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政治講座ⅴ1971「GDP1位の米国の麻薬蔓延、GDP2位の中国からの輸出。五十歩百歩」

「社会・組織の病気」には通常の疫病とは違い、組織に蔓延する腐敗・横領・権力の濫用などが想定される。しかし、麻薬汚染が蔓延する姿は社会・組織が作り出した「病気」に等しい。
 昔、米国では、酒を禁止した「禁酒法」があった。
 家庭やコミュニティでの非公式な抑制力により、アルコールの乱用は社会的に受け入れられていなかった。
 アルコールは神からの贈り物である一方で、その乱用は悪魔の仕業によるものという明確な社会的同意があった。
 酩酊は非難・罰則の対象ではあったが、それは神からの授り物を乱用したことから非難・罰されるものであり、飲み物自体は過失があるとは見なされなかった。
 酒自体はとがめの対象ではなく、大食の罪の対象となる食物以外のものではなかった。過剰摂取は個人による軽率な行為とみなされた。
 1840年代に始まった禁酒法の運動は、敬虔なキリスト教の宗派、特にメソジストがその先鋒を務めた。
 禁酒運動は、1800年代後半には禁酒からアルコール摂取に関連した全ての振る舞いにまで拡大され、マーク・A・マシューズのような伝道師が、酒を出しているバーと売春を関連づけるようになっていく。
酒には厳格な米国がこのような麻薬汚染社会になるとは何と情けない。因果応報であろうか。阿片戦争で没落した歴史的な復讐なのか分からないが米国向けにその後、麻薬製鎮静剤(オピオイド)の一種であるフェンタニルを中国では作っているようである。
今回はそのような報道記事を紹介する。

     皇紀2684年10月14日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司

報道記事を紹介

【独自取材】「地獄」と呼ばれる麻薬汚染の街「中毒者はゾンビに近い状態」…大統領選の争点にも アメリカ・ペンシルベニア州

FNNプライムオンライン によるストーリー

【独自取材】「地獄」と呼ばれる麻薬汚染の街「中毒者はゾンビに近い状態」…大統領選の争点にも アメリカ・ペンシルベニア州© FNNプライムオンライン

アメリカ大統領選挙まで1カ月を切る中、大きな争点の1つが「薬物と犯罪」だ。

アメリカでは、薬物の過剰摂取による死者は5年間で50万人を超え、18歳から48歳の死因ではトップとなっている。

今回FNNは、「地獄」とも呼ばれている麻薬汚染の現場を独自取材した。

街の中に薬物中毒とみられる人達が次々に…

アメリカ東部ペンシルベニア州フィラデルフィア

独立宣言が採択された場所としても知られ、映画「ロッキー」の舞台にもなった。

向かったのは、街の中心部から車で10分ほどの場所にあるケンジントン地区だ。

記者リポート:

ケンジントン地区に入ったんですが、ものすごい悪臭が漂っています。また、先ほどから緊急車両がひっきりなしにこちらを訪れています。

街の中では路上に倒れ込む人、前屈みになる人など、薬物中毒とみられる人達が次々に見つかった

こちらの男性も、よくみると手には注射器のようなものを持っている。

さらに路上には、薬物の取引に使用したとみられる小さなビニールの袋も散乱していた。

記者リポート:

大勢の人が路上に倒れていて、何かしらの薬物を吸っている状態です。かなり危険を感じます。

特に目につくのは、前屈みになった薬物中毒者とみられる人達の姿だった。

この原因とされるのが、合成麻薬「フェンタニル」

フェンタニルは、がん患者の苦痛緩和などに用いる強力な鎮痛剤で、効果はヘロインの50倍ともいわれている。致死量はわずか2mgだ。

違法に流通しているフェンタニルの過剰摂取で2023年、アメリカ国内では7万人以上が死亡している。

娘がフェンタニル中毒と語る住民の女性は、不安の声を漏らす。

薬物中毒の娘の母親:

犯罪者や麻薬常習者が多すぎます。ひどい状況です。

なぜここまで広がっているのか。

住民のガードナーさんは、麻薬の売人が無料でフェンタニルを配ったり、他の薬物に混ぜるなどして中毒者を増やしていると語る。

ガードナーさん:

多くの人が中毒者を「ゾンビ」と呼んでいる。ゾンビに近い状態だからだ。

夜になると街は一変する。

警察官も24時間体制で見回りをしているが、何もできず立ち去っていく。

さらに警察官が見回っていた場所にいた女性は、謎の小さな袋を取り出すと、鼻に近づけた。

11月の大統領選挙の大きな争点に

違法なフェンタニルは、中国で製造された原料をメキシコの犯罪組織が加工して密輸されていて、国境の管理や、麻薬汚染の防止は11月の大統領選挙の大きな争点にもなっている。

ハリス副大統領:

大統領として、私は米国に流入するフェンタニルの流れを断つことを最優先課題として取り組んでいく

一方、トランプ前大統領は、バイデン政権が違法薬物の流入を急増させたと強く批判している。

トランプ前大統領:

麻薬の売人に死刑を課さない限り、麻薬問題は決して解決しない。

この地域で、薬物中毒からの回復を支援する活動を行っているアリスさん(71)。30年前には自身も薬物中毒者だった。

アリスさん(71):

第一に、政府は仕事していない。麻薬は長い間存在してきた。でも今はもっと悪くなっている。

アメリカ社会に蔓延する麻薬問題。

選挙まで1カ月を切る中で、大統領候補がこの問題にどう向き合うか、有権者が注目している。

(「イット!」 10月10日放送より)

米国がなぜ禁酒法 100年前、高貴な実験の無残な結末

NIKKEI STYLE

2020年2月7日 3:00

禁酒法時代の一コマ。政府の職員たちが、大勢の目の前で蒸留酒とビールのケースを破壊する(PHOTOQUEST/GETTY IMAGES)

今から100年前の1920年1月、米国で憲法修正第18条が発効され、米国内でのアルコール飲料の醸造と販売は違法になった。推進派はこれを「高貴な実験」と掲げ、全米の禁酒法支持者が称賛した。

元野球選手で、禁酒推進に貢献したビリー・サンデーは、1万人の聴衆を前にこう語った。「今夜、午前0時を回れば、新しい国が生まれます。明晰(めいせき)な考えと好ましいマナーの時代が始まるのです。スラム街はすぐに過去の遺物になるでしょう。刑務所や少年院は空っぽになり、工場へ姿を変えます。男性たちは皆まっすぐに歩き、女性たちは皆ほほ笑み、子どもたちは皆笑い声を上げるでしょう。地獄の門は、永遠に閉ざされたのです」

その後、禁酒法は10年以上続いた。しかし、サンデーをはじめとする禁酒法の推進派が約束した「新しい国」がやって来ることはなかった。

禁酒運動の一部は過激化した。女性参政権の支持者でもあった禁酒活動家のキャリー・ネーションは、酒瓶を割ってバーを壊すのに石を使い、さらにはおのまで持ち出した。彼女は「禁酒法への投票を拒まれたので、石を使うしかなかった」と語っている(AFP/GETTY IMAGES)

19世紀からあった禁止の動き

修正第18条は1919年1月に成立し、「酒類の製造、販売、輸送」および48州(当時)における輸出入を禁じた。米国議会は数カ月後、ビール、ワインなど当初は明確には対象に含まれていなかった他のアルコール飲料もカバーする内容のボルステッド法を可決。ボルステッド法は、医療用や宗教儀式でのアルコールの使用など、わずかな例外は認めていた。しかし、この法律は酒を飲む側ではなく、提供する側を対象としていたため、酒の所持と飲酒は合法のままだった。

禁酒法と憲法修正第18条を推進した下院議員、アンドリュー・J・ボルステッド(LIBRARY OF CONGRESS/GETTY IMAGES)

禁酒法の歴史は19世紀までさかのぼる。当時は宗教団体や、米国禁酒協会などの社会団体が「アルコールの災い」や酒浸りの状態を問題視していた。1850年代、米国メーン州など数州でアルコール禁止法が試されたが、最終的には地元の反対で覆った。

禁酒法導入の流れのなかで、大きな役割を果たしたのが女性団体だった。運動家たちは、酒に酔った夫が妻や子どもたちを殴っており、飲酒が家庭内暴力に拍車をかけていると主張した。禁酒法の支持者は、アルコール乱用が貧困の原因だと論じた。

1869年に禁酒党が結成されると、1870年代には同党が展開する運動を支援しようと、キリスト教婦人矯風会(WCTU)が、アルコール禁止を訴える大々的なキャンペーンを開始。19世紀の用語で、あらゆるアルコールを断つ人を指す「絶対禁酒者」(Teetotalers)は、ホワイトハウスにもいた。ラザフォード・B・ヘイズ大統領と妻のルーシーは、酒を口にしなかっただけでなく、人にも出さなかったという。

1890年代、非常に組織だったロビー活動団体である禁酒連盟(ASL)が、禁酒キャンペーンを後押しした。酔っ払いのたまり場で祈る者もいれば、酒場を物理的に襲う者もいた。活動家のキャリー・ネーションは、1900年代におので酒場を破壊して回ったことで名をはせた。

「ドライ(禁酒法の支持者はこう呼ばれた)」な米国を求める声、つまり禁酒法を求める声は1910年代になっても止まなかった。

第1次世界大戦の影響により、戦争中のアルコール禁止を議会が承認すると、禁酒派は勢いづき、憲法修正による禁酒を求めて、議会に圧力をかけ続けた。修正は上下両院で承認され、1919年1月、全米の4分の3の州が批准して成立。1920年1月から効力を持つことになった。ASLのウェイン・ウィーラーは、下院議員のアンドリュー・ボルステッドと協力して、新たな修正がどう適用され、施行されるかの概要を示すボルステッド法(正式には国家禁酒法と呼ばれる)を書き上げた。

参政権を得た米国人女性たちにとって、1920年代は刺激的な時代だった。都市部では、仕事に就く若い女性が増え、都会での自立した生活を楽しんだ。街のもぐり酒場で、男女が一緒にグラスを傾けることもその一つだった(GAMMA-KEYSTONE/GETTY IMAGES)

密輸と密造が横行

この新法を、金もうけのチャンスと見る者たちが出てきた。米国は、蒸留酒を作る国々に囲まれている。カナダのウイスキー、カリブ海のラム酒。密売人がアルコールを米国市場に潜り込ませるには、資金、輸送手段、腕力があればいい。「喉が渇いた」米国人たちは、値段が上がっても酒を買うことが予想され、莫大な利益が見込まれた

密売業者は全米の都市で暗躍した。デトロイトでは、カナダから入ってくる酒の流通を「パープル・ギャング」が支配した。ニューヨークでは、イタリア系移民が五大ファミリーを作り、街は「ウェット(禁酒法の反対者はこう呼ばれた)」、つまり酒が手に入る状態のままだった。

1933年12月5日の禁酒法廃止後、初めてビールを積み込み、ニューヨーク市のルパート醸造所の門を出るトラック(ULLSTEIN BILD/GETTY IMAGES)

シカゴでは、「スカーフェイス」の異名を取ったアル・カポネとジョニー・トーリオが、市中の酒の流通を管理するマフィア組織「シカゴ・アウトフィット」を設立した。カポネは犯罪によって財を成した。ある資料によると、彼の年間収入は6000万ドルあったと推計される。密売の規模が拡大し、複雑になると、ギャングたちは組織的に団結し始め、弁護士、醸造業者、船長、トラック運転手など、多くの人を雇い入れた。さらには、操業を中止した醸造所を買い取り、販売のために自ら密造酒を作り始めた。

当初、ギャング組織は活動を地元の一地域に限定していた。しかし、それぞれが勢力の拡大をもくろみ始めると、間もなく対立と紛争が生まれ、銃撃、爆破、殺人などの暴力沙汰が頻繁に起きた。

女性たちが酒場の入り口で賛美歌を歌い、酒飲みたちの回心を祈る。1900年のイラスト(BETTMANN/GETTY IMAGES)

ジャズエイジともぐり酒場

アルコールを求める客は、「スピークイージー」や「ジン・ジョイント」と呼ばれたもぐり酒場に足を運んだ。ニューヨーク市では、1920年の禁酒法が施行される前の段階で1万5000軒の酒場(サルーン)があったが、法案の通過後に激増。正確な数については諸説あるが、歴史研究者は店の数を3万2000軒から10万軒の間だとみている。安酒を売る質素な店から、カクテル、ジャズ演奏、ダンスなどが売りの洗練されたナイトクラブまで、さまざまな店があった。

密造酒が横行した1920年代は「ジャズ・エイジ」と呼ばれるようになった。小説「グレート・ギャツビー」(1925年)を書いた作家、F・スコット・フィッツジェラルドの造語だ。この時代、女性は1920年に参政権を得たこともあり、自由を享受した。女性たちはカクテルを飲み、古い社会慣習をはねのけて、禁酒法時代の文化を謳歌した。「フラッパー」(おてんば娘)と呼ばれた彼女たちは、髪をショートカットにし、丈の短いゆったりとしたラインのドレスを身にまとい、たばこを吸ってダンスに興じた。

大失敗に終わった「高貴な実験」

1930年代初頭、ギャングとその愛人たちが大衆の興味を引き、ハリウッドは現実の暴力をスクリーンに映し出した。エドワード・G・ロビンソン主演「犯罪王リコ」(1931)、ジェームズ・キャグニー主演「民衆の敵」(1931)などが知られる。「暗黒街の顔役(原題:Scarface)」(1932)では、アル・カポネをモデルにした架空のギャングをポール・ムニが演じた(UNITED ARTISTS/ALBUM)

犯罪シンジケートは、地元当局買収して勢力を拡大し、権力を手にしていた。密売を阻止するのは不可能だと分かり、特に都市部の世論は禁酒法反対に転じた。1927年の時点で、「高貴な実験」が大失敗なのは明らかだった。禁酒法を終わらせるのに必要なのは、憲法修正だった。

1932年の大統領選で、フランクリン・D・ルーズベルトが現職のハーバート・フーバー大統領に圧勝すると、変化が起こった。1933年2月、上下両院は修正第21条の案を可決し、批准のため各州に送付。この年の12月までに速やかに批准された。こうして修正第21条によって修正第18条が廃止され、高貴な実験は終わる。

禁酒法の廃止は政府にも利益をもたらした。当時、国を苦しめていた大恐慌との戦いに、アルコールからの税収が役立ったのだ。大衆文化も世の中の心情を反映していたようだ。「Happy Days Are Here Again」(楽しい日々が帰ってきた)、「Cocktails for Two」(2人でカクテルを)といった歌が響き渡り、誰もがこうした歌を口ずさんだという。

(文 ENRIC UCELAY-DA CAL、訳 高野夏美、日経ナショナル ジオグラフィック社)[ナショナル ジオグラフィック 2020年1月20日付記事を再構成]

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