と日銀、銀行、企業が連携しながらうまく統合できていました。
そのため、金融市場では規制が多く、外資が入ってきにくい状態が続いていたのです。
ですが、外為法改正により一般企業や個人が外貨の取り引きを自由に行えるようになった、銀行・証券・保険といった金融機関の業界の垣根を取り払えるようになり事業参入が続いた銀行融資を受けるのではなく、株式や社債による資金調達が盛んになった、個人も資産運用を預金に頼らず、投資信託や株を利用して行うようになるといった変化が起こりました。
こうした金融の自由化で国内外の競争に飲み込まれた銀行は、生き残りをかけて、業界の再編を加速していったのです


金融ビッグバンは失敗したのか?

バブル崩壊(バブルほうかい)は、日本の不景気の通称で、バブル景気後の景気後退期または景気後退期の後半から、景気回復期(景気拡張期)に転じるまでの期間を指す
内閣府景気基準日付でのバブル崩壊期間(第1次平成不況や複合不況とも呼ばれる)は、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指す。バブル崩壊という現象は、単に景気循環における景気後退という面だけでなく、急激な信用収縮、土地や株の高値を維持してきた投機意欲の急激な減退、そして政策の錯誤が絡んでいる

1980年代後半には地価は異常な伸びを見せた。公示価格では北海道、東北、四国、九州など、1993年ごろまで地価が高騰していた地方都市もある。

バブル経済時代に土地を担保に行われた融資は、地価の下落により、担保価値が融資額を下回る担保割れの状態に陥った。また各事業会社の収益は、未曾有の不景気で大きく低下した。こうして、銀行が大量に抱え込むことになった不良債権は銀行経営を悪化させ、大きなツケとして1990年代に残された。

「土地関連融資の抑制(総量規制)」に加えて、日本銀行の「金融引き締め」の急激な政策により信用収縮が一気に進んだ。信用崩壊のさなかにおいても金融引き締めは続けられた。

また、4大証券会社(野村證券・山一証券・日興証券・大和証券)は、株取引で損失を被った一部の顧客に対して損失補填を行ったため、証券取引等監視委員会設立のきっかけとなった。1990年3月に大蔵省銀行局(金融監督庁を経て現・金融庁)長土田正顕から通達された「土地関連融資の抑制について」総量規制)に加えて、日本銀行総裁三重野康による金融引き締めは急激なものとなり、信用収縮が一気に進んだ信用崩壊のさなかにおいても金融引き締めは続けられ、日本の経済を極度に悪化させた。

政府は、日銀の公定歩合の急激な引き上げに続き、不動産の総量規制、地価税の創設、固定資産税の課税強化、土地取引きの届け出制、特別土地保有税の見直し、譲渡所得の課税強化、土地取得金利分の損益通算繰り入れを認めないなどの対策を打ち出していった。
バブル経済を抑制する目的で実施した日本国政府や日本銀行による金融引き締め策が、結果的に失敗に終わったことで、逆に景気に悪影響を及ぼした遠因となった。「資産価格の高騰で国民の間に格差ができた。だからバブル潰し・正常化が最大の課題だというのが当時の多くの人たちの認識だった」と正当化の理由としている。

この金融ビックバンをきっかけに、外資企業の参入や銀行や企業がそれぞれの利益を優先することになり、護送船団方式が崩壊。
それから、1997年に北海道拓殖銀行の経営破たんに始まり、1998年には日本長期信用銀行(現新生銀行)日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)が経営に行き詰まるなどの問題も発生した。
消費者にとって、元本保証のない金融商品も増えており、資金運用に自己責任が求められるなどのデメリットも生まれている。


世界金融危機について

これは、2007年9月から顕在化したサブプライム住宅ローン危機を発端としたリーマン・ショックと、それに連鎖した一連の国際的な金融危機である。それらは、ユーロ危機から始まる。


ユーロ危機とは


2009年10月ギリシャ政権交代による国家財政の粉飾決算の暴露から始まる、経済危機の連鎖である。ギリシャの破綻の原因の一つはユーロといった統一通貨を導入している国家では(通貨発行権がない)、通貨が急激に下がらないため、回復できかねない状況が続いている。

スペイン、ポルトガルなどユーロ加盟諸国(PIIGS)、あるいはハンガリーやラトビアなど中東欧諸国へ波及した場合、世界的な金融危機に発展するかもしれないと懸念されている。2011年以降にもユーロ圏第三位のイタリア情勢が深刻化するなど、欧州不安は広範囲に拡大した。


通貨発行権やドルペック制の有無によってデフォルトのリスク懸念は違う。(MMT理論の主張するところである。)

PIIGS諸国などが抱える欧州債務問題の原因はユーロ圏ではドイツにあるECBだけがユーロ紙幣を発行する権限を有しているために、ユーロ圏の各加盟国が紙幣増刷によって自力で債務返済できないシステムをとっているからであると説明される。オッカムの剃刀の法則によって、自国通貨を発行できる中央銀行を有する米国や日本がその政府債務額に比して深刻な金融危機に陥っていないことを簡潔に説明でき(MMT理論の主張する通り)、準備通貨としての地位や労働時間などその他の要素を債務問題の原因から矛盾無く排除することができる。

ドルペッグ制は、自国・地域の通貨と米ドルの為替レートを一定割合で保つようにする制度をいう。これは、自国・地域の為替レートを米ドルに連動させる仕組みであり、現在、香港ドルや中東産油国の通貨などが採用しています。

また、ペッグ制とは、固定相場制の一つで、経済基盤の弱い国や不安定な国が、自国の為替レートを経済的に関係の深い大国の為替レートと連動させる制度をいう。なお、固定相場制には、ペッグ制のほかに、複数通貨の平均値との連動を図る通貨バスケット制などもある。

一般にドルペッグ制では、為替相場制度において、基軸通貨である米ドルと連動させることで、自国通貨の安定を図り不安定な自国通貨の為替変動リスクを防ぎ(抑え)、対米貿易の採算を安定させるという効果がある。

その一方で、米ドルと連動しているため、自国の通貨政策に対する裁量(金利の上げ下げなど独自の金融政策)の余地が小さく、また自国の経済実態と乖離してドル高が進行した場合、自国の通貨政策と経済運営に多大な影響を及ぼすというリスクがある。

アジア通貨危機

通貨危機とは、債務返済能力への懸念等からある国の通貨の対外的価値が急激に下落することや、その結果経済活動に深刻な影響が及ぶ状況を指します。 通貨危機が起こる理由は様々です。
990年代には、為替レートを事実上米ドルに連動させていたメキシコ、タイ、インドネシア、韓国、ロシア、ブラジルなどの新興国で、資本移動の自由化とそれに伴う活発な資本取引のもとで生じた持続不可能な経常赤字などを契機に、危機が発生しました。
特に1997年に発生したアジア通貨危機は、
(1)金融機関の資金調達に関する通貨期間のミスマッチの存在、
(2)企業の資金調達における銀行貸し出しへの過度の偏り
というアジアの構造的な脆弱性を浮き彫りにしました。

当時、アジアの金融機関は短期で外貨資金を調達し自国通貨に変換したうえで長期の貸出を行っており、こうした下で自国通貨が大幅に減価したことで外貨建て債務の返済負担が増加し、外国人投資家が再投資を見合わせたために、国内の企業部門、銀行部門の双方において倒産が続出することに繋がった。

(教訓)ドルへの依存が金融危機の契機

アジア通貨危機により東南アジア諸国の経済は減速。タイでは金融バブルもはじけ、多額の不良債権が生まれた。通貨危機の教訓は、対外資産であるドルに依存し過ぎる危険性である。タイが1996年頃から経済減速した理由の1つに「強いドル政策」がありました。アメリカの政策変更がタイの経済に大きな影響を与えた

新興国の発展のためにドルを借り入れ、米国の政策変更で新興国の経済が停滞するという構図は1994年にメキシコで発生した「テキーラ・ショック」などでも起こっています。

米国は未だ世界経済や株式市場に大きな影響を与え続けている。2000年代前半のITバブル崩壊日本経済にも影響を与え、2008年のリーマン・ショックでは100年に一度と言われる世界同時不況をもたらしました。




アルゼンチンの破綻 

1946年、アルゼンチンではペロン政権が誕生し、保護政策と銘打って工業化編重政策を開始しました。しかし、試みた産業構造の改革は失敗に終わり、経済低迷の引き金となった。それに加え、二度に及ぶ第二次オイルショックによって、更にダメージは拡大していく。インフレを解決しようと債務不履行を行うものの、国民の不満は大きくなり、その矛先を外に向けるかのように、英国とのフォークランド戦争が勃発した。この争いはアルゼンチン側の敗北となり、1988年ついに5000%のハイパーインフレと累積債務を生むことになってしまうのです。ハイパーインフレや債務不履行を二度に亘り繰り返してきたアルゼンチンだけに、今一度これらを引き起こす可能性は高く、完全回復と安心できるものとは言い切れない

日系企業の進出による輸出の増加

1985年のプラザ合意以降、日本では円高が進んだ円高が進むと価格競争力の点で不利になるため、コスト削減を目的に海外へ生産移転が進む。その多くの日系企業がタイを始めとした東南アジア地域へ工場を移転、海外直接投資が増大した。日本の産業空洞化現象が起きた。

特に自動車メーカーの現地生産が大幅に拡大し、タイ国内では自動車産業が成長。生産が追いつかないほど供給が拡大し、タイの輸出産業が自動車を中心に規模を伸ばした。ただし資本財、中間財を海外から輸入せざるを得ない。このことが90年代後半の経常収支の赤字につながります。その代わりタイの成長は海外資本に大きく依存する構造になってしまった。それが後々の通貨危機の原因となった。

オフショア市場の開設と金融バブル

さらにタイが独自の金融政策を採用したことも経済成長を支えた。代表的な金融政策は「BIBFというオフショア市場※の開設」と「ドルペッグ制の採用」です。

オフショア市場とは国境をまたいだ資本取引に対し、国内市場のルールとは切り離した規制や課税方式を適用する非居住者向けの市場のこと。日本にもJOMというオフショア市場がある。

当時のタイは国内市場オフショア市場という2つの市場があった。
1990年代に国内市場でのバーツの貸出金利が13%程度であったにも関わらず、オフショア市場では6~7%程度でした。

通常は海外からの借り入れをする場合、為替変動リスクがあるはずです。しかしタイはドルペッグ制を採用していたため為替変動リスクを回避した。

オフショア市場にアクセスできる信用力のある企業はかなりの低コストでドルを調達できたのです。

オフショア市場ドルペッグ制によりタイには多くの海外資本が流入した。当時の外貨流入額はGDPの50%にまで達していた

流入した資本の多くは短期資本(返済期間が1年以内)であり、その多くは不動産など投機的な商品へ投資された。

不動産への過度な投機はタイに金融バブルをもたらし、通貨危機後に不良債権問題をもたらしました。

米国の政策転換によりタイの経常赤字が拡大する

アメリカの政策変更によりバーツが割高になる

急激な経済成長を記録していたタイですが、1996年の経済成長率は5.6%と前年の8.1%の比べて少し鈍化。理由は「急速な経済成長に伴うタイ国内の賃金上昇」や「中国人民元の大幅切り下げによるASEAN諸国の輸出競争力低下」というものもある。しかし大きな要因は1995年にアメリカが打ち出した「強いドル政策」です。

強いドル政策とは「強いドルが国益にかなう」と唱える通貨政策。強いドルが米国経済の成長を牽引しているという考え方です。1995年にルービン財務長官が提唱し、歴代財務官はこの考えを引き継いでいる。

強いドル政策によりドル高が進行した。ドル高が進むとドルペッグ制を採用しているバーツの貨幣価値も連動して上昇バーツ高になれば輸入にとって不利な状況となる。そして、輸入増加で経常収支は赤字にさらに輸出製品に用いる資本財や中間財をほとんど海外からの輸入に頼る産業構造が問題となった。当時のタイは日系企業を中心とした外資の進出による輸出で経済成長をしていた。海外企業が設備投資を行うには設備機械が必要です。しかしタイ国内には輸出製品をつくるための資本設備や中間部品を製造する技術がなかった。そのためタイは輸入された部品を組み立て出荷する工程だけを担う場所になり、必要な部品はすべて海外から調達していたのである。

経常収支は輸出より輸入が多くなると赤字が拡大する。強いドル政策によるバーツ高も重なり、タイの経常収支赤字は拡大した。

タイは輸出で成長したけど、必要な機械とかは全部輸入していた

そうだ。だが経済成長が減速する一方でドルペッグ制により、為替レートは一定だった。このミスマッチに目をつけたのがヘッジファンドである。

タイの成長が鈍化したのに為替レートは固定されたまま

タイの景気悪化とバーツの割高感というミスマッチにヘッジファンドが注目した。ヘッジファンドとは富裕層や機関投資家などから資金を集め、ハイリスク・ハイリターンな投資を行うファンド。ヘッジには市場リスクを回避(hedge)するという意味があり、どんな市場局面でも確実に利益を出すことを目指して運用される。

ヘッジファンドはタイが現状の為替レートを維持するのは不可能と判断し、1997年5月14日バーツに空売りを仕掛ける。

空売りとはレートが高いときに売り、安くなったときに買い戻すことで利益を獲得するものです。ヘッジファンドは対象通貨を大量に売却し、暴落した後で買い戻せば為替差益により大きな利潤を獲得できます。

空売りされると市場にはバーツが溢れます。タイ政府がドルペッグ制を維持しようとすれば、バーツ買いドル売り介入をしなければならない。ただしタイ政府の外貨準備高が底をつきれば、固定相場制を維持することは不可能になり、変動相場制へ移行せざるを得なくなる。
外貨準備高とは各国の通貨当局がすぐに利用できる対外資産。急激な為替変動を抑制する際や、対外債務の返済が困難になったときなどに使用される。結果的にタイはヘッジファンドの攻撃を耐えることができず、アジア通貨危機が始まる

バーツは暴落、タイはIMFに支援を要請

7月2日にタイ政府はドルペッグ制を放棄し、変動相場制に移行すると発表。
これに合わせてバーツは暴落を始め、1998年1月には1ドル=54バーツとなりました。バーツが下落すると輸入品の価格は上昇します。ドル建ての対外債務への返済も困難になり、金融バブルは崩壊不動産会社の経営破綻や金融機関の不良債権が増加した。

タイ政府は1997年8月にIMFへ資金援助を要請。公的支援策がまとめられ、IMFや日本を中心に総額160億ドルの融資がタイに支払われた。しかし公的支援策では無条件に融資が行われる訳ではありません。

IMFは主に以下のような内容をタイ政府へ要請した。

公的支援策における主なタイ政府への要請

  • 外貨準備の確保

  • 経常・財政収支黒字化

  • インフレ抑制

  • 付加価値税(消費税)を7%→10%へ引上げ

  • 電力、水道料金の引き上げ

このような要請が求められたタイ政府は、政府歳出削減や引き締め政策を実施。その結果タイ経済は大きな打撃を受けました1998年の経済成長率は-7.63%、実質GDPも前年比から10%以上減少しました。

アジア通貨危機は世界中へ影響を与えた

タイのバーツ急落に合わせ、ほかのASEAN諸国でも通貨の下落や経済成長の減速が続きました。

ドルペッグ制は他の東南アジア諸国にも採用されていたため、アメリカの金融政策の転換によりタイと同じような影響を受けたのです。

次の表に各国の主な出来事をまとめています。

通貨危機の影響

マレーシア

・ヘッジファンドから空売りを受ける
・変動相場制へ移行し、自国通貨リンギットが50%近く下落

インドネシア


・1997年8月に変動相場制へ移行
・IMFへの支援要請は行わず、自力での再建を目指した
・98年にはルピアが40%近く暴落
・30年以上続いたスハルト政権が退陣 

韓国

・財閥系の起亜自動車が破綻し、経済状態が悪化
・韓国の国債格付けがA1からA3へ下落
・1ドル=850ウォンから1ドル=1,700ウォンまで下落
・1999年には財閥系第2位の大字グループが破綻

ロシア

・世界のエネルギー需要低迷により経済が低迷
・ルーブルの暴落とデフォルト(債務不履行)が発生

ブラジル

・経常収支と財政収支の赤字拡大で資本流出が深刻化
・固定相場制を放棄し、レアルの大幅切り下げを実施

マレーシア

資本規制を行い、翌年には経済成長率が回復
マレーシアも空売りのターゲットとなりました。
1997年8月に変動相場制へ移行すると、1ドル=2.9リンギットから4.5リンギットまで急落。

ただしマレーシアがタイと異なっていたのは、IMFに対し支援を要請しなかったことです。

98年9月にマレーシア中央銀行は資本規制と為替レートの固定化を導入。1ドル=3.8リンギットに固定すると発表しました。通貨危機により変動相場制へ移行しなかったのは中国とマレーシアの2カ国のみでした。

資本規制とは国内の資金移動を制限し資本流出を防ぐ規制のこと。預金引き出しや国外送金の制限などを行う。マレーシアの98年の経済成長率は-7.36%と落ち込みましたが、翌年の99年には6.13%と回復を見せました。

インドネシアでは政権が崩壊する事態に発展

通貨危機以前インドネシアは財政も比較的安定していた。為替相場も1ドル=2,000ルピア付近で固定でした。しかし通貨危機後、1997年8月にインドネシアが変動相場制へ移行すると下落が発生12月には1ルピア=4,000ドル、1998年5月には1万7,000ドルまで下落した。

インドネシアの政府債務も急激に増加ルピアの暴落により多くの企業が債務の返済不能に陥り、銀行は多額の不良債権を抱えた

インドネシアはIMFに100億ドルの支援を要請タイと同様に緊縮財政や経常収支黒字化など厳しい要請を突きつけられ経済状況が急速に悪化した。

さらに98年5月に政府がIMFとの補助金削減合意により燃料価格や電気料金等の引き上げを発表すると各地で暴動が発生。この暴動をきっかけにスハルト大統領の支持が低迷し。結果32年間にわたるスハルト政権が崩壊する事態になった。通貨危機後はIMFによる経済運営が行われ徐々に経済も回復しています。しかし1999年の成長率は0.79%に留まり、2007年まで一度も成長率が6%台に届かないなど「失われた10年」とも言える苦しい時代を過ごすことになった。

韓国では財閥企業の倒産が相次いだ。

通貨危機の影響は韓国にも及びました。1997年1月に製鉄企業の韓宝鉄鋼、7月に自動車企業の起亜自動車が倒産するなど、財閥系企業の破綻が発生

ムーディーズやS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)などの格付け会社は韓国の「ソブリン格付け※」の引き下げを実施しました。

ソブリン格付けとは国家の総合的な返済履行能力を示す格付け。債権や債務の支払い能力や意思がどれほど高いかを表す。

1ドル=850ウォンから97年末には1,700ウォンまで下落
97年の11月にIMFは210億ドルの資金援助をした。

IMFは韓国にも緊縮財政や金融引き締めを要求しましたが、特徴的だったのは財閥改革の要請です。多くの公的企業が民営化され、99年には現代(ヒュンダイ)に次ぐ財閥系第2位大宇財閥が破綻。通貨危機は韓国経済に大きな爪痕を残した。

ロシアやブラジルでも通貨下落が発生、危機はアジア以外にも広がった

ロシアではルーブルの暴落とデフォルト(国債の債務不履行)が発生しました。ロシアは輸出額の大半を石油やガスなどの天然資源に依存していましたが、通貨危機に伴う世界的な経済減速でエネルギー需要が後退輸出品の価格が下落し、経済状況が悪化した。

ロシアの財政破綻を懸念したIMFは1998年7月に緊急支援を決定します。

しかし翌月にロシアの中央銀行が「ルーブルの切り下げ(対ドルで約25%)」と「対外債務の90日間停止(モラトリアム宣言)」を発表したのです。モラトリアム宣言は格付け機関にとって事実上のデフォルトを意味します。結果的にルーブルは大幅に下落。1ドル=6.2ルーブルから20ルーブルまで暴落しました。ロシア国債に投資していたヘッジファンドのLTMCが経営危機に追い込まれるなど、多くの投資家に損失を与えたのです。

ブラジルにおいても

アジア通貨危機とロシア危機の影響で資本流出が発生した。

ミナス・ジュライス州の知事が連邦債務の返済停止を宣言したことで資本流出はさらに加速。ブラジルは固定相場制を放棄し、レアルは1ドル=1.2レアルから2.2レアルまで下落しました。ブラジルはアジア各国に比べれば財政が安定していたので、危機は比較的早く収まった。アジア通貨危機の影響はブラジルまで波及して、ようやく打ち止めとなった

ベネズエラのインフレ率が170万%に達する

2018年のインフレ率が170万パーセントに達したと発表した。このインフレ率の上昇はまだ続く見込みで、IMF(国際通貨基金)は今年のインフレ率を1000万パーセントと予想している。ベネズエラは世界有数の産油国で、原油相場の低迷現マドゥロ政権の価格統制などの失敗により経済が破綻状態になっている。企業を国営化し民間企業の法外な利潤追求を否認政策の顛末。
富裕者と低所得者の貧富の差が顕著になって来ると、低所得者層の不満が増大し暴動が起きるようになった。彼らに対し、軍は武力でもって弾圧し、社会は不安定な様相を呈するようになっていた。その時、社会を是正し、貧困層に支援の手を差し伸べると言って登場したのがウーゴ・チャベス中佐であった。1992年に彼はクーデターを敢行するが失敗に終わった。逮捕されたが、その後釈放されてから社会主義革命を提唱して1999年に大統領選挙に立候補して当選。それ以後、司法を支配して2013年に彼が病死するまで彼の政権が続くのであった。

チャベス氏は低所得層や貧困層からの支持を基盤にボリバル社会主義革命を断行。また政治的には反米主義を掲げ国家の基幹産業は国営化し、その経営には彼に忠実な軍人を充てた。また、企業家が法外な利益をあげるのは不当な行為であるとして一定以上の利益を追求しようとする経営者を排斥。それが規模の大きな企業であればすぐに国営化した。このような独裁的な政治の影響で企業家は経営を放棄して廃業。それまでも国家経済は原油を基盤にした経済構造でしかなかった上に、企業家は経営を放棄したことによって国内で生産品は不足し始めた国営化した企業も軍人の経営では生産性は下降するばかりだった。

原油価格が急落し始めると国家の財政は悪化。しかも、反米主義とボリバル革命への支持を近隣諸国にも募る意味で、原油を超低価格で提供していたが、それも財政難から控えねばならなくなった。特にその恩恵を受けていたのはキューバであった。その交換条件として、キューバからは医師や教師の派遣を要請した。

原油価格の下落から財政難に陥ると、それまで商品の不足を輸入に頼っていたのが外貨不足から必要なだけ輸入できなくなっていた。その影響で、国内では品不足が顕著になって行った。食料品や医薬品を始めあらゆる物資が不足するようになった。その結果が現在のベネズエラである。

MMT理論の主張(三橋貴明氏の解説)

財政の考え方

①、自国通貨を持つ政府は財政的な予算制約に直面することはない。
日本円建てでの国債しか発行しておらず、自国通貨を持つ日本政府が財政破綻することはない。
②、全ての経済は生産と需要について定物的あるいは環境的な限界がある。
政府におカネ的な制約がなかったとしても供給能力の不足によるインフレ率が限界になる。もっとも供給能力(経済力)は民間や政府の投資により強化される。経済力強化は国債発行の上限を押し上げる。
③、政府の赤字はその他の経済主体の黒字である。誰かの資産は誰かの負債、誰かの赤字は誰かの黒字、地球上に住んでいる限り逃れられない。

My  Opinion.

以上の経済破綻の事例を俯瞰した上でMMT理論の主張との整合性をご検討下さい。次に「日本の財政が破綻すれば、週5万円しか引き出せない日々がずっと続く」を執筆した「日本総合研究所調査部主席研究員」の 河村 小百合氏の主張に吾輩の反論

まず、前述した通り「ギリシャの破綻」の原因はギリシャには通貨発行権が無いところが違う。「ユーロ」が不足の時は他国から借りなければならないが、粉飾財務でギリシャに信用がなかったことにも起因する。日本の国債の償還には日本円で返済するのでデフォルトの危険性はない。以前は有事のときの「ドル買い」と言われていたが、近年は有事のときの「円買い」と言われ、有事の時は円高になる傾向が顕著である。投資家には絶大な信頼の証であろう。それは、日本は世界では債権国家としての盤石さを保っている。それ故にGDPの倍の国債発行に懸念を持たれるギリシャとも違うところである。前述したように、金融自由化の荒波で円高に苦しめられた企業は海外に逃避して、日本では産業の空洞化と騒がれ、国内産業の空洞化は企業の「円高」に対する免疫力ともなり、筆者の河村氏の後述のような「第一次所得収支の大幅黒字継続」である。債権国家となり日本の稼ぐ力の指標は「GNI」を使う必要がある。そして、財政政策以外に産業空洞化の対策と少子化対策が財政健全化の近道である。「円」の信用がある今こそできる対策は、企業誘致と少子化対策が財政健全化の政策である。金融政策のみでは、どの様な荒波かによって対処できない懸念がある。中国の不動産バブル崩壊や韓国のデフォルトが懸念されている。それに誘発されるように北朝鮮など餓死者がでており、国内の不満を外国へ向けさせるための戦争の勃発も懸念される。吾輩は「戦争の勃発」が怖いのである。著者は日銀の債務超過を心配しているようであるが、国策として行動する国の子会社であり、国からの資金注入による増資で帳簿上で簡単に処理できる事案であろう。
個人資産の運用状況にもよるが株式配当などの課税率20%であることから、個人資産の増加で税収が上がる。低利で補填した国債の資金が個人の余剰資金として活用され税収となって国庫に還元されるなら、インフレにならないレベルまでの財政支出ならMMT理論の主張の通り、有益となるであろう。日本は高齢化社会であり、福祉の財政支出は同時に高齢者の貯蓄に化けるであろうが、生活のための個人支出には消費税が課税され、最終的には相続税となって国庫に還元されるのである。万物は流転する。おカネも循環するのである。昔、殿様が「華美は下々の扶け」と言っている。おカネを使うことで庶民(百姓・大工・商人)の生活の糧となる。浪費ではない。と言った殿様がいたらしい。田中角栄が総理大臣の時代には「消費は美徳」という言葉が持て囃されて経済活性化の合言葉となった。

日本の財政が破綻すれば、週5万円しか引き出せない日々がずっと続く

プレジデントオンライン / 2020年12月24日 9時15分

日本銀行による「財政ファイナンス」の行き着く先は、円に対する信認の喪失と大幅な円安となる可能性が高い - 写真=iStock.com/bopav


日本は世界最悪の財政状況だが、MMTの影響で債務を増やし続けている。日本総合研究所の河村小百合主席研究員は「財政破綻したギリシャでは2年ほど預金引き出しが週5万円程度に規制された。もし日本が財政破綻すれば、規制はもっと長引く恐れがある」という――。

■国債買い入れの上限の「めど」までも撤廃

去る12月21日(月)に決定した、わが国の2021(令和3)年度一般会計予算政府案の規模は106兆6097億円と、またしても史上最大規模を更新した。

いかにコロナ危機下とはいえ、膨らむ一方の歳出に対して、そのコストは国民のうちの誰がいつどういう税の形で納めて負担するのか、という議論には全く手付かずのままで、歳出の積み増しはすべて国債の増発で賄う格好となっている。にもかかわらず、国内ではおよそ危機感に乏しいのが実態だろう。

すでに財政は“世界最悪”の状態にあるわが国で、それでもなお、こうした政策運営を延々と続けることができているのはなぜか。それはひとえに、黒田総裁率いる日銀がすでに7年以上の長期にわたり、「量的・質的金融緩和」という“事実上の財政ファイナンス”を継続していることによる。

コロナ危機下にあった本年4月に日銀は、従前設けていた「年間80兆円」という国債買い入れの上限の「めど」までも撤廃してしまった。これほどまでの“放漫財政”が行われていても、わが国においては今に至るまで「国債暴落、金利急上昇」という事態は起こってはおらず、平穏そのものだ

ではわが国がこのまま、財政再建にも、金融政策の正常化にもおよそ取り組まずに突き進んでいった場合、一体何が起こるのか。

日銀が債務超過に転落すれば国債買い入れは不可能に

コロナ危機のもと、日本の財政事情がこれほどまでに悪化しても、もはや長期金利が上昇することはないかもしれない。それほどに、これまで日銀が行ってきた国債のいわば“買い占め”、すなわち“金融抑圧”の効果は絶大なものだ。コロナ危機が続いているのに、株式市場はバブル期以来の高値を記録している。これも日銀のETF(株価指数連動型投信)買い入れの絶大な効果だろう。

しかしながら、それはこの国の経済や財政運営のすべてのリスクが、日銀に転嫁されていることを意味する。

ひとたびリスクが顕在化し、日銀が赤字ないしは債務超過に転落し、それが長期化する事態となれば、日銀の損失は年当たり数兆円の規模に達し、政府が補填を余儀なくされるであろう。

実際、日銀が保有する資産の加重平均利回りは2020年度上半期決算時点でわずか0.198%しかなく日銀は今後、短期金利をたった0.2%に引き上げるだけで“逆ざや”に陥る。一方、負債である当座預金の規模がすでに487兆円(2020年11月末)にまで拡大している現在、“逆ざや”の幅が1%ポイント拡大するごとに、日銀は年度あたり5兆円弱の損失を被ることになる。日銀の自己資本が、引当金まで合わせても9.7兆円しかないことを考えると、日銀が債務超過に陥る可能性は大きい

日銀が債務超過に転落した時には、おそらく通貨としての円の信認も同時に問われる事態となり、円安圧力が大幅に高まるだろう。そうなれば、日銀としては本来、金利を引き上げて円を防衛せざるを得ない。

しかしこれだけバランス・シートを拡大させてしまった日銀は、今後、金利を引き上げるためには、抱え込んだ巨額の当座預金に付利する金利水準を上げていくよりほかにない。付利水準の引き上げは、日銀の債務超過幅をさらに拡大させることになる。年当たり数兆円というコストは、厳しい人口減少が進むこの国で、私たち国民が租税の形で容易に負担できる金額では到底ない。

日銀の債務超過が問題視されるようになった時点で、日銀の赤字を、これまでのように国債を増発してそれを日銀に引き受けさせて捻出して穴埋めすることは、日銀のバランス・シートをさらに拡大させ、債務超過幅をさらに拡大させることを意味するため、まさに“火に油を注ぐ”事態に相当する。

現実問題としてこれは到底、採り得ない選択肢になるだろう。それにとどまらず、日銀に国債を引き受けてもらう前提で、見合いの税収もない分まで歳出を拡大するような財政運営自体が不可能になるだろう。これが、中央銀行による“事実上の財政ファイナンス”に手を染め、財政再建にも金融政策の正常化にまともに取り組もうとしなかった国家と中央銀行が最終的に行き着く姿だ。

この国は、実際にそうした事態に陥って、財政運営と金融政策運営が完全に行き詰まるまで、今、行っている政策運営、すなわち現世代が本来は今、甘受して然るべき“痛み”を無計画に先送りする政策運営の真の問題点に気付くことはできないのだろうか。それとも、分かっていても皆で目をそらし続けるのだろうか。

■財政運営の手段としての通貨

通貨には金銭的価値の①計算手段、②支払い手段、③保蔵手段として用いられるほかに、「財政運営の手段」、というもう一つの顔がある。私たち市民は、自分達の社会(国)を支えるため、円で税を納める。それを、国民の総意に基づく方法で分配して社会(国)を運営する。それが財政運営だ。

①その時々の経済や社会の変化に応じて社会(国)全体でしっかりと議論し、負担(納税)と給付(分配)の枠組みを適切に構築していくことができれば、また、②実質購買力を減殺させる高インフレ一種の課税に相当するため、中央銀行が適切な金融政策運営を行って自国通貨価値を安定させることができれば、安定的な財政運営を長年にわたり続けることができるのである。

それができないと財政運営はいずれ行き詰まることになる。そうなると、第2次世界大戦後の日本やドイツの如く、預金封鎖や通貨交換を行い、積もりに積もった借金の帳尻合わせに出るのが大抵の政府の常套手段だ。

国民の側もそれをよくわかっているから、自分の国の財政運営が本当に危ないと思えば、預金の引き出しや国外への資金逃避が加速する。そういう事態に陥ったとき、当初は中央銀行が政策金利をできる限り引き上げて、資金流出を止めようとするだろう。しかし、それでも資金流出を止められなかった事例は歴史的にも数多くある。そうした国が採り得る手段はただ一つ、国際的な「資本移動規制」をかけることだ。

■頭取宅も火に包まれたアイスランドの悲劇

資本移動規制は、歴史の本に出てくるような昔話ではない。実際、リーマン・ショック以降にも、そうした悲惨な事態に陥った国が複数存在する。アイスランド、キプロス、ギリシャの3カ国がそれだ(図表1)。

アイスランドは北大西洋に浮かぶ島国で、EU非加盟の小国である。2008年の金融危機以前は、政府債務残高規模(名目GDP比)はわずか27%、財政収支も約5%の黒字という“超”健全財政国だった。唯一の問題は同国の民間銀行で、折からの低金利に乗じて、欧州大陸向けに派手にビジネスを展開し、同国の三大銀行の資産規模は、金融危機直前の2007年には実に名目GDP比900%近くにまで膨れ上がっていた。2008年、そのアイスランドをリーマン・ショックが直撃し、株価や地価といった資産価格は暴落し、三大銀行は相次いで経営破たん、その救済のために、アイスランドの財政事情は急激に悪化した(図表2)。

同国の通貨であるアイスランド・クローナは外国為替市場で売りを浴びせられて急落。アイスランド中央銀行は当初、政策金利を18%にまで引き上げてクローナを防衛しようとしたが、国内の経済や財政運営のことを考えれば金利の引き上げにも限度があり、市場の圧力に抗し切れなくなった。

IMF(国際通貨基金)は「為替急落を引き金とする金融危機」の状態を図表3のように図示しているが、当時のアイスランドはまさに、「為替の減価(急落)」と「金融引き締めの制約(限界)」、「資本流出」が三つ巴での負の連鎖状態に陥るという、まさにその典型的な事態に陥ったのである。同国に残された選択肢は国際的な資本移動規制をかけて国外への資金流出を止めることで、そのための措置が金融危機の2カ月後の2008年11月に導入された(前掲図表1)。他に方法はなかった。

アイスランドはその後、IMFから一定の支援は受けたものの、基本的には自力で経済と財政の立て直すことを余儀なくされた。国民が政府に納める、ありとあらゆる税や手数料が5割増し、2倍、といった水準に引き上げられた(図表4)。日本と同じ島国でありながら、そうした重税に耐えかね、全人口の実に2~3%が国外に流出したとみられている。これは日本に置き換えれば、大阪市と広島市の人口がまるごと国内から消えるようなレベルの事態に相当する。

金融とは、つくづく恐ろしいものだ好況に浮かれて過剰なリスクを抱え込んでしまうと、ひとたび情勢が変化したとき、あっという間に一国の経済や社会秩序を崩壊させてしまう。アイスランドでは2010年1月に金融危機の元凶のひとつとされるネット専業銀行Icesaveの頭取宅が“焼き討ち”にあっている。2012年4月には、危機時の首相だったホルデ氏が、危機を招来した過失を問われ、有罪判決を下されてもいる。

そして、アイスランドが、国民の重い負担によって財政運営を改善し、何とかこの資本移動規制を解除できたのは2017年3月、実に8年4カ月後のことだった。

前掲図表1が示すように、こうした例は、アイスランドにとどまらない。キプロスやギリシャでも同様の事態が発生した。その原因は、①放漫財政や、②民間銀行の過剰なリスク負担だった。

■「放漫財政+中銀の過剰なリスク負担」という組合せは歴史上初

これに対して日本では、アイスランド等の欧州の事例とはやや異なるが、まさに①放漫財政と、②中央銀行の過剰なリスク負担、という問題が一段と深刻になりつつある。国際的な資本移動が自由な開放経済の下で、民間銀行が過剰なリスク負担をした例は、バブル崩壊時のわが国を含めいくつも例がある一方、中央銀行が過剰なリスク負担をしてしまい、金融政策運営能力を事実上喪失するケースは、歴史的に見てもおそらく、他に例がないのではないか。

その行き着く先は、上述のようなアイスランド等の例と同じ「通貨の信認の喪失」という事態、言い換えれば「国内債務調整+資本移動規制」になるだろう。アイスランドの場合は、危機前の段階で中央銀行の財務運営は健全であったゆえ、曲がりなりにも政策金利を18%までは引き上げて、クローナの防衛を試みることができた。

日銀の場合はおそらく、それよりもずっと手前の、ごく低金利の水準でおそらく、政策金利の引き上げ不能、機動的な金融政策運営の遂行能力の欠如、という問題に直面させられることになるだろう。

「そんなことはない、わが国にはグロスベースで約1900兆円、ネットベースでも約1500兆円もの個人金融資産があるのだから、財政破綻などするはずがなく、大丈夫だ」と思われるかもしれない。その通りだ。

ただし、1200兆円を超える政府債務残高と1500兆円の個人金融資産が国内で併存している、ということは、“上の世代”が、本来あるべき税の負担から逃れ続けてきたことを意味する。その結果がこの巨額の政府債務残高なのだ。

このままの財政・金融政策運営が続き、いずれかの時点で完全に行き詰まったとき、この国の“後の世代”を守るために、“上の世代”が巨額の増税に応じるだろうか。とりわけ富裕層が国外に脱出することもなく、自分達の資産を税として国に差し出すだろうか。もしそれができるのであれば、この国の未来は開ける。

水面下で始まっている資本逃避

ところが実際はどうか。図表5はわが国の経常収支の推移をみたものだ。製造業の高い国際競争力を背景に、貿易収支で黒字の大半を稼ぎ出していたかつてとは状況が一変していることは一目瞭然だろう。経常収支黒字の大半は第一次所得収支の黒字によるもので、これは企業が海外に展開した現地子会社からの収益や、個人が海外資産投資した収益を国内に還流させたものだ。

国内で急激な人口減少が進むのと同時に、日本の財政運営と中央銀行が大きなリスクを抱えたままで、一向にその解決を目指す姿勢が窺われないことから、企業や個人、おそらく高齢の富裕層による事実上の資本逃避がすでに始まりつつあることを、この第一次所得収支の大幅黒字継続は示している。

円安がいわば“臨界点”を超えて進展したとき、国内からの資金流出が加速し、日銀は金利を思うように引き上げられず、資本移動規制に追い込まれるだろう。それは海外でビジネスをしている日本企業にとって、死活問題となる。

ちなみに図表6は、アイスランドと同じく資本移動規制に追い込まれたギリシャにおいて2015~18年の間に採られた措置の詳細をみたものだ。企業はその最初の2カ月間においては、海外への送金は当局の認可を受けたうえで、1日当たりわずか10万ユーロ(1ユーロ=125円として換算すれば1250万円相当)までしかできなかった。その後も国外の顧客1先、1営業日当たり35万ユーロ(同4375万円相当)超の海外送金には当局の認可を要するほか、それ未満の送金の場合にも銀行ごとに週当たりの上限が設けられ、自由な海外送金は不可能な状態にあった。これではとても海外市場相手のまともなビジネスなど成り立たなくなることは自明だろう。そしてそれは私たちにとっても、国内での雇用の場が失われることを意味する。

またギリシャの場合は、国内債務調整の一環として資本移動規制と合わせ、国民の「預金の引き出し規制」が実施されていた。それは富裕層だろうと低所得層だろうと、1人1日当たり60ユーロ(同7500円相当)、1週当たり累積で420ユーロ(同52500円相当)までしか預金を下ろせない、という厳しいものであった。

こうした厳しい資本移動規制を余儀なくされた期間は、他のユーロ圏加盟国やIMFに支援融資をしてもらえたギリシャの場合で4年余り、EUに加盟していないゆえ、IMFにしか支援してもらえなかったアイスランドの場合で8年余りに達する。ではわが国の場合はどうか。4年や8年といった期間であれば、厳しくとも乗り切れるだろうか。

おそらくその見通しは甘いだろう。図表7は、わが国の財政指標の推移をみたものだ。左右の軸目盛の設定は、前掲図表2で示したアイスランドのケースと同じにしてあるので、比較してみていただきたい。わが国の現在の財政事情は、アイスランドが危機に突入した2008年時点よりもはるかに悪い。アイスランドと同様に、IMFを除けば、どこの国にも助けてもらえる立場にはないわが国は、おそらく、自力でまともな財政状態を回復できるまで「国内債務調整+資本移動規制」状態を継続せざるを得なくなるだろう。その期間は、8年よりも相当長くなる可能性が高い。そのために必要な財政緊縮の幅も大きくならざるを得ず、追加図表4で示したようなアイスランドの例よりも、もっと大幅な増税を、幅広い税目について断行せざるを得なくなるだろう。

その際、歳出の面でも冷静に議論する時間的な余裕はなくなり、年金等の社会保障支出等も含めて“一律何割カット”といった乱暴な方法で削減される可能性が高い。それは収入や資産に余裕のない弱者にとって、厳しい負担を強いるものとなってしまうだろう。

■私たちの責務-負担増の覚悟を決める

では私たちはどうすればよいのか。

河村小百合『中央銀行の危険な賭け 異次元緩和と日本の行方』(朝陽会)

通貨の信認とは、国の信用、財政運営と中央銀行の金融政策運営に対する信認と一体のものだ。

現状は確かにコロナ禍にあり、困難に直面する人が多いのも事実ではあるが、それ以前から私たちは大幅な増税や金融引き締めとは無縁の、およそ“痛み”のない、心地よい状態に浸ってきた。しかしながらその陰で、中央銀行である日銀にかかっている負担が恐ろしいまでに膨張しているという現実を決して忘れてはならない。

この先、万が一の事態を決して招来することのないようにするためには、日銀にかかる負担を軽減すべく、金融政策運営の正常化を段階的に図るとともに、何よりもまず実効的な財政再建の断行に向けて、私たち自身が、それぞれの置かれた状況に応じた公平な負担増も含める形で取り組んでいく覚悟を決めるより他に道はないといえよう。

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河村 小百合(かわむら・さゆり)
日本総合研究所調査部主席研究員
1988年京都大学法学部卒、日本銀行入行。91年日本総合研究所入社、2019年より現職。2011年から社会保障審議会委員、15年から行政改革推進会議民間議員、19年から財政制度等審議会財政制度分科会委員をそれぞれ務める。参議院予算委員会中央公聴会公述人(2019年3月12日)。財政・金融政策運営関連の著作・論文等執筆多数(いずれも日本総研HPに掲載)。

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参考資料・参考文献

日本の財政が破綻すれば、週5万円しか引き出せない日々がずっと続く - 記事詳細|Infoseekニュース

第5節 我が国の第一次所得収支動向及び対外投資の国際比較:通商白書2014年版(METI/経済産業省)

世界のデフォルト国家一覧表 (world401.com)

円安の重圧、暮らしに 10年で婦人服の価格13%上昇: 日本経済新聞 (nikkei.com)

国民総所得 - Wikipedia

(キッズ外務省)国民総所得(GNI)の高い国|外務省 (mofa.go.jp)

アジア通貨危機とは?原因や影響もわかりやすく解説 | 俺たち株の初心者! (mynavi.jp)

ベネズエラ危機の真相――破綻する国家と2人の大統領(坂口 安紀) - アジア経済研究所 (ide.go.jp)

日本では致命的な誤りのある「MMT」を絶対にやってはいけない(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

現代貨幣理論 - Wikipedia

「財政破綻するー!」を完全論破 政府の赤字は国民の黒字|MMT国際シンポジウム特別講演|三橋貴明 - YouTube

金融講座ⅴ3「現代貨幣理論(MMT)の詐術に騙されるな!」|tsukasa_tamura|note

【ドル円の歴史】固定相場制と変動相場制のおはなし | 和波の投資生活ブログ@米国株・ETF&テーマ株投資 (w73t.com)

analysis_01_01_05.pdf (cao.go.jp)

バブル崩壊 - Wikipedia

繰り返される「国家破綻」アルゼンチンの事例に学ぶこと (novel-era.com)

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